あの日から半年たった。
ふと考えることがある。
もしあの日の朝に戻れたら。
規模が大きすぎてみんなを救えるとは思えないし、あの時と少し違う行動をしていたら自分もしくは家族の誰かが亡くなっていたかもしれないと思うと、やっぱり何もできない。
ずっと後悔しているのが60歳のおばさんというかおばあちゃんというか「うわべさん」を車に乗せてきたこと。
うわべさんとは不思議な縁があった。陸前高田に引っ越してきたリョウマの入学式「こんにちわ」と旦那に声をかけてきた人がいた。その人は旦那と同じ会社の人でリョウマと同じクラスに娘が入学した。その人の奥さんがじゃんけんで負けてPTAの1年生会長になり「たいへんだね」と話していたところ行事になるとその奥さんではなくおばあちゃんが登場。奥さんは産後鬱で外に出てこなくなり代わりにおばあちゃんがPTAの仕事をしていた。その1年後私が入った会社にそのおばあちゃんがいた。「うわべさん」だった。
娘が鬱だから自分が家事も孫の世話もしているといっていた。たしかに参観日も、委員会も「うわべさん」が登場した。
旦那と婿の会社が同じで子供と孫のクラスが同じだったので話もよくしてくれた。
あの日の帰り、みんなは近くの避難所に会社のバスで移動した。私はあんな波が来るとは1秒も考えなかった。「橋が規制されて渡れなくなったら困るよね」同じくリョウマと同じクラスに子供を持つ「あらきさん」は子供もだけど「ばあちゃんが一人で家にいる」ことが気がかりで仕方なかった様子だった。社員からは指示がなく「いえにかえっていいの?」と聞いても返事はなく「帰ろう!今ならまだ間に合う、道路も車とおってるじゃん」「あたしものせてって」とあらきさんが乗った。そして出発しようとしたら外にうわべさんがいて私はてっきり会社のバスで避難したと思っていたので次のバスで避難所行くのかなと思っているとあらきさんが「うわべさんも乗っていく?」ときいた。うわべさんも少し迷ったようだったけど「のせてって」といった。
車に乗り、外の防災無線が聞こえるよう窓を開けた。走っていると途中会社の人たちが山の上の神社に避難をするところだった。わたしたちは手を振った。あのときおろしてあげればよかった。
道を進むにつれ周りに車がなくなっていった。大橋を渡ると水が大きくひいていて「ばー、くるよ、おおきいのが」「津波は早いよ、スピード違反で来るからね」とうわべさんがいった。
わたしは全員子供を迎えに行くものだと思っていたので小学校までみんなでいくつもりだったけど途中でうわべさんが「ここでおろして」と小学校より一段低い場所で家から5分くらいの場所に下した。つづいてあらきさんも「ばあちゃん」が心配だと言って小学校まで行かずに降りた。小学校まで乗せていっていってしまえばよかった。
そして津波が来た。
逃げて避難した老人ホームであらきさんに会った。波から逃げている間に子供とはぐれてしまい避難所を巡って探し回っているようだった。
「うわべさん、みないよね」
その日からうわべさんに会うことはできなかった。
あの日会社の人たちと近くの避難所に行っていたらうわべさんはまだ生きていただろう。でもわたしはあのとき小学校に行き子供と手をつないで波から逃げた。私の手がなくても子供はきっと逃げ切ったと思うけど、実際はわからない。あらきさんは「家に行ったら家族が全員外にいて、あとはあんただけだよっていってみんなで一斉に逃げた。ばあちゃんは弟がおんぶして逃げたんだよ」といった。あらきさんが帰らなかったら全員逃げ遅れていたかもしれない。避難所に逃げて自分が助かっても家族がみんな亡くなったら・・・。あらきさんの家族は全員無事だった。
どうするのがよかったのだろう。
もう少し遅く車を走らせていたら渋滞に巻き込まれてつなみにのまれていただろうし、もう少し早く小学校についていたら保育園まで車を走らせ途中で波にのまれていただろう。
今でも後部座席に座っていたうわべさんを思って後悔するけど、どうすればよかったのか答えも出ない。
ふと考えることがある。
もしあの日の朝に戻れたら。
規模が大きすぎてみんなを救えるとは思えないし、あの時と少し違う行動をしていたら自分もしくは家族の誰かが亡くなっていたかもしれないと思うと、やっぱり何もできない。
ずっと後悔しているのが60歳のおばさんというかおばあちゃんというか「うわべさん」を車に乗せてきたこと。
うわべさんとは不思議な縁があった。陸前高田に引っ越してきたリョウマの入学式「こんにちわ」と旦那に声をかけてきた人がいた。その人は旦那と同じ会社の人でリョウマと同じクラスに娘が入学した。その人の奥さんがじゃんけんで負けてPTAの1年生会長になり「たいへんだね」と話していたところ行事になるとその奥さんではなくおばあちゃんが登場。奥さんは産後鬱で外に出てこなくなり代わりにおばあちゃんがPTAの仕事をしていた。その1年後私が入った会社にそのおばあちゃんがいた。「うわべさん」だった。
娘が鬱だから自分が家事も孫の世話もしているといっていた。たしかに参観日も、委員会も「うわべさん」が登場した。
旦那と婿の会社が同じで子供と孫のクラスが同じだったので話もよくしてくれた。
あの日の帰り、みんなは近くの避難所に会社のバスで移動した。私はあんな波が来るとは1秒も考えなかった。「橋が規制されて渡れなくなったら困るよね」同じくリョウマと同じクラスに子供を持つ「あらきさん」は子供もだけど「ばあちゃんが一人で家にいる」ことが気がかりで仕方なかった様子だった。社員からは指示がなく「いえにかえっていいの?」と聞いても返事はなく「帰ろう!今ならまだ間に合う、道路も車とおってるじゃん」「あたしものせてって」とあらきさんが乗った。そして出発しようとしたら外にうわべさんがいて私はてっきり会社のバスで避難したと思っていたので次のバスで避難所行くのかなと思っているとあらきさんが「うわべさんも乗っていく?」ときいた。うわべさんも少し迷ったようだったけど「のせてって」といった。
車に乗り、外の防災無線が聞こえるよう窓を開けた。走っていると途中会社の人たちが山の上の神社に避難をするところだった。わたしたちは手を振った。あのときおろしてあげればよかった。
道を進むにつれ周りに車がなくなっていった。大橋を渡ると水が大きくひいていて「ばー、くるよ、おおきいのが」「津波は早いよ、スピード違反で来るからね」とうわべさんがいった。
わたしは全員子供を迎えに行くものだと思っていたので小学校までみんなでいくつもりだったけど途中でうわべさんが「ここでおろして」と小学校より一段低い場所で家から5分くらいの場所に下した。つづいてあらきさんも「ばあちゃん」が心配だと言って小学校まで行かずに降りた。小学校まで乗せていっていってしまえばよかった。
そして津波が来た。
逃げて避難した老人ホームであらきさんに会った。波から逃げている間に子供とはぐれてしまい避難所を巡って探し回っているようだった。
「うわべさん、みないよね」
その日からうわべさんに会うことはできなかった。
あの日会社の人たちと近くの避難所に行っていたらうわべさんはまだ生きていただろう。でもわたしはあのとき小学校に行き子供と手をつないで波から逃げた。私の手がなくても子供はきっと逃げ切ったと思うけど、実際はわからない。あらきさんは「家に行ったら家族が全員外にいて、あとはあんただけだよっていってみんなで一斉に逃げた。ばあちゃんは弟がおんぶして逃げたんだよ」といった。あらきさんが帰らなかったら全員逃げ遅れていたかもしれない。避難所に逃げて自分が助かっても家族がみんな亡くなったら・・・。あらきさんの家族は全員無事だった。
どうするのがよかったのだろう。
もう少し遅く車を走らせていたら渋滞に巻き込まれてつなみにのまれていただろうし、もう少し早く小学校についていたら保育園まで車を走らせ途中で波にのまれていただろう。
今でも後部座席に座っていたうわべさんを思って後悔するけど、どうすればよかったのか答えも出ない。