goo blog サービス終了のお知らせ 

こんな本を読んできた、ほか少々

これまでに読んできた本やマンガについて、好き勝手に書てみることにした。記憶のままに書いているので、間違い等はご容赦を。

司馬遼太郎「燃えよ剣」ほか

2012-09-22 18:01:05 | 時代小説
日本を代表する歴史小説作家。文学のみならず、日本人の歴史観の上でも大きな影響を与えた人である。

自分では、あまり読んだ量が多くないと思っていたのだが、この稿を書くために本棚をチェックして驚いた。

とにかく、手元にあったのが「人斬り以蔵」「燃えよ剣」「果心居士の幻術」「馬上少年過ぐ」「覇王の家」(以上新潮文庫)「真説宮本武蔵」「最後の伊賀者」「おれは権現」「北斗の人」(以上講談社文庫)「功名が辻」(文春文庫)「新選組血風録」(角川文庫)
このほか、大学時代に「項羽と劉邦」を読んだ記憶がある。
さらに2年ほど前に「梟の城」「国盗り物語」「峠」を父に借りて読んでいる。

いやあ、読んでる読んでる。こんなに読んでいたとは思ってもみなかった。

この中では、「燃えよ剣」が面白かった。土方歳三を中心に、八王子の郷士だった近藤勇と土方歳三が、京都に出て新選組を結成する。しかし、いわゆる勧善懲悪的で痛快な作品ではない。新選組の中の謀略と疑心暗鬼、同志の暗殺、そして大政奉還、戊辰戦争と、時代の流れの中で、決して華やかではない最期を迎える。
それでも、暗さはあまり感じない。自分の能力を信じて大義に殉じた若者たち、ただ、運命に流され、たまたま時代の流れと逆行してしまい、敗者となった若者たちの生き様に、心に響くものを感じる。
同じく新選組を扱った、こちらは短編集の「新選組血風録」も、同じ印象を持った。

「功名が辻」。ミーハーにも、仲間幸恵主演の大河ドラマを見て「原作はどうなんだろう」と購入した。司馬遼太郎の原作の千代は、ドラマよりももっと切れ者、気付かれないように巧妙に、夫(山内一豊)の行動を出世する方向に向ける「できる妻」、という書かれ方をしている。こちらも一種の出世物語として楽しく読めた。
(大河ドラマの方の、戦国時代には場違いなアットホームで天真爛漫ラブラブカップルの雰囲気も好きだけど)


読んでいて思うのは、登場人物を少し離れた視点から描く人だなあということである。客観的に行動を追っていくという行くという感じであり、情緒的な描写が少ない。突き放した感さえ感じる。しかし、そのことにより、物語に真実味がわいてくる。すごい技術だと思う。

ただ、あまりにも真に迫っているために、時々、これがフィクション、もっと言えば娯楽小説だということを忘れそうになる。すべては作り物であり、だから、主人公は歴史の流れの中で痛快に生きていく(たとえ夢半ばで斃れようとも)ことができるのだということを忘れてはいけないと思う。

実際、司馬遼太郎は、作品を書くにあたって大量の資料を調べたようである。そのため、司馬遼太郎の描く人物像が、歴史上の人物のイメージを形作っているケースが多々ある。また、「司馬史観」という言葉も頻繁に聞かれる。

しかし、本当に司馬遼太郎は「史観」といえるものを持っていたのだろうか。確かに、自分の頭の中の歴史に基づいて登場人物を動かしている節はある。しかし、それは歴史学者が史料に基づいて構築したようなものではなく、司馬遼太郎が物語に厚みとリアリティを持たせるために、資料に基づいて頭の中で構築した、「架空の歴史」、架空が言いすぎなら「物語のために最適化された歴史である。その目的はただ一つ、「面白い小説を書くため」。そこに集約されるのではないか。
彼にとって、歴史上の人物の造形や「史観」は手段であって、目的ではないはずである。下世話なことわざでいえば、「講談師、見てきたような嘘を言い」ということであり、「見てきたような嘘をつくために多大な努力をした人」なのだと思う。

何でこんなことをわざわざ(下手な文章で)書き連ねるかというと、時々、司馬遼太郎の描く歴史を実際の(歴史学としての)歴史と混同している人を見かけるのである。(企業の経営者のインタビューなどに多いような気が・・・)。危険とまでは言わないが、若者言葉でいえば「イタイ」なあと感じる。

というわけで、司馬遼太郎、好きな作家の一人である。ただ一つ難を言わせてもらえば、読むと疲れるのである。なんとなく、他の小説の3倍くらい疲れるような気がする。司馬遼太郎の作品はそれだけいろいろなことを考えさせてくれる。まあ、非常に費用対効果の高い小説だといえよう。

(ただ、そのせいで、「竜馬がいく」「坂の上の雲」(いずれも文庫版は全8冊)に手をだそうかどうしようか、もう何年も迷っている。面白いことは間違いないだろうけど、8冊・・・)

藤沢周平「隠し剣孤影抄」「隠し剣秋風抄」等

2012-08-28 20:22:01 | 時代小説
時代小説は好きだが、いわゆる人情ものはどちらかというと苦手である。何か(下手な書き手だと)無理矢理に感動を押し付けられる、そんな気がするからである。

ところが、市井の人や下級武士を情感豊かに描いていると形容されることの多い藤沢周平の作品は好きであるから、我ながら、ずいぶん矛盾していると思う。

持っている本は、短編集「隠し剣孤影抄」「隠し剣秋風抄」のほか、「秘太刀馬の骨」「よろずや平四郎活人剣」(以上文春文庫)、「竹光始末」「たそがれ清兵衛」(以上新潮文庫)、「決闘の辻」(講談社文庫)。このほか、「用心棒日月抄」シリーズ(「用心棒日月抄」「孤剣」「刺客」「凶刃」)も読んだ。たしか、妹に借りたんだったと思う。

これらの作品に出てくるのは、たとえ剣の達人であっても、家庭に悩みを抱えていたり、武士の勤めと人情の間で苦しんだりしている、「単に剣が強いだけの普通の人」たちである。いわゆる剣豪小説にありがちな、過度にストイックだったりすべてを達観したりしている名人・達人は、あまり出てはこない。また、日本の美学とばかりにことさらに義理人情を強調することもない。あくまでも自分と同じ精神の延長上に立つ人たちであり、そのため、読み進めていくうちに、いつの間にか登場人物に感情移入している自分に気が付く。

それを取り巻く舞台設定。江戸の下町にしろ、架空の「海坂藩」にしろ、どことなく情緒が漂っている。硬質なペン画でも重厚な油絵でもない、淡い水彩画のような印象を受ける。

作品の中でも特に「隠し剣」シリーズは好きで、何回か読み返している。「隠し剣鬼の爪」は、まさに目の前に緊迫した情景が浮かぶような気がして、ドラマ化したらあうのではないかと思っていたところ、映画化もされて評判になった(私は未見)。作品としては地味な「たそがれ清兵衛」まで映画になったのは意外だったが(こちらも未見)。

柴田錬三郎

2012-08-18 22:21:31 | 時代小説
特に集めているわけではないのだが、結果的に短編集を数冊持っている。「隠密利兵衛」「心形刀」「忍者からす」「弱虫兵蔵」「邪法剣」(以上新潮文庫)「かく戦い、かく死す」(集英社文庫)。
あと「赤い影法師」。これは父に借りたんだったか?

なんとなく時代小説が読みたくなったが、本屋でこれといって惹かれるものがない時に、ふと買うことが多い。
印象は、時代小説のお手本。まったくランダムに選んでいるにも関わらず、外れがないのはさすが大御所と思う。

代表作である「眠狂四郎」シリーズを持っていないのはご愛嬌。
(これに手を出すと、本棚から本があふれそうで)

井上靖「天平の甍」ほか

2012-08-17 21:03:46 | 時代小説
文学的なものも読んでいないわけではない。というわけで、何冊か持っている井上靖を。

「天平の甍」は、多分中学生くらいの時に読んだのだと思う。久しぶりに手に取って、やけに古いと思って後ろを見たら、初版発行1968年とあった。生まれる前である。旺文社文庫、定価320円也。
面白かったような記憶があるが、当時、すべて理解できたとは思えない。久しぶりに読み返してみようか。ただ、この本、開いたら分解しそうな痛み様である。

「楼蘭」。短編集である。昭和63年に40刷とあったので、読んだのは多分大学生の時。実は内容はあまり覚えていない。時間のある時に読みかえしてみようかと思う。

「孔子」(新潮文庫)。実は大学生のころ、夏休みに父のハードカバーを借りて読んだ記憶がある。父は「難しくてよくわからん」と言っていた(父はおおよそ文学とは縁遠い人間である)。今持っているのは、数年前に、文庫版が出ているのを見つけて購入したもの。架空の孔子の弟子が、孔子の死後、孔子や高弟たちとの旅や交わりを語るという形式になっている。井上靖の「論語」に関する思いや考え方を、小説の形を借りて語ったという感じで、非常に興味深い。小説としても面白いと思うのだが。

「風林火山」(新潮文庫)。大河ドラマの影響で購入。大河ドラマでも、近年の主人公にしては珍しくかなり野心的に描かれていたが、原作の方はさらに灰汁が強い。武田家に仕官するために他人をだまして信玄を襲わせ、それを斬り捨てて信玄に取り立てられるところから物語が始まる。こちらも非常に面白く読んだ覚えがある。それにしても大河ドラマ、半分以上はオリジナルストーリーだったのだな(よくできていたが)。

このほか、昔「敦煌」を読んだ記憶があるのだが、本は亡失。

※ ところで、この記事のカテゴリー、時代小説でいいんだろうか。

隆慶一郎「吉原御免状」「影武者徳川家康」ほか

2012-07-28 18:44:30 | 時代小説
ある本が気に入ると、しばらくその作家の本ばかり読み続ける傾向がある。
すぐに熱が冷めることもあるし、なかなか冷めないこともある。

時代小説だと、隆慶一郎がそんな作家のひとり。
「吉原御免状」「かくれさと苦界行」「鬼麿斬人剣」「一夢庵風流記」「影武者徳川家康」などを持っている。

初めて読んだのは新聞小説として地方紙に連載されていた「影武者徳川家康」だったと思う。先にも後にも新聞小説を毎日読んだのはこれだけである。その後、大学時代に「吉原御免状」を皮切りに、文庫が出るたびに次々読み漁っていった。(影武者徳川家康も、文庫でもう一度読んでいる)。

隆慶一郎の作品で活躍するのは、「道々の輩」といった、統治者の権力を受け入れない代わりにその庇護も受けない自由人たちである。傀儡師等の技芸者、漂泊の僧、傾奇者、忍び等。それらは自らの才覚のみで世を生き抜いていく。
当然、すべてを枠組みの中に収めようとする幕府権力とは水と油。そこに軋轢が生まる。権力側にも表にできない仕事を行う組織があり(主として柳生の一部が敵役に充てられることが多い)、歴史上に出てこない、自由と権力との熾烈な争いが行われる。異形の技や術が飛び交い、一歩間違えると荒唐無稽なものに出してしまいそうなところを、なぜか読み手を納得させてしまう描写で描ききっている。

登場人物も、主人公が魅力的なのは当然としても(それも、決して単純な「正義の味方」ではないところがまたよろしい)、それを取り巻く味方側や、敵側の登場人物(それが残虐非道な輩であっても)さえも、印象的である。

その通奏低音として、歴史の中の異説を取り入れたり(「影武者徳川家康」は家康影武者説そのものがテーマである)、事実を奔放に解釈したりして得られた「もう一つの歴史」を与えることにより、物語にリアリティを与えるとともにスケールをどんどん大きくしていく。

作品には、時代物にありがちな説教臭さや湿っぽさはみられない。作者は明らかにある史観や美意識のもとにキャラクターを設定し、作品を作っているのであるが、それが物語の面白さと一体となっており、まったく押しつけがましいところがない。

第一級の、血沸き肉躍るエンターテイメント小説だと思う。


個人的には「吉原御免状」が好きである。処女作にして、この中には隆慶一郎のエッセンスがすべて詰まっていると思う。宮本武蔵を師に持つ主人公が、表に出れば幕府が崩壊するといわれる吉原遊郭の「御免状」の謎をめぐり、吉原のために柳生家と激闘する。
大学生の時に読んだのだが、暗いイメージの吉原遊郭が幕府に対して一定の自治を保っていた自由の砦として描かれていることに新鮮味を感じたのを覚えている。剣劇シーンなども斬新であり、最初から最後まで大変楽しめた。

「影武者徳川家康」は題名の通り、関ヶ原の戦いのさなかに暗殺されてしまった徳川家康に代わり、家康の影武者の世良田二郎三郎とその同志が、自由人の理想の世を作るために、秀忠や柳生家と虚々実々の駆け引きや戦いを繰り広げるという「歴史IF」もの。とはいっても、中央集権的な徳川幕府が確立したのは歴史的事実。つまり、結局は主人公の理想はかないのだが(実際、最期は秀忠の一派に毒殺されたとも取れる描写になっている)、なぜか悲しさよりもすがすがしさを感じる作品である。

個性豊かな主人公という面では「鬼麿斬人権」や「一夢庵風流記」も捨てがたい。特に「一夢庵風流記」は、ヒットしたマンガ「花の慶次」の原作として有名だが・・・あのマンガは私の中では存在しないことになっている。(まして、「影武者徳川家康」も二匹目のどじょう狙いで漫画化したはいいが、早々に打ち切りになったことなど・・・)

隆慶一郎はシナリオライターなどを経て、60歳を過ぎてから小説家としてのデビューした。亡くなったのは平成元年で、小説家としての活動期間は数年間しかない。もうずいぶん前のことになるが、今でも非常に残念である。
未完となった長編でも出版されているものがあるが、フラストレーションがたまりそうなので手を出していない。