goo blog サービス終了のお知らせ 

出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

狗飼神社跡

2011年12月22日 | 松江市(旧鹿島町)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:狗飼明神(火酢芹命)
様  式:―
御祭神:火酢芹命(多久神社に合祀)

鹿島町から県道264号を東に進むと、多久の里・講武地区に入り、さらに進むと県道21号線に突き当たります。その100mほど手前(恵曇側)の道路南側茂みの中に、平成22年設置の石碑が建っており、碑文に狗飼神社跡とありました。

旧講武村誌に依れば、明治期初年の上講武字犬飼に狗飼神社とみえ、明治末期の一村一社の政治的動きにより、明治43年多久神社へ合祀されたとのことです。同村誌にはこの間の各社統合に関する資料が載せられており、紆余曲折をへて、多久神社へ統合された歴史が良くわかります。

〈所在地〉
島根県 松江市 鹿島町 上講武

確認日:平成23年11月25日

勝間神社跡

2011年12月22日 | 松江市(旧鹿島町)
 
風土記:加都麻社
延喜式:―
雲陽誌:勝間神社(正哉吾勝命・思兼命)
様  式:―
御祭神:―

鹿島中学校の北側、稲田の広がる平地の真ん中に、小さな木製の碑がたっております。まさにこの碑のあたりに小勝間山といわれる小山があり、昭和63年に周辺のほ場整備にあわせて山ごと取り壊されたそうです。右上の写真は昭和51年当時の周辺写真(国土画像情報・カラー空中写真)には確かに小山の姿を見ることができます。

出雲風土記の加都麻社がこの小勝間山に鎮座していたとされ、雲陽誌に「勝間神社は正哉吾勝命なり、また庭鳥塚という…ある人のいえるは小勝間は地の名なり、此処より上に大勝間の宮あり、佐陀明神の摂社なり。小勝間の社は思兼神を祀るなりといえども今は社もなければ詳しくしれがたし。」とあります。明治期の神社統合の流れの中で、明治44年「無各社加都麻神社廃社願出で候ところ、右は最寄の適当なる神社に合祀せしめ、而して親睦は出雲風土記考に拠るも古来の名木と認められ候条、今なお然るに於いては、合祀後永く保存の途をこうぜしむる…」とありますが合祀先の社については明示されておらず、一説には名分南にある大井神社に合祀されたといわれます。

〈所在地〉
島根県 松江市 鹿島町 名分

確認日:平成23年11月25日

恵曇神社(江角)

2011年11月10日 | 松江市(旧鹿島町)

風土記:恵杼毛社
延喜式:恵曇神社
雲陽誌:恵曇海邊社
様  式:春日造変態
御祭神:磐坂日子命・彦火火出見命・豊玉姫命・玉依姫命
合祀神:蛭子命(恵美酒宮)・市杵島姫命・稲倉魂命(恵曇海邊社・同海邊社)・素戔嗚尊(須賀神社)

   

鹿島町の中心地北西端、恵曇港を眼前に見る浜辺に位置している神社で、同名の神社が町内東の本郷地区にもあります。南方より広い境内に入ると、正面に青銅葺き大唐破風向背を持つ立派な拝殿、春日造りの本殿が座しております。その他にも、本殿左(西)に旧い拝殿と参集殿が建っておりました。漁師町恵曇地区で崇敬を集めてきた社でもあり、境内諸建造物はいずれも風格がありました。

  

創建年代は不詳も、風土記記載の恵杼毛社、式内の恵曇神社に比定されております。この式内・風土記神祇官社の位置づけについては、元禄年間より本郷地区の恵曇社と議論となっており、今日なお明確になってはおりません。御祭神の磐坂日子命は素戔嗚尊の御子神で、風土記には御子神がこの辺り至って、「国権美好有国の形 畫鞆(エトモ)如哉」と詔給いしことから恵曇(エトモ)と名づけらたと縁付けられております。

〈境内社〉
 
境内正面より入り、鳥居右手(東)に木造社一宇。また本殿左側(西)の旧拝殿後方より石段を登ると、茂みの内に木造社一宇ある。神国島根および町誌には、同社の境内社は若宮神社のみ記され、大年神・若年神の二柱を祭る。

〈所在地〉
島根県 松江市 鹿島町 恵曇

参拝日:平成23年11月5日 / 12月27日


御津神社

2011年11月05日 | 松江市(旧鹿島町)

風土記:御津社
延喜式:-
雲陽誌:本宮明神
様 式:大社造
御祭神:市杵島比売命、多記理姫命、多岐都姫命

 

片句から延々と尾根道をつたい最初にたどり着いた、御津(みつ)浦集落に在る神社。小さいながらしっかりとした大社造の本殿と拝殿がありました。

〈所在地〉
島根県 松江市 鹿島町 御津

参拝日:平成23年11月3日