松下啓一 自治・政策・まちづくり

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◇高校の同窓会があった(元町・中華街)

2015-11-01 | 5.同行二人

 高校の同窓会があった。

 高校に卒業して、もう何年になるのだろうか。最初は、10年おきであった同窓会も、60歳を過ぎて5年ごとになり、次は、3年ごとになるようだ。当時450人くらいいた卒業生も、同窓会に来るのは80人くらいになり、次は何人になるのだろうか。この同窓会の幹事をやってくれているI君は、当時から面倒見の良い男で、彼のような人がいるから、定期的に同窓会を開くことができる。

 私は、高校時代は、落語研究会に入っていた。古典落語をやっていて、あちこちに慰問に行った。同時に、落研の同期のメンバーは、みな応援団にも入っていた。それは、I君が団長だった応援団が風前の灯となり(東大紛争の前で応援団の時代ではなかった)、I君たちの学校を思う気持ちに応じて、手助けのつもりで応援団に入ったのだった。応援団というと右翼的なイメージであるが、自由を標榜する元神奈川県立一中(希望ヶ丘高校)の応援団なので、思想的に縛られることもなく、自由だった。校歌のほか、応援歌などの古語交じりの歌をいまでも覚えているのは応援団のおかげである(今回もI団長の指揮のもと、前に出でみんなで歌うことになった)。

 当時の落研の仲間は、みなそれぞれの分野で活躍し、今では定年を迎えた人もいるが、まだまだ現役の人も多い。大きな会社の社長や副社長で頑張っている人もいる。年に1度、生死確認会と称して集まるが、集まれば高校時代のままである。

 同窓会における、もうひとつの楽しみは、昔、あこがれたKさんに会うことである。向こうは、私のことをどのように思っていたのか、今となっては、よくわからなくなってしまったが、今回もゆっくりと話すことができた。当時は、きっとした、冷たい感じの美人であったが、今は、穏やかに、微笑みを絶やさない、品の良いおばさんになっている。幸せな暮らしをしているのだろうと思うと、こちらまでうれしくなる。

 実はKさんと私の連れ合いは、中学時代の同じクラスだった。転校生である連れ合いは、Kさんとは、特に親しかったわけではないが、同級生が共通点となって、さらに話が弾むことになる。人生は不思議なものである。3年後、元気でお会いしましょうと別れたが、私も元気で頑張ろうと思う。

 そのほか、思わぬ人に出会い、すっかり忘れていたことをいくつも思い出す会となった(忘れたいことも思い出した)。

 

 

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