大島康紀☆雪月花

Artist COKY.OSHIMA
Painting,Drawing
Arts & Essay

「桜」を描く

2014-06-21 | Essay


早春の野に立ち山を描く。
峰々の残雪の白が眩い。山麓の木々は芽吹きもせず枯れ野の様相を呈している。
スケッチのポイントを探しながら丘陵地を登って行くと突然薄紅色の花の木に出会った。
「江戸彼岸桜」の小木だ。
残雪と枯れ野原の風景の中にあって桜の花が春を予兆するかのような光彩を放っていた。
雄大な山の懐に咲く桜の花に心を奪われた想いがした。

東京でも見慣れていたはずの桜だが、信州の自然の中で出会った桜は生命観に溢れ美しかった。
個展を間近に控え無我夢中で桜を描いた。
桜の花との出会いの感動が伝わったのか、
幸い個展は好評で「新境地の風景」「桜のオオシマ」などと呼んでくれるコレクターもいた。

桜の木にも沢山種類があって、見分けるのも難儀した。
スケッチの途中で出会った野に咲く小さな桜の種類も後々知ることが出来た。
アトリエの裏庭に「小諸八重紅枝垂れ」「雨情桜」の苗木を植えた。小彼岸桜、山桜も咲く。
桜に強い関心を抱くようになってからは、全国にある桜の名所や旧跡を訪ね歩くことになるのだが、
千年の三大桜と云われている岐阜の薄墨桜、山梨の神代桜、福島の滝桜には毎年会いに行くようになった。
桜前線とともに歩く桜のスケッチの旅は今でも続いている。

(画像:岐阜・薄墨桜/水彩・和紙f30)

「花」の絵

2014-06-21 | Essay


花を描くという作業があまり好きではなかったはずなのにこのところ毎日のようにスケッチに明け暮れている。
アトリエの庭に咲き乱れている山野草、高山植物の類も咲く。毎年一本づつ増やしたバラの花。
バラは挿し木にして育て、今では画室の二階の窓まで伸びたツルバラが見事に花を付けた。

花の絵は誰が描いても同じだろうとタカをくくり、あえて描こうとしなかったのかもしれない。
花屋さんで買ってきた花を花瓶に挿して卓上に置いて描くという静物画の習作は絵を描く人なら誰しもやったことのある身近な手段だ。
作家同士の会話の中にも「花の絵は売れるから描いてるよ。」「絵の花は枯れないから喜ばれるんだ。」なんて云う。

花は綺麗で美しい。可憐、瀟洒、勇壮、豪華、人の感情がいろんな思いを喚起させてくれるものだ。
ある夏の高原で高山植物の花たちに遭遇。初めて出会った山の花たちに魅せられて夢中でスケッチした。
それ以後、毎年何度となく山通いが続いている。
私の「花」は現地で描いたスケッチを水彩で仕上げた作が大半なのだが、薔薇の油絵で著名な作家やボタニカル・アートの作家もいる。
知人の華道家が長年入手したいと望んでいた「日本植物図鑑・牧野富太郎著」を拝見したことがある。
丹念に描かれたイラストの図鑑で解説は漢字とカタカナで書かれている。江戸末期生まれの牧野博士が明治の時代に研究した植物学に敬服。
博士は、日本国内の植物を総称して、「大和草」と呼んでいたようだ。

花の名前も判らず、育て方もままならないでいた自分が今花の虜になっている。