言いたい放題

コメント大歓迎…チューチューマウスと仲間たち

老々介護と学生時代の落研慰問旅行「ドサ廻り」

2005-02-27 12:18:47 | 旅・鉄道・グルメ…

老々介護と学生時代の落研慰問旅行「ドサ廻り」

 数日間に渡る関西への旅を終えて帰京した。観光の旅ではなく、墓参りのためと重篤な病人二人を見舞うためだ。はしゃぐことの許されない気の重い旅だった。
 墓は樹木の剪定や草むしりなど、炎天下にはキツイ労働だった。二年間も放置しておいた罰だ。

 病人はご夫婦だが、別々の施設に収容されている。ご主人の方は病のため惚けが進行し、この種の老人専門のケアー施設に入っている。奥方の方は、自宅でのご亭主の看護に疲れ果て、その結果、脳梗塞を起こして倒れてしまった。こちらは病院で治療を受けている。いわゆる「老々介護」の悲劇である。幸い両方の施設とも、心の通った看護・治療が施されており、不幸中の幸いだったと思う。
  経済的にも恵まれた、このご夫婦はまだ良い。これらのサービスを受けるは、どうしてもそれなりの経済的な基盤が必要になってくる。現状では、資産が十分でない場合には、十分な介護・・国家制度としての「介護保険」の適用すら・・受けるのがままならないと聞いている。やはり何らかの共済制度や保険に加入することが必要になってくる。

 熟々惟みるに、学生の頃、落語研究会に所属していたが、「ドサ旅行」と称して、休みになると地方の養老院へ慰問旅行に出かけたものだ。その時、感じたことは、施設の責任者(院長)の人格や人柄、経営方針が職員に反映し、それがまた被介護者である老人達にストレートに反映するという事実だった。収容されている老人達を一目見ただけで、今日は落語がウケルかウケナイかが分かった。余りにも行儀良く躾られている養老院では、先ずウケない。それだけ年寄りが抑圧されているということだろうか。

 ただ学生時代の小生には、お年寄り達の屈折し捩れた心の内までは見通すことができなかった。被収容老人たちは現実を認識する能力を欠いているが、いや、それだからこそ、心の通った介護・看護が必要とされるような気がしてならない。「管理」だけでは、人間の尊厳を保つには不十分だ。 
それが分かるような年齢になった今、この二つの施設の気配りが手に取るように見て取れた。まことにもってご苦労なことである。

ナンダカ保険会社の提灯記事みたいになってしまったが・・・。帰りの伊丹空港で、小さな「天むす」弁当とお茶を買い求めた。苦い味がした。

平成17年2月27日  BYB

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。