大友家子孫

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歴史余談 (2) 大友氏の改易後・・・一族の奮起

2022-07-28 23:44:30 | 歴史・家のルーツを知る

○ 大友義統の弟2人とその次男主殿が細川氏に仕官。主殿は勿論、この叔父2人は、島原の乱で、「朝鮮の役(えき・戦い)で、秀吉より、戦線離脱や卑怯者呼ばわりされ、改易されたので、その汚名をそそぐべく、死の物狂いで戦ったようだ、叔父の一人は、このとき、落石で、大怪我をして、後に、殿(細川氏)より、褒美として、加増されたようだ。」

○ この前、関が原の戦いでは、同じく、細川氏に仕官した「清田氏」は「一番槍の手柄を立てている。・・・大友氏への汚名をそそぐべく、がんばったようだ。」


歴史余談 (3) 大友氏の没後の縁戚関係 

2022-07-23 22:49:44 | 歴史・家のルーツを知る

熊本市内中心に、大友氏関係を見てきたが、大きな家柄ほど、たいした家柄でも、ないところと、割とくっついているな、と思った。熊本で低い家柄が豊後で高かった地位の人と、結婚した例がいくつもあるように思える。逆に、早く滅びたか、調子の悪くなった家や農村部の家は、これ以上、落ちてはいけないと、同等かそれ以上の家と結びつく、時には、昔は、相当な家柄と結婚する例もある。大友氏一族が、滅びて、熊本へ来てからは、普通の士族の家柄やどうかすると、庄屋階級とか、金上げ士族あたりとも、縁戚関係を結んでいる。