行政の力を引き出さないと、できることは限られてくる。それには行政との「付き合い力」がポイントになる。
行政との付き合い力とは何か。あまり考えたことがないが、少し考えればいくつかのポイントが浮かんでくるだろう。
まず、ヒントとなるのは、ソーシャルキャピタルである。『ソーシャル・キャピタル;豊かな人間関係と市民活動の好循環を求めて』(内閣府国民生活局2003年3月)では、
・つきあいや交流、社会参加を活発に行っている人は、他の人と比べて人に対する信頼感が高い。
・人が信頼できると思っている人や社会参加を活発に行っている人は、他の人と比べてつきあいや交流が活発である。
と言っている。
要するに、地域活動や公共活動を活発に行っている人は、付き合い力が高くなるということだろう。こうした活動のなかで、考え方の違う人もいるし、思わぬ行き違いもある。それを乗り越えるには、他の人の意見を理解し、許容し、時には、自分の主張を強く言うなどの「付き合い力」が必要になる。この付き合い力がある人は、行政ともその延長線で付き合うことができるだろう。逆に言うと、違う考えを持つ人と、うまく付き合いない人は、その延長線で、行政ともうまく付き合えないのだろう。
付き合い方の技術というのもポイントだろう。最も基本は、相手の立場を理解するということである。この年になって思うのは、人生いろいろである。うまくいくときもあったし、嫌な思いもすることもあった。危ない橋を渡り、よく無事だったと思うこともある。多くの人は、そうした体験を経てきている。こうした体験を積めば、人生ストレートばかりではないし、いろいろだよなと思える。付き合う中で、相手もいろいろなのだと理解でき、多少の苦みも、併せのむことができる。
キリストではないが、石を投げられる人が、どれくらいいるのか。ただ、世の中には、自分を棚に上げて、平気で石を投げる人もいる。こういう人とは、あまり付き合いたくないというのが人情だろうから、こうした人は行政付き合い力が弱いということになる。
なかには、自分には、後ろめたいところなどない、だから石を投げられるという人もいるかもしれないが、要するに、その人は、社会経験、人生経験が不足しているということを示している。大人になるための通過儀礼を経てないということで、それが学生ならば、仕方がないといえるが、それが大人だったら、ある意味、そうした人と付き合うのは、正直、しんどい。
付き合い方の技術という点では、もっとたくさんのポイントがあるだろう。そんな本もたくさん出ているだろう。後日、時間があったら勉強しよう。