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私のCareer縦走路

2012-05-03 22:15:26 | About Myself
■ 私のキャリア縦走路… 

私の最初の職場は、産業用ロボットの開発部でした。…でも普通の語学系大学卒業の人がイキナリそんな職場に採用になるはずがありませんよね? 

この仕事ができたのは…この仕事の前に、金網を作る産業用機械のインスタレーションを町工場で学生通訳としてお手伝いしたせいです。

で、この通訳ができたのは… 国際会議の事務局でバイトしていたからです。
で このバイトができたのは… TOEICでの高得点を元手に、安定した大学図書館勤め先を捨てたからです。周囲は大反対(汗)。

でも、投資&リスクテイク。当時就職氷河期で先輩達の就職率はなんと25%…私の観察では卒業まで待って就職するほうが分が悪いと判断したからです。(その判断は正解でした ^^v)就業経験とITリテラシー(エクセルワード程度)は当時即戦力の必須用件でした。そのためには何をしないといけないか?ということだけで、バイト選びです(笑)戦略思考ですね。無料。思考が行動を作るんだなぁ。

英語力ができたのは…海外生活で基本的な力は得ました。が、いたのはたった2年。

そして、海外にいる間も将来はソフトウェア業界と思っていたので、ソフトウェアのバグ出しをボランティアでしていました。

学生時代に4年勤めた大学図書館の職場でも、パソコンが苦手な年配の司書の人ばかりだったので若い私は飲み込みがよいのでみんなに便利につかってもらい、リナックスを触われるほとんど唯一の人でした…

というのは…中学生の頃、新聞部だったので学級新聞でワープロをマスターし、夏休みはPC室に篭ってBasic言語を独学したからです(笑)PC9801Dos窓時代。いまどきMSDOSなんて知らない人が多いのではないでしょうか。ちなみにロボット言語は当時ほぼベーシック言語とおなじでした。

さらに考えてみると… 実は小学生のときはなぜか超マイナークラブのエナメル線クラブというクラブに属しひたすらコイルを巻いていました(笑)。学生時代の強みは、国語と理科。実験大好き。

4年間も大学図書館という穏やかな地に勤め先を得れたのは…”待っていないで働きかける”ということをアメリカでの生活経験や、進学先を1人で選ぶことで獲得したからです。
自ら選ぶ。コレ重要。この仕事をやりたいですと言いに言って得ました。

母はなぜか教育ママごんで幼稚園からお受験させられましたが、塾には行かせてくれなかった…ので、受験は自分で参考書を見て勉強です。受験勉強では何を覚えたのかな?大量のデータ処理か。

期日までに仕事を仕上げるには効率重視ですね(笑) 参考書は1ページ飛ばしで処理するというようなことです(笑)。ソフトウェア開発って一日300通メールがくる世界なんです・・・。そんなのちゃんと見る人はいません。が見落としも困る。

…とまぁこんな具合にわたしは過去の資産を生かすことで新たな資産を得てきたので、自分のことを長らくわらしべ長者だと思っていました(笑)。

泥臭く学んできたつもり。でも人からは、よく銀のサジをくわえてきた人と間違われます。ま、いいけど。

■ 色々な山頂で見えた景色

開発部には4年いて学んだことは、製品というのは、メカ屋+ハード屋+ソフト屋が作るのですが、日本ではソフト屋の地位がとても低いこと。ソフト=下流行程。っていうか日本ではソフトは
長らくハードのおまけだったのです。同梱品で、無料でついてくる。

製造と開発は対極的だということ。
日本では製造を管理するのと同じ管理手法でイノベーションの現場=開発現場を管理しているため、イノベーションなんて起こらないのが当然だということ…創造性は三上とよく言われます。(トイレの上、お風呂の上、寝床の上)どれもないのが日本の開発現場。
そして、ロボットは先端技術ですが常に世界で最も安い労働力との価格競争にさらされ収益は常に人間の最低賃金と拮抗するということです。

結局解散になってしまったので その後は、研究所での直接雇用になりました。ハードウェアテストの研究助手です。
ここではNEDO関係の研究課題をやっている個人研究者たちの研究実態を知りました。
補助金をもらうのにみんなどれだけ大変か、とか。研究所に独立採算なんてありえない。だって基礎研究や応用研究と言っても基本的には役立つかどうか分からない、むしろ無用のことを研究するのが研究所なのです。役立つことしかしないなら進化しない

知は知のためにあって良い。それを実用化する担当は別の人なんだな。ところがそれが日本は弱いのです。クリエイティブ層がいない。仕組みを作る人がいないのですね。

この仕事は独立だったので非常にやりやすかったのですが、縁がなく次の外資の仕事へ。営業です。いったん断った入社を説得されて入りました。

■ 違う山域へ…

結局そこは余り良い職場ではなかったので辞めました(日本の外資は支店のようなものでどんなに頑張っても上がない)が、新規開拓営業だったので、人と話すことを怖いと思わなくなり、その後市場調査の会社でそのスキルが大いに役立ちました。市場調査の仕事では、”数字は作られるためにある”ということを知りました。ノンフィクションかと思ったらフィクションでした。

そして、市場という意味では、日本は世界の潮流から置いてきぼりを食いつつあり(ガラパゴス化)、それは日本の意思決定に携わる層は知っていてやっているのだということを学びました。

日本という特殊市場にしか生存できない企業群…。既得権でがんじがらめなので変化できない。

原発で日本だけの甘い安全基準が報道されましたが同じことはもっと多くの場にあります。世界から これではちょっと、という指摘を受けても変われない…のは原発がそもそも地震頻発地に立つのと同じことです。 分かっていてもやるものだから、ブレーキのない暴走列車に乗っているようなもの。

日本で送発電分離ができないことや一つの国に50ヘルツと60ヘルツの二つがあるなどはその端的な現れです。他の分野でも規制に守られ大幅に生産性が低いままカネ喰い虫の業界はたくさんがあります。汁を吸う側はダンマリを決め込み、ツケを払うのは無知な市民。

それは傍目にも見て取れる症状が露見しています。例えばマスコミとかそうでしょう。テレビなんておもしろいのはないという症状を呈しています。医療もそうでしょう。破綻しかけ。

反面、世界的競争に晒されている業界(製造など)はホントに空恐ろしくなるような偏執狂的ともいえる、頭が下がるような生産性の高さです。(今から日本はノウハウを売りに出す時代では。ノウハウをまとめることはあまり評価されない技術ですが。欧州のエンジニアは世界中でノウハウを売っています)

その後、携帯開発の仕事では海外でフィールドテストが多く(1ヶ月もホテル住まいができる仕事ってそんなにないです)もともとの海外で暮らすと言う夢を疑似体験できましたが(しかし、まぁ過酷な職場でした…初日で辞める人多数)せっかく海外で仕事をオファーされたのにもかかわらず断りました。

この職場で学んだのは、日本のソフトウェア開発の効率と開発環境が著しく世界的に劣っている、ということでした。この会社はノ○アが開発者2人で1週間でやる仕事を、30人1ヶ月でさせていたのです。この背景には行過ぎた高品質主義がありました。

そして、日本人の国際感覚のにぶさ…30人いるとそこはミニ東京です。その理論を外国の相手に押し付けようとします。相手がいらないって言ってるのに品質強化を強行。裸の王様です。

そうなってしまうのはそもそも多様性がないからです。相手先企業ではインド人や中国人多数ですが日本人は渡り歩けない。教育レベルが高く勤労道徳観も高いのに、多様性になれていないので、ちょっとしたことが疲れるのです。反面日本は均質性に助けられてコミュニケーション力不要で効率的に仕事できる。

この会社は案の定、不採算なので売りに出されてしまった(笑)。けど持っている技術は凄かったので、もったいない叩き売りでした。偏執狂的な労働集約で完成度を極限まで高めた技術をビジネスの仕組みが悪いために安売りせざるを得ない日本です。今多くの企業がいい技術を持っているのに生産性の低い経営で行き詰まり、たたき売りにあっているのと同じです。

このあと結婚もキャリアも両立できる仕事でなくては…と反省し、語学と知識を生かすならテクニカルライターだろうとソフト販売会社に転職しました。

ここでも日本の基幹系システムが世界から30年遅れていることを学びました。最近は改善されたでしょうか…。ディザスタ・リカバリー、暗号化技術、分散化、セキュリティどれをとってもシステムは30年前のアンティーク(汗)。

銀行の基幹システムが停止してたまに大騒ぎになっていますがあれも古いシステムをだましだまし使うからなんです。復旧も遅い。安全神話は原発と同じ構造で日本の大規模システムのセキュリティは空恐ろしい具合に荒廃していました。サイバーアタックにはもっとも脆弱そうでした。

日本では発想がモノ寄りなのです。仕組みやアイディアには価値を見出さない傾向が強い。セキュリティもです。

この会社では海外から有用なソフトを日本に持ってくるという仕事でした。

営業先となるのは、システム担当者。日本ではシステムというのは総務に属し、非専門家が専門的なことを任されています。とくにシステム関係は自分の在籍中に大過なく過ごせればいい、という意識が働くため(日本独特です。海外ではシステムはシステムの専門家しかやりません)営業=啓蒙活動です。日本にキリシタンを増やそう的な伝道者的な意識が要ります(笑)

やはりポイントは世界が先に進んでいて日本が遅れているという実態ですね。日本では一見しての便利さにみんな逆だと思っていますが(汗)実はアジアのほかの国のほうがサーバー管理は徹底していて、よかったりします。

例えば、ベトナムなどアジア諸国では固定電話の時代を経ず携帯の時代に入りましたが、同じように世界はイキナリ電気がない世界から最先端データセンターで携帯でネットバンキングの時代へ行ってしまうのです。

マレーシアではフェイスブックをスラムに住む女の子さえ使えるそうですし…日本が進んでいるというのは早晩に幻化です。日本はインフラ普及は早いのですが、相変わらず田舎ではパソコンを不振がって使わない人々の年齢層は低く、50代でもダメだったり。

昔は国際電話1分300円でしたが今では無料です。無知が高くつくことも知らない。

そして海外から見ると、日本市場はおいしいです。日本という市場は世界からみるととんでもなく凝縮された狩場です。半径10kmどころか5kmで商談相手が山といる。群落地みたいなものです。

だからみんな来るけど、密度が高い=効率的に売れる、というだけです。とくに東京だけ相手していれば日本全土がカバーできる、というような場所は市場としてみると驚異的に効率的です。

取引があったソフトウェア会社はテキサスにあったりで自家用ジェットが必需品なのだそうでした…日本じゃチャリンコで営業できます(笑)

そして、知っています?九州だけでオーストラリア全土と同じGDPがあるんですよ?なのに国内の意識はずっと親方日の丸…(汗)海外から見たらおかしな話です。

■ 別の山へ

そんなこんなふうに社会人生活をしていると、夫の転勤が発生 一緒に行く…というわけで、私の縦走はオールリセット。いったん下山です。

でも、九州では意外な仕事が舞い込んできたのです… 商社です。ほとんど理系ばかりの世界から文系職種へ。作業服からスーツへ。まったく違う山に登る。

その仕事は地元の集まりに出て名刺交換する、というような仕事です。経産省や地元の経済界主宰の会合に出るのが仕事。なぜ期間雇用の人にそんなことをさせるのか?というと、やはりそのような場には実際のビジネスは転がっていないからです。重要度の低さを表しているわけですが、それは経済振興を考える上で私には大変に役立つ知識でした。親方日の丸を当てにしても何にもならないのです。

まぁよく考えてみると補助金を当てにするような活動はビジネスではなく消費活動です。投資したらリターンが投資額より大きくなくては単なる消費。それは別に金銭で図れる価値だけでなくても良いとは思いますが…。

会った人たちの多くは「船長になれない人たち」です(笑)嵐がきたらまっさきに船を捨てる人が船の操縦権を持っていると誤解して、庶民の、ひいては日本の生殺与奪を持っていると勘違いしています。

頭の良い人が心根も良い人とは限らないと言う高校時代に学んだことを再確認…頭が良い人が国の将来を考えられるのではなくて、志があり考えたい人が考えられるのだ。そして国の将来を動かすのは官吏ではなく国民です。そこのところを国民も官吏自身も間違っています…

私だけでなく他の人も、この仕事をした後はなぜか「日本の将来が心配になる」といいます…(汗)

ただここでは財務諸表の読み方など学びましたし、会社として注力していたのは農業でしたから農業関連の知識も多少得ました。

さらに自ら仕事を作るという仕事のやり方を覚えました。山に行って、リポートを書くのと同じです。スケジュールを自分で埋める。誰も指示しない。やることが無いということはない。仕事はそこから次から次へと自然にできてくる。山に登ったら隣の尾根に登りたくなるのと同じですね(笑)

まぁ最初からしなくていいことと言えばそうとも言えるのですが…そんなことを言い始めたらどうせ死ぬのだから生きる意味がなくなります(笑)

■ 縦走路は霧の中

この経験は特異なだけに一体何のために私にはこのような経験が与えられたのだろうか?と最近特に考えます。

とりあえず今は今のところガスが掛かっていてこの先のピークに何があるのか見えませんが、道としては歩きやすい良い道を歩いているようです。上へ向かっているのは確かな感じ。

そんなこんな今日この頃です… どこへ続くのかなぁこの道。




 

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1 Comments(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (めぐ)
2013-08-08 17:49:33
はじめまして。子どもが幼稚園にあがるのを機に、社会復帰、何を目指そうかと調べ物をしていて、テクニカルライティングとは、といった検索からこちらのブログにお邪魔しました。
あの~、とっても面白い方ですね!経験と興味の広さと考えの深さに関心してしまいました。うらやましいです。
私は大学はそれなり?なところに行きましたが、まともに勉強せず成績も悪いまま卒業、派遣や家業の手伝いなど適当にしながら20代を過ごし、結婚、出産。二児をもうけて37歳になって、長い人生このままではやばい、と大学に戻って稼げる仕事に結びつく勉強をしようかと、いろいろネットで調べているところです。
ブログ主さんのプロフィールを読んで、私もまずはヨガを始めたいなと思いました。
山もいいですね。ワたしも子どものころからハイキング(六甲山系)は大好きでした。義母が山好きで甲斐駒に一度のぼりました。今はハワイ島在住であまり登れる山がなくさみしいです。
とにかく、面白い方だなあと思って思わずコメントしたくなりました。これからも素敵な人生を。
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