
風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:大内権現
様 式:大社造変態
御祭神:大内義房御霊



東出雲町西揖屋の旧国道沿いに鎮座する小社。小さいながらも歳徳神の庫、集会所などが並び立って、その境内は綺麗に整っている。境内入口には鳥居、狛犬のほか大きな社碑が立ち、奥には向拝付の拝殿と高束の上に本殿が建ってい。現在、揖屋地区には式内揖屋神社以外には同社しかなく、西地区においてはこの社が氏神的な位置づけにもなって大事に守られているのではないかと思わる。
同社が大内神社と呼ぶ所以は、戦国時代に若くして命を落とした大内義房御霊を、地元の民が哀れとして祀ったことによると伝えられる。中国地方の二大勢力であった尼子氏と大内氏は互いに戦を繰り返し、天文十二年大内軍が大挙して尼子氏の本拠富田城下に迫った。しかしながら、大内軍は本願を果たさず敗走。総大将大内義隆の養子として土佐一条(藤原氏)家より迎えられていた義房は、迎えの船に乗り込んだものの、我もとすがりつく将兵によって船ごと揖屋灘に沈み二十歳にして命を失った。
地元の網元八斗屋惣右衛門は密かにこの亡骸を同地葬ったものの、その後街道を通る馬上の者に祟りをなしたため、小祠をたててこれを鎮めんとして祀ったとのこと。また当時は現在とことなり社殿の後背を街道が通り、本殿の間口は故地山口を向くよう心配られていた。
〈境内社〉


本殿左側(西側)神木の下に石祠一宇、右側(東側)に木造の小祠西向して建つ。何れも祭神等は記されず不詳。町誌に付記される小室家伝承に依れば、大内家の家老 杉宗三 が義房の御霊を弔うべく当地に土着帰農。杉宗三の御霊を脇宮に祀ったとある。また、この小祠に願い事言上し、もって本社にあたらねば御利益を受けられなかったとも伝えられる。左右何れかが、杉宗三の小祠にあたると思われる。
〈所在地〉
島根県 松江市 東出雲町 揖屋
参拝日:平成24年 1月8日