goo blog サービス終了のお知らせ 

わしには,センス・オブ・ワンダーがないのか?

翻訳もののSF短編を主に,あらすじや感想など、気ままにぼちぼちと書き連ねています。

ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル〜テッド・チャン⑤

2022-09-07 21:31:39 | テッド・チャン
 短編作家であるチャンにとって、短い長編並みのボリュームのある本編は、最長の作品となります。

 仮想環境で生きているディジタル生物〜ディジエントを養育するという、ブルー・ガンマ社のプロジェクトの試みから物語は始まり、ディジエントが様々な人間と関わりながら、「人間」らしく育てられ、経験を積み、自ら選択を行っていく過程を描きます。

 プロジェクトメンバーのアンとデレクは、ディジエントの進化、成長にむけて、試行錯誤を繰り返しますが、「人格」を持った個性ある存在として接するという一貫した姿勢を貫きます。

 でも、お察しのとおり、儲かるかどうかの厳然たる企業論理による淘汰により、「人間的」なディジエントよりも、役に立つ機能に特化したものへとニーズがシフトしていく中で、ブルー・ガンマ社のニューロブラスト系のディジエントは、次第に取り残された存在となっていきます。

 年月の経過につれ、「養親」も減少していき、資金不足も相まって、ニューロブラスト系のディジエントは仮想環境の一部分に隔離され、先の展開が見えない状況に陥ります。

 そんなとき、ニューロブラスト系のディジエントならではの特徴を尊重し、活かすという触れ込みのもと、性的対象としての新たなマーケットを開拓しようとする企業が、アンとデレクにアプローチしてきます。


 ディジエントという、特異なアイデンティティに関して想定される課題と、それに対する様々な手立ての可能性、その結果として現れる事態というように、ディジエント自身と周囲の人間、取り巻く社会の変化を踏まえながら、時系列に、系統立てて、真面目に、丁寧に、思考実験を行う作品です。

 私としては、ディジエントが、ロボット駆体を介して、現実の世界とコンタクトを行う場面や、ディジエントの価値は、書割のように与えられたものではなく、「人間関係」をベースに、長きにわたる経験の積み重ねとともに、育まれてきた固有の「人格」にこそあると、アンが確信する場面などが、ぐっと引き込まれました。

 特に斬新な仕掛けや、想定外の展開があるわけではなく、ディジタル生物の人格についての議論もさほど目新しいものではありません。また、作者は、仮想環境のシステムやディジエントの進化の状況を、外部の視点で、物理的、客観的に描くことを主眼にはしていません。

 作者の視点は、アンとデレクの視点とともにあり、ディジエントの精神面に関して、アンとデレクの問答のかたちをとって、深く考察しており、やや哲学的な色合いを帯びたものとなっています。

「現実世界で楽々と動き回れること、新たな問題を解決するときの創造性、重要な決断をゆだねられる判断力。人間をデータベース以上に価値あるものとしている性質は、ひとつ残らず、経験の産物なのだ。」

 この作品は、世評の高い「息吹」とも、何かしら共通するものを感じます。

 エントロピー の増大に何とか抵抗しようと、はかない努力を続ける種族が、「悟り」ともいうような境地へと至る姿への共感と感動に心揺さぶられる「息吹」。

 究極の価値は、物理的実体のない無形のものにあるという、素朴で、「伝統的」な主張は、そのような感覚を色濃く持っていそうな日本人には、とりわけ受け入れられやすいものと思います。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 郷村教師~劉慈欣① | トップ | 初めはうまくいかなくても、... »

コメントを投稿

テッド・チャン」カテゴリの最新記事