東日本大震災復興支援市民活動ネットワーク宮城(代表:阿部 寛行)

※H27年4月を持ちまして本活動は(社)Kotネットワーク本吉に引継ぎました。本ブログは4年間の活動の記録です。

ボランティア振り返り

2015年02月24日 | 「減災体験」~小泉自然楽校
小泉自然楽校 ボランティア振り返り



昨年の夏バスに乗り損ね行けなかった宮城にリベンジ!ということで
気仙沼の小泉地区へ来ました!
1日目 語り部ガイド、減災体験、地域の方々との交流
2日目 観光

・小泉地区の人々との交流
あべさん ワカメ漁師
気仙沼はワカメやめかぶがよく獲れる
めかぶはワカメの一部であることが判明
たった1メートルの段差で目の前の家が流され、自分の家は無事だった

老人クラブの方々
(及川、山内、加納、中舘さん)
何があっても最後まで笑顔と元気、を心掛けていたため少し緊張していたけど、加納さん宅でニコニコ笑顔に出迎えられ、全身で温かさを感じた。
くるみもちとお雑煮作ってくれていた。握手した手がとても温かくてお別れするのがとても淋しかった。また絶対来ようと思った。




千葉さん(自治会長)と及川さん (議員 )の話
津波の生々しい話
海岸から6キロも離れた海が見えない場所にも津波が来ていた
ビーチや松林が流され今は跡形も無くなってしまった(ホテル)
財布や忘れ物をを取りに戻ったちょっとしたことで流されてしまった
体の一部が無かったり腐敗した状態で見つかった人もいる
津波が来たらとにかく上に逃げる



・減災について
東日本大震災語り部ガイド
仙台、石巻コース
仮設住宅、普通の住宅、イオンが近所になっていた。ここでは仮設住宅に住みながらも買い物などが可能。中心部は復興しつつあるが、周りの小さな地区はまだまだ復興していないのが現状だった。

南三陸志津川コース
ホテル観洋:かつて避難所だった
さんさん商店街:看板もなくアクセスしづらい所にあった(車で来ることができた)
防災対策庁舎:同い年くらいの女の子が被害に遭っていた

気仙沼、本吉、小泉コース
指示のとおり避難したらかえって津波が来てしまった避難所
途中で切れてる橋(この5メートル上まで津波が来た…)
海岸から6キロ先の海が見えないスーパーまで津波が来た

今回学んだ減災
誰かに安全を委ねる防災よりも自ら安全を確保する減災。
災害に遭ったパニック状態のとき、誰かの指示を鵜呑みにせず、自分でも判断して逃げることが生きる力。

分かったけど、実践するのはなかなか難しい…忘れないようにしよう!!(ー ー;)




ボランティア活動振り返り

2014年04月19日 | 「減災体験」~小泉自然楽校
総括
この四日間で多くのことを学びました。
初めは被災地の現状を知れたらいいなあと思って東北にやってきたましたが、被災地の現状を知っただけではなく、他にも様々なことを学べました。

被災地の状況は自分が思っていたよりも悲惨でした。
現地の人と話すことでその当時の様子を詳しく知ることができました。
誰もが過酷な経験をしており、一人一人にそれぞれの辛いドラマがありました。
震災はとても多くの人を殺し、不幸にしました。

このことは現地に来なければ頭では理解できても心では理解することはできなかったと思います。

三年が経ち、人々の被災地に対する関心は薄れつつあります。
テレビなどで報道されることも少なくなり、僕自身東北の復興は順調に進んでいるものだと思っていました。

しかし、現実は違いました。
仮設住宅には未だに大勢の人が住んでおり、防波堤もまだ造られていない状況でした。

もっと多くの人々が被災地の現状を知らなくてはいけないと思います。
僕たちにできることで、最も被災地の人々の力になれることは、この現状や自分たちが感じたことを自分の周りの人々に伝え、広めていくことであると思いました。

この四日間の体験で、僕は様々なことを学び、感じました。
福岡に帰って、できるだけ多くの人にここで学び、感じたことを伝えようと思います。

ボランティア活動振り返り

2014年04月18日 | 「減災体験」~小泉自然楽校
・四日間の総括
●ボランティアについて
この四日間でできたボランティア活動は復興に貢献するものとしてとても微力なもので、正直どこまでの成果をあげることができたのかは全く分からない。ただボランティア活動を通して感じたことは、ボランティア活動はギブ&テイクであることでした。それもかなりのハイリターンでの。被災者の方と触れ合っているだけでその笑顔に、そのエネルギーに、これから頑張る勇気を頂くことができました。

●地域の方との交流について
予期せぬ大震災によって一瞬にして多くを失うこととなった地元の方々。それにも関わらず、前向きに生きていこう、この悲劇を語り継いでいこうという姿勢に驚きました。元の町並みを取り戻そうとするばかりでなく、そこから先の町の発展まで見据えた計画を考えている人々のたくましさには人間の強さを教えてもらい、自分も人間ならこのようなたくましさをもしかしたら持っているのかもしれないという希望を頂きました。つい災害を他人事と考えてしまう福岡では決してみられない人々の生きる力強い姿勢から多くのことを学びました。

●減災について
この悲劇を無駄にしないためにも、僕たちにできることは、来る災害に備えて準備をする「減災」だと今回学びました。今回見た被災地の現状、現地の人々から聞いた被災当時の状況、避難時の状況、そこから得た教訓を地元で活用し、さらにここ小泉で知り合った仲間たちと共有することで全国的な減災ネットワークを展開することが大事だと思いました。

●小泉自然楽校について
最初は日常からあまりにもかけ離れた生活に嫌悪感を隠しきれなかったものの、災害などの緊急時においての生活を平時に学ぶことの大切さを感じ、この体験をできて本当によかったと思いました。ほとんどのことを自分たちの力で進めていくことにやりがいを感じ、生きる力が向上したような気がします。

★校長語録
「ささいなことでもいい、何か自分の人生の御旗をもて」
僕が今回の小泉の地で見つけた御旗は「この目で確かめる」というものです。来てみて初めて分かること、初めて沸き起こる感情、来なければ経験できないものばかりでした。たった一度の人生で自分の目で多くのものを感じ取っていこうと思います。

ボランティア活動振り返り

2014年04月17日 | 「減災体験」~小泉自然楽校
ちょっと見てみようか。

くらいの気分で訪れました。自分の意思で決心したわけではなく、鶴が誘ってくれたからいい機会だと思って、一度行っておけば、他の友達にいい恰好できるかなんてことも考えました。

来てみると、メディアでの東北と実際の東北、また、市民の声は違うということに今更気付きました。

その程度にしか自分が考えることができていなかったことが申し訳なく、何より恥ずかしかったです。今では行きがけのような気持ちは勿論無く、なるだけ多くの人にこの現状を知ってもらいたいので、情報を広めていきたいと思います。

それがいつか、次の震災の時に役立つからです。

自分の命を守ることができる人が増えれば増えるほど、被害は小さくなります。そのためにここに来た僕たちがゼッ曲的に情報を公開、共有していきます。

ここへ来て学んだ事として特に心に残っていることは、常に先を考え続けるということです。その場その場の判断で動いていると必ずつまっていき、焦りを生み、失敗に繋がっていきます。

もしその方法が染み付いていれば、災害時に正しい判断をすることができません。
瞬時に正確な判断をすることが大切で、そのために何手もの先を読む。そういった意識のきっかけをこの自然楽校で身体に取り込むことができたので何としても自分の物にしたいです。

最後に、自分はプロサッカー選手を目指していると言いましたが、その根本は変わりません。しかし、サッカー選手を目指しながらも東北のためにできることはあります。

それは、多くの人にこの地を訪れてもらうこと。そのために沢山呼びかけをして、とりあえず来年までに15人の福岡人を送り込むことを目標に福岡でも頑張ります。

短い時間でしたが本当にお世話になりました。

ボランティア活動振り返り

2014年04月16日 | 「減災体験」~小泉自然楽校
東北から帰ってきました!
実際に被災地を見て、いろいろと感じたことがありました。

みなさんにとっての震災とは何でしょうか。
過去の悲惨な出来事、そんな認識かもしれません。

しかし被災地の人にとって震災とはいまだに終わらない、今現在も続いている出来事なんです。

その震災の記憶は今、風化しようとしています。
震災のことはこれからの世の中に伝えなければならない。
そのためにも、みんなに震災のことをきちんと知ってほしいです。

時間のある人はぜひ、その目で東北の現状を見てきてください。
直接経験からしか得られない何かがあります。