まっすぐ進め~

水泳コーチ岡本の日記
勝手な自論ご勘弁

頭きた!

2015-07-29 21:38:31 | 日記
今日はあることで非常に頭にきている。
岡本くん久しぶりに爆発しようかな。
知らんよ。
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チーム岡本 エピソード3

2015-07-28 21:39:29 | 日記
崎本浩成 まだ現役

ある日のこと、突然私の職場に電話があった。
>コーチのところで泳ぎたいのでお願いします。と何と直接本人からであった。
当時崎本は、ピープルの若手で最も有望な選手だったので、驚いた私は当然即答は避けた。

一旦電話を切り、すぐにピープルのトップである田村栄子コーチに連絡した。
事情を伝えると、田村コーチも焦ったようで必ず留めるということだったので安心していたら、再び田村コーチから連絡があり、あっさり面倒みてくれと言われた。説得したが無理であったとのこと。

えーっ‼︎いいのかピープル⁇と思いながらも崎本に事情を聞くと、高校最後は信頼できるコーチのもとで終えたい、と言われ、その気持ちに引き受けることにした。

そして移籍初日の面談で、私は彼に短水路でいいから1分切ることと条件を突きつけた。
彼は、ぼっ僕はブレですよ⁉︎とおどろたが、その決意がないなら断ると言うと、半信半疑で了承したようであった。

私のこの1分を切ると言う注文は、当時1分3秒台がベストの彼には無茶に思えたようだか、私は彼にはセンスがあるのはわかっていた。

実際練習させてみると、持久力はまったくないが、彼のスプリント能力はずば抜けた才能があり、これはホンマに1分を切ると思えた。

彼はブレの選手であったが、ブレをやり過ぎるとすぐにおかしくなり、またすぐに自信をなくすチキンハートであったので、けっこう繊細なプログラムと自信を与える技が必要であった。

しかし彼は私を信頼してくれ、いつしか崎本との練習は噛み合いだした。
その後インターハイ優勝、国体優勝、インターナショナル入りなど急成長した。

そして最後の全国JO、約束の1分切りに挑戦するときがやってきた。
結果は1分00秒12で1分切りはならなかったが、北島康介の持つ高校記録を破ることができた。

そして大学進学になるが、
彼は大学になっても私のもとで泳ぎたいと言ったが、私は今度こそハッキリ断った。

なぜなら彼は有名大学から引く手数多で、真のトップしか勧誘されない早稲田からもお声がかかっていたし、彼は報徳学園の普通科ではあるが学年トップの成績であったので、早稲田に行くべきと思ったからである。

彼の願いはコーチ冥利ではあったが、彼の種目特性や性格なども考え、そして何より早稲田に行けることは素晴らしいと、正直なところは惜しい気持ちもあったが、東京進学をすすめた。

今もまだコナミの強化指定選手としてリオを狙っているらしい。
もう30才だが、やるなら本気で挑んでほしい。やれよ‼︎
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チーム岡本 エピソード2

2015-07-26 20:04:13 | 日記
今日は京都中学校
レースを見てると、また昔の選手を思い出した。

北田麻子

2001福岡世界選手権日本代表
200バタフライ準決勝進出

彼女は小学校2年生から高校3年生まで指導した。
その一番の思い出は、やはり全国JO200個メ優勝だろう。
9~10才グループ2分29秒⁇でぶっちぎった。
実は私はこの優勝を予想していた。

それは彼女が3年生になるとき、母親から上のチームに上げてほしいとの申し出があった。その時期、私は下のチームも見ていたので、母親には時期が早いと断った。
それは、上げると確かに強くなり、全国JOで優勝してしまうから という理由からであった。

一見変な理由だと思うかもしれないが、小さい内に優勝した選手は、その後ほとんどといっていいほど消えていたからである。

私は、麻子はそんな目先の優勝より、もっと大きな才能があると思っていたので、上げるのを拒否したのである。

しかし母親の一言から、私は上げることにした。
その言葉は
コーチ、この子に優勝するチャンスがあるならそれは実現させてあげたい。だってこの年齢は今しかないから・・・。
私は
わかりました、でも優勝しても有頂天にならないでくださいね。彼女はそこで終わる選手じゃないと思うので。
というやりとりがあった。

それから彼女の鉄人街道が始まった。
小学校6年生で日本選手権を突破。
そこから一度も出場漏れしたことがないどころか、中3から出た200バタフライは、日本選手権で必ずベストを更新してきた。
いわゆる内弁慶ではなく、ビッグゲームに強い選手だった。

その後サンタクララ国際大会の日本代表に2年連続選ばれた。当時私も代表コーチになったが、その時あずかったスイマーに松田丈志もいる。

彼女の鉄人エピソードはきりがないが、最終的には筑波大学に進学のため、私のもとを離れた。
これにも母親がからんでおり、実は私は筑波大学への進学には大反対したのであった。
というのは、当時は200バタフライの女子選手が、大学進学で担当コーチのもとを離れ成功した例がないからである。

しかしここでも母親の言葉が私の心を動かした。
母親は
コーチは、勉強もコツコツやりなさいと教えてきたでしょ、麻子はそれを忠実に実行し練習も手を抜かず、勉強でも筑波大学へ進学できるほどになりました。だから親としては行かせてやりたい。
200バタフライでコーチのもとを離れて成功した選手の第一号になってみせます。
・・・私は唖然とした
彼女は本当に勉強も学年トップクラスだった。

結局彼女は大学進学後一度も200バタフライのベスト更新することはなかったが、当時の同級生の宮下純一など素晴らしい仲間たちと出会えたことは幸運であっただろう。

しかし・・・私は・・・
正直彼女はオリンピックに出られた と今までも悔いは残る。
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楽しみ

2015-07-25 20:32:21 | 日記
やるよ!
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当たり前のこと

2015-07-24 13:04:11 | 日記
しんどい練習は、本来は試合で結果を出すためにやっている。
練習出来たこと、こなしたことがそのまま表れる。
そして大事なことはどんな環境においてもベストを尽くせるかである。

時に、力があっても周りの環境により弱気になったり、決意のないままレースに臨み、不完全燃焼のまま終わることがある。後の祭りということだ。

かといっても環境対応力などは慣れが必要で、回数を重ねる度に強くなるものである。
だから普段と違う環境を経験できる合宿で肉体のみならず精神を鍛えることや、レベルの高い大会に途切れないで出続けることは、平常心で実力を発揮するための要件となってくる。

どんな大会も特別なことはせず、ホームでレースするように、普段と同じことができるかだ。試合は練習の発表会なのである。
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