『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

リアル高橋巌さんの講義の後で

2015年10月20日 | シュタイナー
最終日の講義の最後に質疑応答があり、
参加者が何でもアリで自由に話す時間がありました。
私、ちょっとしんどかったんです。

「僕はアッチの世界を見た(すごいだろ)」と、自己顕示欲を満たす人、
世の中に対する不信感が、生きる無力間とつながっちゃってる人、
自分が楽になりたくて学ぶ人、
自分で考え、表象しようという講義の後なのに、先生に答えを求める人…。

「何でも話していい場」だから、いいんだけどね。
私は、素直に耳を傾けられなくて困りました。
何かを学ぶことで世の中から浮いちゃったり、
自分の正しさを押しつけたくならないようにしなきゃ、って。

しかし、私の横では、Yさんが
じっと目をつぶって一心に耳を傾けていました。
後で聞けば「それぞれの人の世界観があって、
おもしろいな~と思って聞いてた」と言ってました。
内容によらず人に添いながら聞けることに脱帽です。

そして、Mさんは、
「どんなビジョンが見えたとか見えないとか、
あれは、聞きたがる人がいたから話してくれたんであって、
他の場であんな話はしないんじゃないの?」とおっしゃって、
ああ、私も自分を世に押しつけてるだけだったな~と、やっぱり反省。


その中で、私でも感心した参加者コメントを、ひとつ覚え書きでメモ。

「物質界に囲まれていることは幸せなことなんです。
物質界だと、間違えたらその課程や結果によって
自分が間違えたことを教えてくれます。
別の世界だと間違えていてもわかりませんから」って。

物質界を離れるすばらしさや可能性ばかりを語る
教室の雰囲気(瞑想がテーマだから当たり前)の中で、
それは、この物質界に生きる私を励ます、
ひとつの真理に思えました。


ところで、私が高橋さんに聞こうとして聞かなかったこと。
19世紀、物質界・自然科学万能の時代を経て、
今、もうちょっと物質だけでない世界にも関心が持たれてる。
そして今この時代に生きている偶然の必然の中で、
行きすぎた自然科学とは違う世界に関心の強い私たちに、
今、何ができると思うか。

でも、マイクを持ってしゃべり出すと、
「先生に“コレです”って言われたって、
それを実現する力が自分にあるとは限らないし、
それこそ、
自分でできることを自分で考えて、実行していけばいい」
と思えてきて、結局聞かなかったのよ。

聞きたいことは聞いたら良かったのに、
惜しいことをした!

翌日、チンプンカンプン過ぎて読めない
「神秘学概論」の1ページをランダムに開いて、
淡々と、一言一言かみしめる、高橋流のペースで、
深~~い呼吸になって音読してみると、
あら、なんとなくわかるじゃないの!

表象する力、深い息遣いの力。
わかんないけど、これからアレコレまだ感じそうです。


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