昨日の瓦の事で昔のことを思い出し、そんな事もあったな~ァと言う話です。
昭和33年頃か私が東京 銀座で6階建てのビル建築の工事中の現場員(監督)として勤務していた時のことです。
工事が2階の仮枠建て込み時、隣の料亭の窓ガラスを数枚割ってしまった。所長が不在中のために私が直ぐに謝りに伺いご主人に
「申し訳ないことをいたしました、お詫びに参りました。ガラスは早速取り替えさせて戴きます」と伝えたところ、
ご主人は微笑みながら
「直ぐに同じものを入れて戴けるのですか?」
「ハイ、直ぐに業者に連絡して取り付けに掛からせます」
ご主人は、若い私を見て
「あんた、この仕事について何年になる?」
変な事を聞くな~ァと思いながら
「ハイ、今2年目です」
「2年目ですか?それでは無理もないな~ァ」
「何が無理なのでしょうか?」
「実はね~ェ、あのガラスはドイツ製で日本では手に入らぬと思いますよ」
「えッ!」いや~ビックリしたな~も!
さすが、日本の銀座だ。
幸いにご主人は人柄のよい鷹揚な方だったので私が呼び寄せたガラス業者と話合って戴き、さし当たり日本製の柄模様のものを入れ工事終了時に模様入りの国産のガラスで総入れ替えをすることで了承して戴いた。
その時に割れたガラスのある座敷に通されたが部屋の造りの豪華さには驚いた。
1間の床の間の床柱(トコバシラ)が黒檀だった。床框(トコカマチ)も同じ黒檀の無垢のもので、ふと床板を見ると、これ又欅の一枚板で叩いてみると、どう見ても厚さは寸2分か?寸5分はある響きだった。
床の間の天井は同じ木目の欅の一枚板のようで、ただただ驚きと感嘆の思いでした。
部屋の見付けの木部は全て同材の同じ色で纏められ柱には細やかな「なぐり」が入れてあり、どの一つの部材をとっても滅多にお目にかかれるものではなかった。
ほんとに良い物を見せて戴いた。ご主人に厚くお礼を言って辞去したが、あのような立派な部屋はその後、社を辞めるまで見る機会は無かった。
ガラスで驚き、銀座の凄さを見せ付けられた約半世紀前の古い思い出だった。
私は建築科卒業後ゼネコン勤務の為マンションやビル事務所が多く
純和風の住宅や料亭のような高級な建築工事に携わる事が無かったのが今思うと残念に思う。
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