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出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

兒守神社

2014年05月29日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:兒守社
様  式:大鳥造(小祠)
御祭神:底筒男命・中筒男命・表筒男命・息長帯姫命・天神地祇

  

松江市の南岸を東に向かうと、東津田より大橋川に沿って平地がへり、山と川に挟まれた状況となる。古くから南北岸の船渡しがあった辺りを矢田といいい、現在は内陸工業団地の入口、西方の丘は東光台団地として開発が進んだ。昭和30年代の写真を見ると、東光台の裾を回り込むように車道が通る他は田畑が見えるのみである。同社の境内はこの旧道を分け入った森の内にあり、矢田旧集落の鎮守社。削平された壇上に向拝付の本殿があり、北寄りに神楽殿が整えられている。平成元年遷宮も執り行われ境内は特に整備されている。

境内略記に拠れば、大国主神の命により矢田の里長となった野田阿多比古神がおり、その妻が身重となった際には、天地の神々に祈って神示を受け神石を授かり安産された。ゆえに籠り産まれた所を「こもり山」、神石を「兒守(児守)石」といい、安産育児の神として広く信仰されることとなった。戦後混乱の後、眞名井神社の境外摂社として古来の伝統にならい矢田地区氏子崇敬会にて奉賛されている。

〈境内社〉

本殿南に自然石上の社日碑、木造社二宇を見る。木造社の社名・祭神はいずれも不詳。

<所在地>
島根県 松江市 矢田町

参拝日:平成24年 8月17日

若宮神社(大庭町下ノ原)

2014年05月28日 | 松江市(旧市域)
 
風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:若宮
様  式:小祠
御祭神:不詳

山代神社より南方500mほど、国道を佐草川の手前で西に折れ、下ノ原の市営団地裏に鎮座する。小ぶりの拝殿の裏に本殿は直に接合して建っていた。この他には神木に幣を奉って荒神が祀られている。同社の詳しい由来、祭神については不明。『雲陽誌』の山代の頁に「若宮」とのみ記されている。

〈所在地〉
島根県 松江市 大庭町 下ノ原

参拝日:平成24年 8月17日

山代神社

2014年05月27日 | 松江市(旧市域)

風土記:山代社
延喜式:山代神社
雲陽誌:高森明神〔山代 頁〕・高守神社〔古志原 頁〕
様  式:大社造
御祭神:山代日子命

   

国道432号線を八雲町方面へ向かう。松江工業高校を過ぎるあたりから車道の改修が進まず、交通量の割に走りにくい。民家が密集する中を南東に進むと、右手に山代神社入り口の案内が見える。100mほど入ったところに駐車場もあり、鳥居奥の境内も整備されており美しい。正面には切妻向拝付の拝殿があり、東側の幸神社が収まる建屋とは橋廊で繋がれている。玉垣の内には重厚な本殿が構え、左脇に社日碑も祀られていた。玉垣外の右側に和田積社、左側に恵比須社が祀られるほか、幸神社の後背には須賀神社と刻された石碑が立つ。

 

境内の由緒書きに拠れば、出雲國風土記並びに延喜式神名帳に記される社で、意宇郡山代郷の総社として信仰されていた。もとは、南東の神名樋山(現在の茶臼山)の中腹に鎮座し、大穴持命の御子山代日子命の座しましたるをもって同地名の由来ともなる。しかるに古志原村に祀る神なく災難が続いたことから、延宝年間村民が藩に願い出て現在の地に同社を遷転して産土神として奉賛するに至った。現在近隣は栄えて宅地化が進み同社への信奉も変わらず厚いようである。なお、『雲陽誌』を見ると山代の頁に「高森明神をして風土記に加豆比乃高社とあり、山代山の半腹に森を鎮座とす」と記され、古志原の頁には「高森神社、延宝年中勝部氏勧請す」と記される。江戸期において同社名はいずれにせよ高森社となっていたようであるが祭神に関する記載がないのが不思議である。風土記記載の加豆比乃高社との関連は未確定。山代は正倉が設置された他、巨大な古墳が見られるなど、古くより一定の勢力地帯であったことは容易に想像できる。

〈境内社〉
    
境内社の配置は上記の通り。『神国島根』に拠れば、幸神社に猿田彦命、和田積神社に豊玉彦命、恵比須神社に八重事代主命、須賀神社には須佐之男命をそれぞれ祀るとある。須賀神社脇の石祠については詳細不明。

〈所在地〉
島根県 松江市 山代町

参拝日:平成24年 8月17日

貴船神社(乃木福富町)

2014年05月24日 | 松江市(旧市域)


風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:貴布禰社
様  式:小祠
御祭神:高龗神

   

福富神社への途上、西側に石垣と生垣に囲まれた社がみえる。鳥居、狛犬のほか石塔もあり、中心には銅葺の小さな社殿があった。軒の下に小さく貴船社と書かれた額があり社名が分かった。同社の由緒創建は不詳も、『雲陽誌』福留の頁に「貴布禰社 高龗神を祀る。老松を神木とす。五月十五日、十一月五日 に湯立神楽を奏す」とある。現在の境内に松の姿はない。

〈所在地〉
島根県 松江市 乃木福富町

参拝日:平成24年 8月17日

福富神社

2014年05月21日 | 松江市(旧市域)

風土記:野城社・野代社
延喜式:野白神社
雲陽誌:福留神社
様  式:春日造変態
御祭神:木花開耶姫命・事代主命

   

宍道湖岸の夕日スポットを過ぎ、西嫁島から松江西IC方面へ。インター手前旧道との交差点を右折(西)、さらにすぐ左折(南)して福富の旧集落へ入っていく。境内までは交差点よりおよそ300m程あり、途中貴船神社が西側に見える。道幅は狭いわりに車の出入りがあるため気を付けなければならない。鳥居を目印に石段のぼって同社の境内に入ると、左右に削平された敷地に各々の建物が整然と並んでいる。それぞれは大きくはないが、確たる造りをなしていた。拝殿、本殿ほか、歳徳神の神輿庫、古めかしい石祠、社日碑などが見える。

  

同社の由緒について風土記記載の野城社・野代社にあてるむきは、野白神社、野代神社と同じ。『神国島根』によれば寛永年間に社殿を焼失し旧記を失ったことから、風土記・延喜式内社とのかかわり合いをいう資料にかく。『雲陽誌』は福留の頁に福留神社をしるし、吾田津姫を祀り、社殿焼失についても同時期を示す。風土記意宇郡に野城社、野代社は各二社あって能義神社、野代神社、野白神社、同社それぞれが何れかの末で、今日もそれぞれ祀りつづけられているということが貴重である。

〈境内社〉
  
本殿東に歳徳神の神輿庫がある。またその後輩に古めかしい石祠が見えるが不詳。

〈所在地〉
島根県 松江市 乃木福富町

参拝日:平成24年 8月17日