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出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

大内神社

2012年01月30日 | 松江市(旧東出雲町)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:大内権現
様  式:大社造変態
御祭神:大内義房御霊

  

東出雲町西揖屋の旧国道沿いに鎮座する小社。小さいながらも歳徳神の庫、集会所などが並び立って、その境内は綺麗に整っている。境内入口には鳥居、狛犬のほか大きな社碑が立ち、奥には向拝付の拝殿と高束の上に本殿が建ってい。現在、揖屋地区には式内揖屋神社以外には同社しかなく、西地区においてはこの社が氏神的な位置づけにもなって大事に守られているのではないかと思わる。

同社が大内神社と呼ぶ所以は、戦国時代に若くして命を落とした大内義房御霊を、地元の民が哀れとして祀ったことによると伝えられる。中国地方の二大勢力であった尼子氏と大内氏は互いに戦を繰り返し、天文十二年大内軍が大挙して尼子氏の本拠富田城下に迫った。しかしながら、大内軍は本願を果たさず敗走。総大将大内義隆の養子として土佐一条(藤原氏)家より迎えられていた義房は、迎えの船に乗り込んだものの、我もとすがりつく将兵によって船ごと揖屋灘に沈み二十歳にして命を失った。

地元の網元八斗屋惣右衛門は密かにこの亡骸を同地葬ったものの、その後街道を通る馬上の者に祟りをなしたため、小祠をたててこれを鎮めんとして祀ったとのこと。また当時は現在とことなり社殿の後背を街道が通り、本殿の間口は故地山口を向くよう心配られていた。

〈境内社〉
 
本殿左側(西側)神木の下に石祠一宇、右側(東側)に木造の小祠西向して建つ。何れも祭神等は記されず不詳。町誌に付記される小室家伝承に依れば、大内家の家老 杉宗三 が義房の御霊を弔うべく当地に土着帰農。杉宗三の御霊を脇宮に祀ったとある。また、この小祠に願い事言上し、もって本社にあたらねば御利益を受けられなかったとも伝えられる。左右何れかが、杉宗三の小祠にあたると思われる。

〈所在地〉
島根県 松江市 東出雲町 揖屋

参拝日:平成24年 1月8日

春日神社(東出雲)

2012年01月16日 | 松江市(旧東出雲町)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:春日明神(武甕槌尊・経津主尊)
様  式:大社造変態
御祭神:経津主尊
配祀神:武甕槌命・天児屋根命・姫大神

 

旧東出雲町の西端、意宇川南岸の杜の中に鎮座する。北岸には春日・今宮の集落が広がり、両地区の産土神として崇められてきた社。神社への参拝路をかねた旧橋を渡り、東に小道を入ると境内にいたる。

参道は長く、下の壇には幾つもの荒神が祭られていた。本殿に至る石段は佐藤造機(三菱農機)の創設者佐藤忠次郎の寄進とのこと。両脇の狛獅子は珍しくまさにライオンを模ったものであった。上壇には拝殿と本殿、境内社が一宇あるのみ。東西に長い境内は多くの巨木が林立し、長い時の流を感じさせられる。

 

由緒については、資料が乏しく『雲陽誌』には祭神のほか、慶長年間に佐々木氏造立との記載があるが真偽は不明。また旧町誌には石段を上ると赤い鳥居に赤い神殿とと記されるも現在の堂宇にはその傾向は見られない。

〈境内社〉

本殿右側(南)に朱の鳥居を持つ、稲荷神社があり稲倉魂命を祀る。

〈所在地〉
島根県 松江市 東出雲町 春日

参拝日:平成23年12月18日

須多神社・須多閉神社

2012年01月15日 | 松江市(旧東出雲町)



   
風土記:須多社
延喜式:須多神社
雲陽誌:白尾明神
様  式:大社造変態
御祭神:宇迦之魂命

東出雲町出雲郷(アダカエ)より八雲町へ向う県道53号を南下し、途中意宇川の支流須田川に沿って上ると、東岸に鳥居と狛犬を目印に境内を見付けることができまる。須田川により形成されたであろう平地に集落が形成され、その氏神として祀られてきたものであろう。大木が直立する中に、大き目の成地があり中央には拝殿と本殿が南面し、左手(西)には木造の小宇が構えている。さらに後方には荒神が祀られていると思しき神木に多数の幣が奉られていた。

旧町誌によれば、同社は風土記の須多社、式内社の須多神社とし、豊穣の神を祀っていたものが、江戸期に呼称が白尾明神とされるあたりでは稲荷信仰と習合し、宇迦之魂命(稲荷神)を祭神として落ち着くとある。また、明治四十四年には同じく風土記記載社である須多閉神社が脇宮として合祀され、それに先立ち明治七年には南方堀谷にあった意宇ノ杜神社を当社に合祀したと記される。

近年出雲国風土記註論の同社の段には、式内社の比定について一説を立てており、現在の社地より南東500m程にある字須田にあったと思われる荒子(川)明神が当初の式内社であり、その下(下流)に位置する白尾大明神は本来は式外の須多閉(下)社ではなかったのではと指摘している。旧町誌に記される意宇ノ杜神社があったとする堀谷もまた字須田に近く、三社の真相については真説を導き出すのは困難であろう。

〈境内社〉

『神国島根』等によれば、同社の境内社は須多閉神社とされる。祭神は金山彦命となる。雲陽誌には荒子明神と見える。

〈その他〉

同社社地より南西100m程の宅地裏に、字栗坪の歳徳神があり、その庫裏の岩上に小祠あり。

〈所在地〉
島根県 松江市 東出雲町 須田

参拝日:平成23年12月18日

市穂神社

2012年01月14日 | 松江市(旧東出雲町)

風土記:市穂社・同じ市穂社
延喜式:―
雲陽誌:川本社
様  式:大社造変態
御祭神:水罔女命・市杵島姫命

 

国道9号より意東川にそって南に向かうと、その最上流の本谷奥組集落の集荷場裏にひっそり鎮座する。両部鳥居をくぐると亀の台座に弘化年間と刻む石灯篭があり、石段を登れば小さな拝殿と同じく小さいながらも大社造の本殿があった。

詳しい創建年代は不明。風土記に記される市穂社に比定され、川本大明神とも呼ばれ水源の神が祀られている。神社近辺に数件の家が見え、町誌にも古くからこの地の氏神として崇められてきたと記され。

〈境内社〉

境内の左手前に石祠一宇。荒神の龍頭飾り、数本の幣が祀られている。

〈所在地〉
島根県 松江市 東出雲町 上意東 本谷奥組

参拝日:平成23年12月18日

市原神社

2012年01月13日 | 松江市(旧東出雲町)

風土記:市原社
延喜式:市原神社
雲陽誌:―
様  式:小祠(大社造擬)
御祭神:大山祇命、金山彦命、金山姫命

  

旧東出雲町の中央、揖屋地区で国道9号線五反田交差点より南に向かい、市の原川にそって進むと、西岸の茂みの中にひっそりと鎮座している。主な地図には記されることがなく、よく目をこらし茂みの中を見ていると、境内の石灯籠に気づくことがでる。

宅地の脇から小道を分け入ると小さな境内につき、そこには数基の石灯篭、雨除けの堂に囲まれた本殿にのみが構えていた。風土記に関する諸書には、揖屋の市原大明神で天正年間の兵火によって消失、一時は社地に幣のみが立てられるのみであったと記され、町誌はさらに明治初年に揖屋神社に合祀されるも後に集落の要望によって堂宇が再建されたと記す。扁額には「式内市原神社明治十年」とあり、そのころ再建と思われる。

2003年島根県古代文化センター刊行の『風土記註論』は現社を式内社に比定することについて、延喜式で東出雲町の各社とは別に、旧広瀬町の各社の間にあることに注目。西比田の市原にある比太神社に合祀される市原社が本来の式内社ではとの仮説をあげている。

〈所在地〉
島根県 松江市 東出雲町 市原

参拝日:平成23年12月18日