情熱。情熱的。情熱家。素晴らしいとおもう。いいなあと思う。
人生に於いてなにか立派な事を成し遂げたり、日日を精彩在るものにする為にはまず情熱が先行してことに当たらなければならず、逆を云えば、情熱が無ければ何事も成し得ずなにも伴わない、惨澹たる生涯を送る羽目になりかねぬのである。
たとえば、通常寝る直前になって「あっ、豚饅頭が食いてえ」などと思い付いても、もう風呂に入って仕舞い、眼前には寝台が在り、其処に寝そべって暫く目を瞑って居れば明日にワープできる、そして俺はいま、睡いのだ、などと思えばどうもせずに諦める他無いのだけれども、此処に情熱さえあればそうは行かない。情熱をもった人間は燃え上がった自分の感情を何よりも優先して事を考えるので、風呂に入ったとか、睡い程度の事などどうでもよくなり猿股姿の儘サンダルを履いて急いで近間のコンビニエンスストアに駆け込み店員に「豚饅を呉れ。はよせんと殺すぞ」などと脅迫をするのであるが、要はそれほどに情熱といふのは人間を突き動かし対象たる目的だけでなく、其処に行き着く迄の過程によっても人生をおもろくして呉れるものなのである。おーもろ。
とは云うもの、自分はどう因果に生まれ付いたのであろうか、情熱がまるで起こらぬ性分なのである。しかし俺が人から「おめぇは覇気が無え」などと云われ嘲られている間にも、周りはと云うと仕事や恋愛、酒や煙草などの嗜好品に情熱を向けて日日快活に在られる。二十三歳たる私が情熱を失い(と云うか、端から無い)花屋稼業の他は独り地味に随筆や詩を書くだけの惨澹たる毎日を送って居るのは如何なる禍事か。之れでは何年経っても今と変わらぬ虚無的な生活から脱せず、売れぬ私家版詩集・随筆集が部屋の傍らで埃と共に積み重なって行くばかりで在る。此の儘ではあかんど。情熱的な人間に為ってこましたろと思うのである。
其の為には、情熱的な人間とは基本的にはどの様な人物か、と云う点について考えねばなるまいね。まず、短髪で黒髪であるとおもう。そして、声が一一でかいとおもう。又服装はスーツ等でぴしっときめている筈である。情熱的な人間は基本的には快活である筈なのだから伸びきった髪に無造作でだらしない身形をしてぼそぼそと話す様な事はしまい。それから、信念・明瞭な目的意識をもって居るとおもう。此処が情熱の中核と云え、理念を持つ人間と云うのは大概之れを他人間に共有させたがったり、時に強要するものであるので此の情熱的な人間も時間さえあれば街に赴き雑踏の中自身の思考・其の理念を例のでかい声で陳べ、迷惑なこと此の上無いが情熱的な人間と云うのは自分を情熱的にさせた情熱の原因を解決する迄は其の他の事などはどうでもよいと思っておられると云うのは前述した通りであると思うた処で思うたらこりゃあ、政治家やん。選挙運動中の、政治家やん。
と、以上を踏まえ、俺の情熱的な人物像は政治家と云う風に成り下がって仕舞った、という言葉を選ぶ政治家について良い印象を全く以て持たぬ自分は情熱、其れについて考える事延いては情熱的に生きることが阿房らし為って情熱的に寝て今日にワープして居ます。
政治家やんっ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます