玖波 大歳神社

神社の豆知識

現代(従来環境の崩壊) 三 共同体の変化  一 一次産業の崩壊

2012-01-27 12:33:06 | 日記・エッセイ・コラム

三 共同体の変化
 一 一次産業の崩壊
 戦後の方針で財閥解体と農地解放がなされたが、財閥解体は上手くいかなかったために高度経済成長の原動力となり、農地解放は厳格になされたことにより、大地主から小作等に農地が分けられ、農業は小さな田畑を三ちゃん農業で効率化だけを頼りに行われてきたが衰退の一途を辿っている。農地は売買され家が建ち、減反を繰り返し、豊作でも喜べない現状を考えると人々は農業をする意味を見失ってしまうであろう。見失った人たちは故郷を捨て新天地である都会の二次産業三次産業へと出ていってしまい、農村は過疎化していっている。農業の法人化が言われると、なぜ、あのとき農地解放を行ったのだろうかと疑問に感じる。政府の政策通りにならなかった方と徹底してなされた方との違いを、今日の政府の政策を判断するときには考えてみなければならない。
 漁業についても工場の廃液等で海が汚れ、公害による魚の奇形や漁獲不振が生じたこと、また、多くの埋め立て事業により漁場は狭まり、潮の流れは変わり、海の自然浄化作用も機能しなくなり海を諦め、農業と同じように職場を求めて都会へ出ていくことになっている。
 単なる都会への憧れであれば、夢が覚め元に戻る可能性もあるが、現実の大きな壁がある以上、この流れをくい止めることは出来ないであろう。
 江戸時代前期においてもよりよい生活を求めて「走り(欠落・逐電・退転)」をする者が多かったが、領主達は農民の減少を年貢の減少と一致させて考え、「走り禁令」・「人返し令」などで「走り」の抑制に努めていた。その結果、走ってきた者を本百姓として迎え入れることもあったり、大開墾を行う為に他領地者を招致するなどの農村政策が採られ・比較的安定していた有力な農民は、庄屋・肝いりとして村政の運営を握り、領主は管理を行うために連帯責任による村請制度を確立していった。それぞれが自分たちの事を真剣に考える時代であった。しかし、現代の指導者には農業が無くなったとしても構わないくらいの考えしかなく、農業崩壊に対する危機感がない。故に農業に携わる者にとって可能性の見えない時代が続いているのである。
 近年専業で成り立つ神社は自動車の祓い・地鎮祭・商売繁盛などの雑祭諸々を中心に行っているように感じる。逆に、豊作・豊漁を祈り、祝うことを基本としている神社にとって、一次産業の崩壊は自らの崩壊を意味し、神の概念から言っても大きな柱の一本を失うことになる。だからと言って、ただ単に合祀による統廃合を行い、運営の成り立たない神社をなくす方向は早計であり、山崩しの上の棒だけが残っている姿を連想させ、末端の神職も職業選択の自由だからと言って、神職を捨てることも有ってはならないと思う。兼業などのあらゆる手立てを講じても神職を繋いでいくべきである。そのために、包括団体などは維持に努力する意思のある後継者が生きていけるように誠意のある柔軟な発想を以て対応して欲しい。また、生産の大切さを訴え続ける必要性がある。農業を自らの手で行っていない現代でも、稲作社会の内(弥生時代の延長線上)にあるのだから一次産業が国内において復活する可能性は十分にある。不遇な時代こそ次の時代のための準備期間として努力研鑽を積み重ねていかなければならない。

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