東日本大震災復興支援市民活動ネットワーク宮城(代表:阿部 寛行)

※H27年4月を持ちまして本活動は(社)Kotネットワーク本吉に引継ぎました。本ブログは4年間の活動の記録です。

心の耕しキャンプin春野

2011年07月19日 | 日記

浜松市市政100周年記念 夢と希望を持って未来へ
心の耕しキャンプin春野
~被災した子どもたちのために~


宮城県を中心に、被災された家族の方々を対象として参加費、諸費無料で静岡県浜松市にてキャンプを行います!

内容としましてはシカ肉をつかったBBQや浜松のうなぎ料理食事会、 
ほか自然体験として山の探索、昆虫採集などを行う予定です! 
子どもたちは夏休みの自由研究はこのキャンプで終わらせちゃおう♪ 
静岡県浜松市で美味しいもの食べて、いっぱい遊んで楽しんじゃおう!
ひと夏の楽しい思い出作りをお手伝いします!!!
みなさまぜひ、ご家族お揃いになってご参加ください 
【※注意】雨天時などは予定されたイベントが変更されることがあります。 

●対象:小学1~6年生のお子様がいらっしゃる家族の方々 
●日時:7月24日(日)~31日(日)(24日、31日は移動日) 
●場所:春野山の村 静岡県浜松市春日野杉943-1 
●募集人数:定員50名

心の耕しキャンプin春野 イベント趣旨

静岡県は浜松市、都会っぽさと田舎っぽさが混ざっていてとても住みよい街です。
僕は宮崎県出身で、進学のためここを訪れたいち大学生なのですがとても浜松市を気にいっております^^
とっても良い街です。

東日本大震災の後、スポアートサポートとうかいを立ち上げ震災復興支援活動を行ってきました。その活動を通して中学生から大学生、社会人の方々…と多くの熱い心をもった方々に出会いました。
浜松には良い人がたくさんいる。そして良いめぐりあわせがたくさんあります。

そんな町、浜松に被災した子どもを含む家族の方々をお呼びして遊んでいただきたい!
ここ浜松の良さを知って、堪能していただき、楽しんでいただきたい!!!
浜名湖鰻や浜松餃子、鹿肉BBQなど美味しい料理もご用意して、
家族で夏休みの楽しい思い出を作っていただきたい!
いっぱいの笑顔で震災の悲しい記憶を少しでも吹き飛ばしたい!!

そんな思いから、春野山の村を使ったキャンプを企画いたしました。
大学生ながら出来る事って何だろう。お金もない、ツテだって少ない。
そんな僕たちに出来る事って何だろう?
被災された方々のために出来る事って何だろう?
被災された子ども達に笑顔になってもらうにはどうしたらいいだろう?

悩む日々の中、大人の方々の大きな力も借りることができ、「よし!浜松市で被災地の方々を呼んでキャンプを行おう!こちら(浜松)に宿泊していただき、楽しいイベントやおいしい料理などを用意して笑顔になっていただこう!」とキャンプの実行を決断しました。

4月2日、初めて現地の状況を、津波の、地震の恐ろしさを目の当たりにして
それを思うとただただ胸が苦しくなる毎日が続きました。
現地での活動を終え、静岡に戻ってきてから浜松市の大学生を中心に活動する団体を立ち上げ、復興支援活動に携わってまいりました。

避難所で出会った子ども達、被災した子ども達、実際に被災していなくとも友達や家族、親戚の方が被災した子ども達。拾いきれない悲しみが被災地にはあります。でも少しずつ、僕らの力で、元気を笑顔を取り戻していきたい!!!

もっと笑顔の輪が広がりますように!被災地のみならず浜松市!静岡県!日本全国が笑顔であふれますように!キャンプの準備、またこれからの活動を行って行きます!^^

表に出て活動をしてみると学生の力ってとっても大きい。けどやっぱり小さい。
大学生、また社会人のみなさまの力が必要です!
是非ご支援ご協力の程よろしくお願いいたします!


NPO団体スポアートサポートとうかい代表 大薗政伍


7月18日石巻市立湊小学校

2011年07月19日 | 日記

今日の活動は、キッチンのみで石巻市立湊小学校でした。

湊小学校は、GWに宮崎牛のバーベキューをやったところで、私は2度目の活動実施の場所・・・

この場所を決めたのは、今回16日に一緒に活動をした「ボーイスカウト神奈川連盟 県央地区」の稲葉代表からのお声かけがあったからです。一緒に活動をできるこの日を楽しみにしていたのですが、今日は、朝からトラブル発生!

 もともと湊小学校のイベント等の受け入れを行い、調整をしていた団体(現在この団体は、避難所運営には何の関係もなく、ボランティア団体として活動をしているだけです。)からテントの使用とキッチンをやる場所について怒鳴りこまれてしまいました。湊小学校は6月1日から被災者の方々が本部長、副本部長となり本部運営を行っていて、前日にも調整をボーイスカウトさんとして、テント使用と場所について双方了解の上で準備に入ったにも関わらず、この団体は、嫌がらせのような態度でこちらに怒鳴りこみにきて、ネットワーク宮城に来ていたボランティアの方々はびっくりしたとともに、嫌な思いをしてしまいました。(イベント調整の方が謝りにきたのですが・・・団体の代表者は怒鳴ったまま何も言わず)

 しかし、この怒鳴りこまれたことが、体育館内のキッチンを使用させてもらえることにつながり、ハエがすごく多かったので逆にうちは衛生面を考えるとよかった結果を生むこととなりました。

 お肉と野菜は、配食するまでは蚊帳の中に並べたテーブルに置いておけたので、準備も万端で提供開始の1200を迎えることができました。

 この間にコーヒーを提供している団体の代表者と話をしたのですが、ボランティア団体があと数カ月の間に撤退をしていくが、その後においても支援は必要であり、いかに団体同士が協力をして継続していくかが、必要ですよね!という話になり、そのことは私も感じていることだったので、お互いに協力できることはやっていきましょう!ということで連絡先の交換をしました。

 子ども広場は、ネットワーク宮城は人数的なことがあり、たくさんの種目を用意した「ボーイスカウト神奈川連盟 県央地区」の子どもプロジェクトのみの実施となりました。

今日で、ボーイスカウトさんの遊びを見るのは2回目だが、やり方がうまい!

ただ単に遊ぶだけではなく、日常生活や非常時において使用できるロープの結び方につながったりしていて、実力があるので勉強をさせていただいた気持ちでいっぱいです。

 ボーイスカウト神奈川連盟 県央地区のみなさま、ありがとうございました。一緒に活動ができてよかったです。


7月17日 気仙沼市 面瀬中学校仮設住宅

2011年07月18日 | 日記

 キッチンメニューは豚肉と野菜の山賊焼き、豚の角煮、鴨肉、野菜たっぷりスープ!

第1陣として、豚の角煮、鴨肉、野菜たっぷりスープの提供

第2陣で、豚肉と野菜の山賊焼きの提供でした。

仮設住宅を回り声かけをして提供をスタートしたのですが、たくさんの方が来てくれて、帰りには「おいしかったよ!」「ありがとう!」という言葉をいただき、とてもうれしかったです。

今日のキッチンは、東京から「TSUNAMI PROJECT」の方々が大勢来てくれて、連携ができていて力強い!とても頼りになるキッチンボランティアの方々でした。一緒にできてうれしかったです。(また、機会があればご一緒に・・・と代表の秋葉さんとは話をし、お別れをしました)

 

 当団体のキッチンは、仮設、避難所とわけることはせず、何回も入っている小泉中避難所のキッチンもいつも仮設住宅へお声かけをしているので、今回も、面瀬中仮設住宅でのキッチンだったので、面瀬中避難所に行き「お昼の提供が仮設でありますので、お声かけをしていいですか」と避難所支援の行政職員に話をしたところ・・・

「お声かけをしては構わないが、行く、行かないは避難者の方の自己判断で行ってもらえればこちらは構わない」という返事。その話をしている間にボランティアに来てくれた方が、避難所のリーダー的な方にお声かけをしたのですが、リーダー的な方は、周囲にいた被災者の方がに「下の人達が食べる者は食べたくない。みんな行くんじゃない」と一言。この一言で、そこにいた被災者の方々は、行くことができない状態となってしまいました。

私達にはわからない精神状態であるのは確かだと思うが、どういう状況、事情であれ、リーダー的な存在の方が行くことを止めることはいかがなものかという疑問は残っている。

 しかし、今回のことで、面瀬中の避難所と仮設住宅の人達の間には、計り知れない亀裂が生じていることがわかった。

 

 子ども広場は、仮設住宅の集会所で実施しました。屋内であったが、子ども達は元気いっぱいで、バランスボール、なわとび、サッカーボウリングなどの種目をチャレンジし、2歳位の子どもから上は60歳くらいのお父さんも参加し、幅広い年齢の方が参加してくれました。

この日のおもちゃやおかしは、昨日カレーうどんを提供してくれたチュガニさんが、ぜひ子ども達に配ってくださいとご提供してくれた物です。チュガニさん、ありがとうございました!!

 

 今日も、たくさんのボランティアの方々が参加してくれ、無事に終えることができました。

 

 今日の開催にあたっては、とても調整が大変でした。
というのも・・・
ボラセンが間に入っていたのですが、キッチンで使用するテーブル、料理をする時などのお水の使用を相談すると、かえってくる言葉が「自分達で用意ができないならやってもらわなくてもいい」「行政の許可がないとダメ」という返事ばかりで、何ため誰のためにやるのか・・・ということがわかっていないように感じらた。

この2点が解消しなければ、キッチンをやることはできないために、別ルートで使用できるようにしてもらったのですが、本来であれば、被災者が主におかれているのであれば、このような対応はないのではないか・・・

この点はとても疑問に残っている。
(ボランティアの自己完結はどこまで?)