カリフォルニア便り ーFROM OQ STUDIOー

~南カリフォルニアから~
陶芸家の器と料理、時々王様の日々

冷凍庫の中の宝物 その1

2011年08月08日 | Food

私の心の状態を一番良く物語るのは、冷蔵庫の中身。

この中にどんなものが、どんな風に納められているかで、

他の方ではなく私自身が今の自分の心を知ることが出来るのです。

食べることは生きること。生きることは食べること。

まあこの歳なりにピンチや諸々のトラブルを経験する中で、つくづくと思うことです。

私は誠に勝手ながら人様の食に対する意識にその方の生命力を推し量り、安心したり心配したり致します。

メエメエと泣きべそをかきながら、私の作る料理をムシャムシャと頬張る部下を、

「シメシメまだまだこいつは大丈夫」と慰める振りをしながら見つめていた頃もありました。


私の冷蔵庫が危険信号を発するのは、その中身の色や栄養素のバランスが悪い時。

そんな時は、私の心の生命力が弱くなっていて、物事を否定的にとらえたり、

投げやりな時間の過ごし方をする傾向にあります。

下ごしらえに手のかからないものや、すぐに食べられる半完成食品の比率が増え、

やがて冷蔵庫の中がスカスカになって、代わりにパントリーで長期保存の出来る缶詰類等が増えるに至っては、

人を招くということから心が遠ざかり、いつしか心の扉まで閉ざしてしまいかねません。

心が弱くなっておりますと、免疫力が低下して、惹いては体調を崩すことにつながるというものです。

そのような時は心して台所に立ち、内面のエネルギーを充実させなくてはなりません。

近くに頼る家族も親戚も居ない私達が健康を害することで周囲に掛けるご心配やご迷惑は計り知れません。

それを心して暮らせずして、外国暮らし等はするものではありません。


そんな私には、冷凍庫にこれが入っている時は元気一杯!という品が幾つかあります。

今回は(どうせ長くなるので)2回に分けてその中の2品をご紹介致します。

 

まずはこちら、ご覧の通りのおにぎりです。

写真では大きさが把握出来かねるかと思いますが、

ふた口で食べられる程の、極く小さなおにぎりです。

私は通常御飯を一度に二合炊きますが、勿論その分量は二人で食べるには多すぎます。

で、余った御飯の行き先。

まずはお茶碗に軽く一杯分ぐらいずつをラップに包み、幾つかのパックを作り冷凍します。

こちらはお茶漬けや鍋物の後の雑炊、沢山溜まって来ましたらチャーハン等にするためのもの。

そして、その残りで一つでも二つでも極く小さなおにぎりを作って、

一つずつラップで包み冷凍しておきます。

写真のものには「ゆかり」を混ぜ込んであります。鰹節に醤油をまぶしたものを使うこともあります。

こちらはやがて、このようにBBQグリルでこんがりと焼かれて、焼きおにぎりになります。

本当に、ふざけているのかというほどに小さく作ります。

小さく作りますと、立食のガーデンパーティー等では食べ易く、分量も調節し易いのです。

でもそれより何より、小さく作ることで、焼きおにぎりの表面のこんがり感と、

中のふっくら感のバランスが、ワタクシ的に絶妙なのです。

あらかじめ御飯に味付けがしてありますから、

ハケで塗るお醤油やお味噌は、香ばしさを添える程度で充分です。

凍ったおにぎりをレンジで中まで温めて、グリルに乗せて表面を焼くだけです。

これはまた、飲み終わってもまだ物欲しそうな顔をしている酒客に、

頃合いを見計らいまして、同じ要領でオーブントースターで焼いて出したりすると、

私がスターになれる有り難い一品でもあります。

我が家のバーを訪れるお客様に、日本人はまず居られませんが、

焼きおにぎり、皆さん大好きですよ。


人をもてなすということは、贅沢なご馳走を並べることだけではありません。

自宅では面倒で割愛してしまったり、その辺にあるもので済ませてしまう様な部分、

例えば前菜とか、お酒の後のほんの一口とか、食後のフルーツ等を、

絶妙のタイミングだったり、ひと手間を惜しまずに盛りつけに少し凝ってみたり、

どちらかと申しますともてなす私の方が楽しめる様な演出が、意外に喜ばれることも有るものです。


「もう一品の心意気

これが持てるということは、私の心が健やかであるということ。

そしてそれを支えてくれる宝物が、冷凍庫に入っているということは、

私の心がオープンで、人を招き入れる準備が出来ていることの証なのです。

人との出会いは、あらゆる教えと、様々なチャンスを運んでくれます。

そんな人生の喜びを一つでも多く拾うために、私の冷蔵庫は存在しているのかなとも思います。


次回は、もう一つの宝物を。


では

 



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