大島康紀☆雪月花

Artist COKY.OSHIMA
Painting,Drawing
Arts & Essay

駒の里

2014-06-28 | Essay

ひとつ屋根の下で馬と暮らす。
母屋と厩(うまや)がつながっている農家。
境めは土間でかまどのある台所だ。
馬も生活の一部始終を見ている家族なのだ。
お母さんが風呂に入ると背中をぺロリ、なんてことも。
「厠(かわや)を知るには馬に聞け」ということわざがある。
厩と厠がそばにあるという例えのようだ。

曲屋の暮らしを知りたくて岩手・遠野を何度か訪ねた。
昔の曲屋を一か所に移築して記念公園が整備されていて、往時を偲ぶことが出来る。
旅の途中、民家に馬の姿を見かけたので立ち寄らせてもらった。
馬小屋のそばの畑で仕事していた高齢のおばあさんと話が出来た。
「昔はどこのうちにも馬っこがいてね。」・・・
おじいさんが馬が好きで可愛がっていたのだそうで、
亡くなってからは自分が面倒みてやっているんだと
遠い空を眺めながら語った。
丸い眼鏡の奥のやさしい瞳と笑顔が忘れられない。

東北地方には遠野に限らず、駒の里と云われている地域が多数存在する。
我が信州においても機械化が進み、車社会になる前までは
どこの家にも馬か牛がいたと農家の人が話す。

家の庭で馬を飼う。
馬の絵が描きたい。
と思う願望の裏には、暮らしや動物への
ささやかな愛の証が欲しかったのかもしれない。

(画像:「曲屋」油彩・canvas)

しなの鉄道

2014-06-25 | Essay


雄大な浅間山を背にしなの鉄道の電車が往く。

かつての信越線が碓氷峠で分断されてしなの鉄道に替わったのは
長野オリンピックの頃だったろうか。
新幹線が開通し、長野・東京間のアクセスは便利にはなったが
浅間山の雄姿を眺めたり、ホームに飛び降りて釜めしを買ったりする
旅の楽しみは遠い昔話になってしまった。

どっかりと野にイーゼルを据えて浅間山を描く。
大自然の空気と山の威圧観を肌で感じながらcanvasに向かう。
東京からアトリエを移したのもこのためだった。
絵に自然の息吹を吹き込むために。

文人墨客も好む軽井沢、多くの画家たちが浅間山を描いたことだろう。
私にとっても浅間は少年期から見慣れた心の山だ。
これまで何点描いてきたか、定かではないが
「浅間百景」「信濃春秋」の個展を重ねて発表してきた。

しなの鉄道の電車を入れた浅間の絵の評価は悲喜こもごも
「電車がなければ買いたい。」と云う人。
「いろんな人の人生を運ぶ電車がいい。」と云う人。
ローカル線の電車が走る風情に趣きを感じて描いた作だから
「電車を消します。」とは言えなかった。

(画像:「しなの鉄道」F20 油彩・canvas/東京都・K氏蔵)

「駒」の絵

2014-06-22 | Essay


馬の絵を描きたいと思うようになったのはいつの頃だったか。
遊園地のメリーゴーランドの木馬をモチーフにしていたことがある。
ヨーロッパを旅した折、立ち寄ったアンティークショップで買い求めた木馬の置物、
中国の兵馬庸のレプリカ、骨董品店の店先で埃をかぶっていたブロンズ、
馬への興味はもっぱらグッズ収集に向けられていた。
それらの「馬」はしばしば絵の中に登場してくるようになった。

「日本の原風景」「故郷の山河」を主題に風景画に取り組むようになって、
更に自然を知るためにと制作のアトリエを東京から信州の山中に移した。
自然の息吹を肌で感じる感動は作家として貴重な体験となった。
朝、谷の下から湧きあがった雲がアトリエの庭に踊り込んでくる。
木立を吹き抜ける風の音、谷のせせらぎ、鳥たちのさえずり・・・
新緑の春、紅葉の秋、霧氷、四季の変化に戸惑いながらの暮らしが続く。

自然の空気観と生命観が作品に反映出来たら素敵な絵が描けそうだ。
そんな想いで模索していたころ
スケッチ取材の旅の途中で出会った牧場の馬、乗馬倶楽部の馬たち。
生きた馬との出会いもまた衝撃だった。

美しい肢体、躍動する大きな命の塊り。馬の生態を知りたいと思った。
馬を知るためには乗馬も出来なければと一念発起、乗馬倶楽部にレッスンに通うことになる。
ダービーにも出たことがあるという競走馬から引退して乗用馬になったサラブレットに体験乗馬
させてもらったのが最初で、常歩・走歩・駈足(ウォーク・トロット・キャンター)の歩様が
扶助出来るようになるまで何鞍騎乗したことか。

乗馬の楽しさにのめり込むと次は自分の専用の馬が欲しくなる。
自馬を持つということは維持費もかかり大変なのだが、
若い馬との出会いがあって家に連れて来てしまった。
家の庭で馬を飼う夢が叶ってしまったのだ。

馬と人がともに生きる姿は素敵だ。
人馬一体というが、心の通い合う関係を維持していけたらと思う。

「桜」を描く

2014-06-21 | Essay


早春の野に立ち山を描く。
峰々の残雪の白が眩い。山麓の木々は芽吹きもせず枯れ野の様相を呈している。
スケッチのポイントを探しながら丘陵地を登って行くと突然薄紅色の花の木に出会った。
「江戸彼岸桜」の小木だ。
残雪と枯れ野原の風景の中にあって桜の花が春を予兆するかのような光彩を放っていた。
雄大な山の懐に咲く桜の花に心を奪われた想いがした。

東京でも見慣れていたはずの桜だが、信州の自然の中で出会った桜は生命観に溢れ美しかった。
個展を間近に控え無我夢中で桜を描いた。
桜の花との出会いの感動が伝わったのか、
幸い個展は好評で「新境地の風景」「桜のオオシマ」などと呼んでくれるコレクターもいた。

桜の木にも沢山種類があって、見分けるのも難儀した。
スケッチの途中で出会った野に咲く小さな桜の種類も後々知ることが出来た。
アトリエの裏庭に「小諸八重紅枝垂れ」「雨情桜」の苗木を植えた。小彼岸桜、山桜も咲く。
桜に強い関心を抱くようになってからは、全国にある桜の名所や旧跡を訪ね歩くことになるのだが、
千年の三大桜と云われている岐阜の薄墨桜、山梨の神代桜、福島の滝桜には毎年会いに行くようになった。
桜前線とともに歩く桜のスケッチの旅は今でも続いている。

(画像:岐阜・薄墨桜/水彩・和紙f30)

「花」の絵

2014-06-21 | Essay


花を描くという作業があまり好きではなかったはずなのにこのところ毎日のようにスケッチに明け暮れている。
アトリエの庭に咲き乱れている山野草、高山植物の類も咲く。毎年一本づつ増やしたバラの花。
バラは挿し木にして育て、今では画室の二階の窓まで伸びたツルバラが見事に花を付けた。

花の絵は誰が描いても同じだろうとタカをくくり、あえて描こうとしなかったのかもしれない。
花屋さんで買ってきた花を花瓶に挿して卓上に置いて描くという静物画の習作は絵を描く人なら誰しもやったことのある身近な手段だ。
作家同士の会話の中にも「花の絵は売れるから描いてるよ。」「絵の花は枯れないから喜ばれるんだ。」なんて云う。

花は綺麗で美しい。可憐、瀟洒、勇壮、豪華、人の感情がいろんな思いを喚起させてくれるものだ。
ある夏の高原で高山植物の花たちに遭遇。初めて出会った山の花たちに魅せられて夢中でスケッチした。
それ以後、毎年何度となく山通いが続いている。
私の「花」は現地で描いたスケッチを水彩で仕上げた作が大半なのだが、薔薇の油絵で著名な作家やボタニカル・アートの作家もいる。
知人の華道家が長年入手したいと望んでいた「日本植物図鑑・牧野富太郎著」を拝見したことがある。
丹念に描かれたイラストの図鑑で解説は漢字とカタカナで書かれている。江戸末期生まれの牧野博士が明治の時代に研究した植物学に敬服。
博士は、日本国内の植物を総称して、「大和草」と呼んでいたようだ。

花の名前も判らず、育て方もままならないでいた自分が今花の虜になっている。