人が殴られているのを見ながら、
内面の充実なんて無力だなぁ、と思う。
盾になって欲しいだろうに、
手が届かない。ごめん。
だけど、とやっぱり言いたい。
自分が関与できる場所、できる事がある場所を、
少しは自覚していいんじゃないか。
そこを豊かな場所にしていくことで、
何かがつながっていきますようにと祈る。
私は、
大人が、自分で自分を育てていくこと、
余計なものを脱いで、自分になりゆくこと、
その大切さ、素晴らしさを、実感している。
ならば、それを真面目に。
仕事に必要なことや資格試験など、
今の世界を進めていくための勉強も大事。
それと同時に、
知っていたのに忘れてしまったこと、
自分の中のブレない芯、を思い出すこと。
そういう勉強も、続けたい。
目に見えないし、数字でも測れないから、
いつまでたっても達成感はない。
人に教えることも、教えてもらうこともできない。
それでも、一人ひとりが自分で育ち続けることの大切さ。
学校では、いわゆる「勉強」とは別に、
新しく教えてもらうこともある。
たとえば、
「ディベート」で自分の考えをまとめて、
いかに上手く伝えるかを練習する。
「プログラミング」では、
論理的な思考を身に付ける。
それも、めちゃくちゃ大事。
そういうのに加えて、
大人が自分を育てる勉強としては、
自分の正しさを伝えるのと同時に、
お互いの正しさに耳を傾け、寄り添い、
もっといい答えを共に探す努力ができる心の力。
たとえば、
論理的な正しさや互いの損得を確認した上で、
いろんな人の思いを融合すること。
これも、頭プラス心の力。
子どもは学校で、1+1=2の正しさを学ぶ。
大人はもう、それは簡単に出来る。
今自分たちが取り組むべきことは、
もともとは同じ「1」だったと思い出すこと。
「2」になってしまわないで、
もっと彩り豊かで大きな1になっていくこと。
目の前の人でも、国と国でも、
複雑さや規模は違えど、
頭と心の操作は同じこと。
だから、目の前のことで練習する。
1人分でも2人分でも、
その人が暖かくなったり、輝きを増したりした分、
その人の周りが、ひいては、
世界が、暖かく、明るくなるから。
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