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女郎屋で働く女性達のほとんどは、各地の貧しい村落や没落した武士の家などから借金のカタや生活難などを理由に、幼い頃に女郎屋に売られてきた女性達でした。
→こうした女性達は多くの場合、幼い子供を親から買って遊郭に周旋する事を商売とする「女衒(ぜげん)」と呼ばれる仲介業者によって遊郭に売り渡されました。
→現代の感覚からすると、非道な話だと感じますが、当時の価値観としては、どうせ満足に食べさせられず飢えさせるくらいなら、遊郭でしっかり食べさせてもらった方がマシという考え方があったのです。
→女郎達は幼い頃(5歳から10歳前後)に遊郭に売られ、初潮を迎えると客を相手に働きはじめます。女郎達の定年は早く20代を過ぎると段々と需要が落ちていきます。
→概ね28歳になると暇を出され、女郎屋を出て恋人の元へ行くか、年齢制限のない格の低い女郎屋へと移るか、または「遣り手」として女郎屋に残って働くかなど限られた選択肢から生きる道を選ぶしかありませんでした。
→そんな中で、女郎達にとって最も幸せな道だとされたのが、高級女郎となって富豪のお気に入りとなり、身請けされる事でした。お金持ちの下での幸せな人生が保証されるので、多くの女郎達にとっての目標でした。
→しかし、多くの女郎達はこの様に、比較的に幸せな結末を迎える事は出来ませんでした。避妊や性病への意識が低かった当時、梅毒に感染し命を落とす女郎達が後を絶ちませんでした。
→梅毒に感染すると次第に悪化して死に至りますが、潜伏期間があり、その間は何をしても良い期間として持て囃され人気が高まったと言います。しかし最後は病状が悪化し、客が付かなくなり女郎屋からも放り出されます。
→あまりにも恐ろしい結末ですが、これが当時の女郎屋の現実とも言える光景でした。人権という概念がなかった時代、生きる力のない者は無慈悲に打ち捨てられてしまったのです。
→今回は、江戸時代の遊郭に存在した女郎屋についてまとめてきました。そこで働く女郎達の多くは自分の意思とは関係なく連れてこられ、最後は悲惨な運命をたどる事も多かった悲しい存在です。
→そのシステムが消滅した現在でも、小説や映画、漫画などのテーマとして度々取り上げられるなど、その華やかな雰囲気と裏に潜む悲劇は不思議な魅力で人々の興味を惹きつけています。
😭沖田総司の本を読んでて、「女郎屋」という言葉が気になったので、ネットで調べてたらコレ。江戸時代の女性の扱いひどすぎ…ほんの150年前の幕末はこんなんだった
🙄こんな時代、女を食い物にする男だらけでしょ。西暦2022年間の、ほんの150年前の話。男は長いこと女を虐げ続けてきた証拠。もちろん、ばくかれに出てくる女を大切に扱う紳士な男なんているわけないと思う。当時を生きてたわけじゃないからハッキリ言えないけど。
😨食べるものにも困ると、売春してでも、食べるものにありつける方が幸せだろうとか思われちゃう。まあ、これも、売られる本人の声じゃなく、売る親側の声しか残ってないからなんだろうな。
😨沖田総司のことを女遊びしない人とずっと思ってたのに、「三試合の終了後、血気盛んな若者たちは、府中の女郎屋に繰り出して店を借り切った。後援者の顰蹙(ひんしゅく)を買ったようだが、総司も参加したと思われる」っていう一文出てきてショック…
🙄こんな無法地帯、「血気盛んな」若者が女を犯すなんて、日常茶飯事だったろうな…誰も取り締まらないし。いまの時代に生まれてよかった😭 親の事情で女衒に売られることも、食べ物に困ることもない、犯される危険も少ない。今の暮らしは当たり前じゃないよ。