松下啓一 自治・政策・まちづくり

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◇マロン君が死んだ

2024-07-04 | 5.同行二人
 6月15日、マロン君が死んだ。18歳だった。だいぶ日時がたったが、ようやくブログに書けるようになった。

 6月10日は、夕方よく散歩し、元気だった。翌11日のいつものように起きてきたが、朝食を食べなかった。たまに食べたくない時もあるだろう、昼には食べるだろうと思っていたら、お昼には、もう歩けなくなった。すぐに、病院に行ったが、尿に細菌がいっぱいあると言われて、注射を打てば大丈夫かと気楽に考えていた。

 翌朝、病院に行き、検査のために預けることになった。夕方、検査結果を聞きに行った。細菌性の病気くらいに考えていたら、最末期の肝臓がんと診断された。今日死んでもおかしくないとも言われた。末期がんだなんて、まったく気がつかなかったし、昨日まで、普通に散歩していたのに。

 15日に死ぬまで、寄り添って暮らした。本人も死ぬ気などなかったろう。何度も立ち上がろうとし、水も自分で飲んだ。私は肝臓がんは誤診ではないかと疑ったくらいである。

 前回は、親戚が集まったら、一気全快したが、今回もすぐにみんなが集まったが、そうはいかなかった。それでも、みんなが来ると、マロンはうれしがり、立ち上がって、しっぽを振った。

 マロンが末期がんなどのそぶりは全く見せなかった。私たちに心配をかけないように暮らしていたのだではないか。

 最後は、私の腕のなかで、そして連れ合いに腰をさすられながら、力尽きた。死の直前に、マロンが、一番大好きなお兄ちゃん来たので、うれしそうな顔をしていた。死に顔も、穏やかだった。


 看取るまでの数日間は、凝縮された期間でたくさんの思い出もあるが、ここで書く必要はないだろう。このブログは、私が死んだ後に、連れ合いが見るのではという想定で研究以外の思い出を書いているが、マロンの死は、連れ合いには深く印象に残っていて、書くまでもないだろう。

 マロンが死んで、心したことがある。私と連れ合いは、同級生なので、時には突っ張り合うことが起こる。そんなときに間に入るのがマロンだった。仲を取り持とうとすり寄るのである。だから、マロンが心配するから、「わだかまりはなしにしよう」としたことが何度もある。でも、今後は、それがない。
 マロンが死んだ日から、私は、連れ合いの言うことに反論したり、抵抗したりしないことに決めた(連れ合いも同じことを考えているような気がする)。
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