背伸びをして難しい本を読んでみた、という経験がある方はどのくらいいるだろうか。
SF作家、J・G・バラード。名前は以前から聞いたことがあった。60年代SFにおける「新しい波」の中心人物。
読んだことのある本は「溺れた巨人」「結晶世界」「時の声」「終着の浜辺」(いずれも創元SF文庫)。「結晶世界」以外は短編集である。
バラードの作品を一言でいうのは難しいし、難解である。
たとえば、短編「溺れた巨人」では、海岸に打ち上げられた巨人の溺死体が、朽ち果てていく様を淡々と描いている。そこにはストーリーらしいストーリーはなく、また、巨人についての説明もない。ただ巨人の死体の腐敗を見ている語り手の心情が語られる。
長編「結晶世界」では、動植物が「結晶化」を始めた世界を描いている。これには、女性とのロマンスや結晶化を始めた森でのサスペンスなどストーリーもあるし、結晶化の理由の推測もある。しかし、やはり一番強く印象に残るのは、結晶となった森や生物(人間の死体も含め)のビジョンである。
私は、バラードの作品に、「静けさ」を強く感じる。音のない、透き通った、夢の中のような世界。人間の内面と外の世界とがじかに接するような領域。私のつたない表現力ではとても表せない、不思議な感覚を残す。
内容については、とても私の読解力では解釈できない。あるいは、「解釈」してはいけない、心で感じなくてはいけない作品なのかもしれない。
それでいて、何とも言えない余韻だけは心に残る。
SF作家、J・G・バラード。名前は以前から聞いたことがあった。60年代SFにおける「新しい波」の中心人物。
読んだことのある本は「溺れた巨人」「結晶世界」「時の声」「終着の浜辺」(いずれも創元SF文庫)。「結晶世界」以外は短編集である。
バラードの作品を一言でいうのは難しいし、難解である。
たとえば、短編「溺れた巨人」では、海岸に打ち上げられた巨人の溺死体が、朽ち果てていく様を淡々と描いている。そこにはストーリーらしいストーリーはなく、また、巨人についての説明もない。ただ巨人の死体の腐敗を見ている語り手の心情が語られる。
長編「結晶世界」では、動植物が「結晶化」を始めた世界を描いている。これには、女性とのロマンスや結晶化を始めた森でのサスペンスなどストーリーもあるし、結晶化の理由の推測もある。しかし、やはり一番強く印象に残るのは、結晶となった森や生物(人間の死体も含め)のビジョンである。
私は、バラードの作品に、「静けさ」を強く感じる。音のない、透き通った、夢の中のような世界。人間の内面と外の世界とがじかに接するような領域。私のつたない表現力ではとても表せない、不思議な感覚を残す。
内容については、とても私の読解力では解釈できない。あるいは、「解釈」してはいけない、心で感じなくてはいけない作品なのかもしれない。
それでいて、何とも言えない余韻だけは心に残る。