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わしには,センス・オブ・ワンダーがないのか?

翻訳もののSF短編を主に,あらすじや感想など、気ままにぼちぼちと書き連ねています。

誕生日~エスター・M・フリーズナー①

2007-09-04 23:51:31 | 海外SF短編
 今日は,主人公の娘テッサの六歳のお誕生日。
 「強制反省期間」の終りの日であります。


 このお話,最初読んだときは,何の話かいまひとつピンとこなかったんですよねえ。

 主人公の娘が,端末を通したディスプレイの向こうにしか存在していない。
 そんなヴァーチャルの世界に存在する娘に会うことへの罪悪感と圧迫感とともに,狂おしいほどの愛情も感じている主人公の姿にとまどいも覚えたんですなあ。

 妊娠中絶の問題ということはわかりましたが,もう少し注意深く読んでみると,この真っ二つに世論が別れる問題について,妥協の産物というにはえげつない解決がされたことに発することであるとわかります。

 あの処置をしたあと,大学のクリニックは,テッサの生誕日を決めるのに必要な発達状況の情報を中央のプログラミング・ユニットに送った。それといっしょに体組織も送った―遺伝的に正確なわたしの子どもの姿を投影できるように。

 うーん,中絶を認める代わりに,六年間の強制反省期間を設ける。
 そのために,もし生まれていたなら…という子どもを,ディスプレイ上に“リアル”に示すための措置を施す。そして,周期的に,面会を義務付ける。

 こんな設定の中で,主人公の関わる人びとの,この問題へのそれぞれの対応がシビアに描かれています。

 主人公に唾を吐きかける反対論者はわかりやすい。
 でも,この問題に本質的には背を向けているかのごときレズビアンのセンター長や,妻に巧妙に中絶するように仕向けたかのごとき旦那に対する作者の視線の厳しさは相当なものがあります。

 直接的物言いではなく,ほのめかし系の表現で意図を読み取ってしかるべしという感じの作品なので,わかりづらい(理解力の乏しさか!)ぞと言いたくなりますが,重いテーマに敢然と立ち向かい,被害者としての悲しみを押し付けられることへの痛みがぎしぎしと伝わるネビュラ賞受賞作品であります。

 それにしても,最後は,主人公は飛び込んだのですかねえ…。

 

 

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