まっすぐ進め~

水泳コーチ岡本の日記
勝手な自論ご勘弁

チーム岡本 エピソード2

2015-07-26 20:04:13 | 日記
今日は京都中学校
レースを見てると、また昔の選手を思い出した。

北田麻子

2001福岡世界選手権日本代表
200バタフライ準決勝進出

彼女は小学校2年生から高校3年生まで指導した。
その一番の思い出は、やはり全国JO200個メ優勝だろう。
9~10才グループ2分29秒⁇でぶっちぎった。
実は私はこの優勝を予想していた。

それは彼女が3年生になるとき、母親から上のチームに上げてほしいとの申し出があった。その時期、私は下のチームも見ていたので、母親には時期が早いと断った。
それは、上げると確かに強くなり、全国JOで優勝してしまうから という理由からであった。

一見変な理由だと思うかもしれないが、小さい内に優勝した選手は、その後ほとんどといっていいほど消えていたからである。

私は、麻子はそんな目先の優勝より、もっと大きな才能があると思っていたので、上げるのを拒否したのである。

しかし母親の一言から、私は上げることにした。
その言葉は
コーチ、この子に優勝するチャンスがあるならそれは実現させてあげたい。だってこの年齢は今しかないから・・・。
私は
わかりました、でも優勝しても有頂天にならないでくださいね。彼女はそこで終わる選手じゃないと思うので。
というやりとりがあった。

それから彼女の鉄人街道が始まった。
小学校6年生で日本選手権を突破。
そこから一度も出場漏れしたことがないどころか、中3から出た200バタフライは、日本選手権で必ずベストを更新してきた。
いわゆる内弁慶ではなく、ビッグゲームに強い選手だった。

その後サンタクララ国際大会の日本代表に2年連続選ばれた。当時私も代表コーチになったが、その時あずかったスイマーに松田丈志もいる。

彼女の鉄人エピソードはきりがないが、最終的には筑波大学に進学のため、私のもとを離れた。
これにも母親がからんでおり、実は私は筑波大学への進学には大反対したのであった。
というのは、当時は200バタフライの女子選手が、大学進学で担当コーチのもとを離れ成功した例がないからである。

しかしここでも母親の言葉が私の心を動かした。
母親は
コーチは、勉強もコツコツやりなさいと教えてきたでしょ、麻子はそれを忠実に実行し練習も手を抜かず、勉強でも筑波大学へ進学できるほどになりました。だから親としては行かせてやりたい。
200バタフライでコーチのもとを離れて成功した選手の第一号になってみせます。
・・・私は唖然とした
彼女は本当に勉強も学年トップクラスだった。

結局彼女は大学進学後一度も200バタフライのベスト更新することはなかったが、当時の同級生の宮下純一など素晴らしい仲間たちと出会えたことは幸運であっただろう。

しかし・・・私は・・・
正直彼女はオリンピックに出られた と今までも悔いは残る。