自分の身体は、自分で守る。薬剤師・金丸の養生訓話

自分の身体は、自分で守る。薬剤師・金丸の養生訓話のパーソナリティで、くすりの麗明堂店主の金丸幸市のブログです。

幸せな人生の後半をおくるために・・・

2006年04月17日 | Weblog
 今日は、店頭でお客様にお話する話を皆様にもご紹介したいと思います
                
「徳」 私の母は、三人の子供たちに、「徳」ということについて、よく話したものだった。
 「いいかね。人間の一生には前半と後半があって、前半の運命は親の徳によってきまるらしいよ。つまり私達親が、良い行いをして徳を積めば、お前達は幸せな前半をおくることができるわけだ。しかし、後半までは親の徳もおよばない。人生の後半は、お前達本人一人一人が、いかに徳を積むかにかかっているんだよ。
お前達が徳を積めば、自分が幸せになるだけでなく、次の世代の子供の前半も良くなるのさ」

 この母の話も、小さい頃はいい加減に聞き流していたが、今までの私の人生が好運にも恵まれ無事に暮らせたのは、さては親のおかげだったのかと、最近になって気がつき始めたのだ。
 そして、いま、後半のまっただ中にある自分を考えるとき、この「徳」の持つ意味は大きい。
 「徳」とは、品性を向上させるために習得するべきもので、正しい行いを積み、他人を助け、自らの品格を高めることである。
 今の自分を正直に反省してみると、どうも、パフォーマンス時代を反映して、「目立とう」意識がどこかにあって自分をたくみに演出し内容以上の表現で利益を得ようとする傾向が強いように思える。
「徳」ではなく、「得」をしようとしているのだ。これでは、とても品格を高めているとはいえず、恥ずかしい。
 
 自分の人生の後半は、もはや親も面倒をみてくれない。自力あるのみである。人生をまっとうするためにも、また、後を継ぐ子供たちの前半の幸せのためにも、人目のつかないところで徳を積む心が必要なのだと、今、真剣に考えている。
 
 誰も見ていないと思っても、神様は必ずどこかで、じっとご覧になっている。だから恐い。「つつしみ」とか「怖(おそ)れ」がなおざりにされる世の中では、本当の徳はなかなか積めないのではなかろうか…



 このお話は、平成元年6月28日の中日新聞(夕刊)「紙つぶて」に掲載された内容で、NHKチーフアナウンサーであった山川静夫さんが書かれたものなのです。皆さんは、読まれてどう思われましたでしょうか?

 徳を積むというのは、目に見えにくいものなのではなかなか難しいように思います。しかし、今の自分があるということは、間違いなく親が積んだ徳によって生かされている訳ですので、まず前半の徳を親にいただいたことに感謝したいと思います。そして、人生も後半に入ると、自分自身で徳を積む以外には運命が良くなっていかないものですから、子供の前半の人生のためにもうづけてしっかり善い行いを続けていきたいと思っています

 学生時代にみせてもらった1枚の新聞の切り抜きですが、今でも私の宝物として大事にとっています