松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆ヤングケアラー法・「過度に」は定義なのか

2024-07-13 | ヤングケアラー
 改正法では、ヤングケアラーは、世話を「過度」に行っている子ども・若者とした。果たして、これはヤングケアラーの定義なのか。定義ではなく、代表例のひとつに過ぎないのではないか。

 一般的には、これを定義として捉え、「過度に」とすると、そこから落ちこぼれてしまうヤングケアラーが出てくるのではないかと懸念され、この「定義」は妥当でないと批判されている。

 hoti-ak さんからの示唆を受けて、あらためて考えてみた。

1.子若法の一部改正 
 子若法の一部改正法としてヤングケアラーが規定された。該当規定は、第2条の基本理念と第15条、16条の関係機関等の支援・責務の規定で、ここにヤングケアラーが出てくる。そして「過度に」が出てくるのは、第2条である。

2.ただし、第2条は基本理念の規定で、定義規定ではない
 第2条は、基本理念の規定で、次のように規定されている。
 第2条 子ども・若者育成支援は、次に掲げる事項を基本理念として行われなければならない。
 7 修学及び就業のいずれもしていない子ども・若者、家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者その他の社会生活を円滑に営む上での困難を有する子ども・若者に対しては、その困難の内容及び程度に応じ、当該子ども・若者の意思を十分に尊重しつつ、必要な支援を行うこと。

3.第2条第7号で言いたいこと
 第2条は、支援に当たっての基本理念を書いていて、第7号の趣旨も、社会生活を円滑に営む上での困難を有する子ども・若者に対しては、その困難の内容及び程度に応じ、当該子ども・若者の意思を十分に尊重しつつ、必要な支援を行うこと」というのが、基本理念である。ここで言いたいのは、あくまでも「適切な支援」である。

4.そして、支援の対象は、社会生活を円滑に営む上での困難を有する子ども・若者
 そして、その支援の対象は、社会生活を円滑に営む上での困難を有する子ども・若者である。「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」は、その例示である。

5. 「日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」は分かりやすい例
 分かりにくいかと思うが、言いたいのは「社会生活を円滑に営む上での困難を有する子ども・若者」に対する支援で、「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」は、その一例であるということである(ヤングケアラーは、今回の改正で法制度として初めて認められたわけではなく、改正法ができる前だって、ヤングケアラーは、支援の対象だった。改正法は、あくまでもそれを明示しただけ)。ここではわかりやすい例として、日常生活上の世話を「過度に」行っていると認められる子ども・若者をあげたと考えるべきだろう。

6.定義としておいたわけではない
 繰り返しになるが、第2条の第7号は、定義の条文ではない。
 一般的に定義規定は、施策の相手方や範囲(ここでは支援の対象者や範囲)を限定するために定義規定を置くが(規制条例では無秩序に規制してしまったり、支援条例では、限られた資源を無限定に使うことになってしまう)、ここでは、施策の対象や範囲を限定するという趣旨で、「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」と書いたわけではない。あくまでの一例である。

7.実務では、「社会生活を円滑に営む上での困難を有する子ども・若者」かどうかで判断
 これまで実務では、「社会生活を円滑に営む上での困難を有する子ども・若者」かどうかで判断して、対象者を決めてきた。「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」が加わったからと言って事情が変わったわけではなく、実務では「過度」かどうかの審査は必要ない。定義ではないのだから。これまで通り、これからも、そのまま続ければよい。

8.はたして立法技術として「過度に」は必要だったのか
 この規定は、「修学及び就業のいずれもしていない子ども・若者」に続いて書かれている。未就学や未就業の子ども・若者は、引きこもりや不登校等が対象であるが、たとえば自分の選択として、修学や就職しない子ども・若者だっている。ヤングケアラーの「過度に」との対比で言えば、こうした子ども・若者を除外して限定するための文言、たとえば「自ら望むことなく」修学及び就業のいずれもしていない子ども・若者といった限定が必要になってくるのではないか。

 分かりやすい例として、私のゼミ生の弟で、子どもタレントとして活動しているため、本人や親の意思で、学校に行っていない子どもがいた(ちょっと驚いたが)。この場合も、「修学していない子ども」として「支援」の対象なのか。別の法律で、就学の指導や勧告の対象になるかもしれないが、子若法の「支援」の対象ではないだろう。
 修学及び就業についても、そういうケースがあるが、条文では、「自ら望むことなく」修学していない子どもとは書いていない。

 ならば同じことは、ヤングケアラーにも言えるのではないか。別に「過度に」と書かなくたって、(家族の介護その他の日常生活上の世話を行っているために)、「社会生活を円滑に営む上での困難を有する子ども・若者」でも意味が通じるだろう。あくまでも「社会生活を円滑に営む上での困難を有する」かどうかがメルクマールだからである。

9.厳格に言えば、8のように言えるかもしれないが、素直な市民感覚から、「過度に」を入れた意味も理解できる。
 「修学及び就業のいずれもしていない子ども・若者」と聞けば、普通、不登校や引きこもりをイメージする。タレントになるためにといった例外的なケースは頭に浮かばない。誰もそんな例外をイメージしないから、そうした例外的なケース除く文言を条文に書くまでもない。
 
 他方、「家族の介護その他の日常生活上の世話を行っている」子ども・若者とすると、普通は、家の手伝いをイメージするだろう。ここで問題にするヤングケアラーは思い浮びにくい。だから、お手伝いを除き、ヤングケアラーをイメージできるように、「過度に」と書いたのだろう。

 「普通、何をイメージするか」。それが未修学・未就業とヤングケアラーを書き分けた違いではないか。この文言の検討過程は明らかではないが、子若法は、いわゆる保守系から圧が強い法律であり、この市民(議員)イメージを意識しながら、つくっていったのではないか。

 要するに、法的には「過度に」と書く必要がないかもしれないが、市民が理解でき、共感できる一般感覚を大事にして、「過度に」と書いたのだと思う。内閣法制局の法令審査では、以上のような議論が行われたのではないかと想像されるが、「まあいいか」になったような気がする。

 (追記)以上のようにちょっと考えてみたので、今書いている原稿(『支える人を支えるまちを創る・その理論と政策』)の記述を直した(読みやすいように、ここでは改行した)。

 改正された子ども・若者育成支援推進法(以下、「子若法」)では、いわゆるヤングケアラーは、「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」(第2条第7号)と表記された。
 これは、本来の定義とはいえないものであるが、法改正後は、これがヤングケアラーの定義だといわれるようになった。

 誤解が生まれているので、念のために詳述すると、第2条第7号の規定は、子若法の基本理念を定めた条項で、必要な支援を行うべき「社会生活を円滑に営む上での困難を有する子ども・若者」の例示のひとつとして、この「家族の介護その他の日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子ども・若者」が規定されているものである。

 本来の定義規定ならば、施策の対象と範囲を限定する機能があるが(限られた資源を投入する範囲を決める必要がある等)、ここでは「困難の内容及び程度に応じ、当該子ども・若者の意思を十分に尊重しつつ、必要な支援を行うこと」(第2条第7号)が、この規定の主眼であって、その施策の代表例として、「世話を過度に行っている」子ども・若者をあげたものであることに注意すべきである(したがって、ヤングケラーかどうかの審査基準では、これまで通り、「社会生活を円滑に営む上での困難を有する」かどうかを基準にすればよく、実務の運営に当たって「過度に」を過度に意識する必要はない)。


 
 

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