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50代少年の好奇心つれづれ

50代になった元少年の好奇心の毎日をつれづれに

エコポイントって何?

2010年05月24日 | 視点

地デジのアンテナも無事建ち、テレビも購入してようやく地デジライフが起動に乗ってきたので、購入したテレビに付いてきた(という表現が正しいのか?)エコポイントを申請することにした。申請用紙は電気店にもあるようだが、手続きの早いインターネットで申請することにした。

検索サイトで「エコポイント」をキーワードにして検索、すぐに「eco-points.jp」が見つかった。サイトの内の誘導に従って必要事項を投入。購入したテレビの型式を入れると、エコポイントも自動で計算された。販売されている家電全機種のポイントデータがデータベース化されているようだ。当たり前といえば当たり前。それからがややめんどくさい。投入したデータがPDFでダウンロードされるので、それを印刷して、領収書(レシート)や保証書のコピーなどを添付してグリーン家電エコポイント事務局に郵送。その後、書類の中身が事務局でチェックされて最終的にポイントが確定する、という手順である。

ポイントが確定するまでに1ヶ月程度かかるようだ。日本中の人達が申請しているので、仕方ないかと思いながら、それでもせっかくインターネットで申請しているのだからもうちょっとなんとかならないの? と思いつつ、結果を待つことにした。

でも考えてみると、そもそもエコポイントって何なのか?

グリーン家電エコポイント事務局のホームページによると「家電エコポイント制度とは、地球温暖化対策、経済の活性化及び地上デジタル対応テレビの普及を図るため、グリーン家電の購入により様々な商品・サービスと交換可能な家電エコポイントが取得できるものです」となっている。エコポイントの名前からして、「地球温暖化対策」はわかるのだが、「経済の活性化」や「地上デジタル対応テレビの普及」がエコと何の関係があるのだ?

起源は、環境省は2008年からはじめた「エコアクションポイント」と呼ばれるモデル事業に遡る。この事業は、環境省が制度の仕組みと創設資金を提供し、ポイントの原資は企業側で負担するというものだった。

ところが2008年に起きた金融危機を受けて、麻生政権は「経済危機対策」の施策の一つとして「エコポイント等によるグリーン家電の普及加速」という項目を示し、「家電エコポイント」が発足する。そのため、エコポイント制度の意味付けが環境対策から景気対策に変わってしまった、またポイントの原資として税金が投入されることとなった。その後、地デジの普及も目的に追加された。

こうして、環境省、経済産業省、総務省が中心となった今のエコポイント制度が出来上がる。まさに環境省が「地球温暖化対策」を、経済産業省が「経済の活性化」を、総務省が「地上デジタル対応テレビの普及」を担当するという、所掌官庁縦割りな今の目的となったのである。

事務局の発表によると4月末現在で個人の申請受付件数(累積)は約1352万件、エコポイント発行数(累積)は約1227万件/約1935億点となったとのこと。少なくとも4月までに1935億円の税金がエコポイントの名の下、テレビなどの購入者に還元されるのだが、新しい家電を買えるひとにだけ還元されるやり方、高額な家電を買える人にはより多く還元される今のやり方が、税金の使い方として本当に正しいのだろうか? 本来の目的である環境を考えるということなら、もっと賢い税金の使い方があると思うが。

と言いながらも、エコポイントを申請してしまう私なのだが・・・。


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最近、近くの小さな字が見づらい

2010年05月21日 | 視点

最近、近くの小さな字が見づらい。だんだん見づらくなってきた。いわゆる「老眼」である。職場や家などでももちろん不自由なのだが、困るのは外で小さな字を読まないといけないときで、すぐに眼鏡をとりだせない。売り場のカウンターで急に書類に記入を求められたり、改札口で切符の座席や時間を確認したりするときは苦戦する。

先日も、新幹線で出張したのだが、チケットレスサービスを利用すると切符はなくて、入り口の改札を通ったときに座席を記入した「ご利用票」なるものが出てくる(写真 右)。が、このご利用票の字が小さい。写真では「のぞみ20号4号車9番E席」なのだが、眼鏡なしではとても読めない。出発時間の「12:00発」に至っては、眼鏡をかけても苦しい。改札を通ってすぐにホームに行きたいのに、いちいちカバンから眼鏡を出して席を確認はできないのだ。年配の人も相当利用しているので、JRには是非検討願いたい。「ご利用票」の下半分は白紙で、字を大きくしても十分印刷できる余裕はあるのだから。

一方飛行機も(私はANAを使っているが)同じように最近はチケットレスで、搭乗口のゲートをくぐると「搭乗券」が出てくる(写真 左)。ただ、字は相当に大きくて、座席番号の「36C」は眼鏡がなくても十分に読める。それだけで航空会社の利用者への配慮のようなものを感じる。

老眼は老化現象だから、歳とともに進むのは当たり前なのだろうか?

近視の予防に、近くと遠くを交互に見て、目の水晶体の動きを活発にする訓練があるが、同じような訓練が老眼にも効果があるという報告もある。いつもは老眼鏡に頼っているのだが、しばらく眼鏡に頼らず訓練を試してみよう。


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在宅勤務が導入されました

2010年05月18日 | 視点

わが社でもいよいよ在宅勤務制度が導入された。

自宅で仕事ができる勤務については、かなり以前から遠隔勤務、テレワーク、テレコミューティング(commuting=通勤)等の名前で、話題にはなってもなかなか導入が進まなかった。アメリカでは1994年のロサンゼルス地震後、道路が寸断されて車通勤できない人が増えたのを境に、テレワークが本格的に進んだと言われている。

しかし日本でも、ファシリティ的にはインターネット高速回線の一般家庭への普及とともに、家庭でもオフィスとほぼ同等の仕事ができる環境が整い、わが社でもようやく実現した。通勤時間が軽減されるし、育児や介護といった問題を抱える社員も多いので、社内では全体的には歓迎ムードである。

なお、遠隔勤務には自宅近くの郊外オフィスで勤務する形態もあるが、わが社に導入されたのは在宅での勤務である。

○制度の概要
対象者は、通常勤務の社員はもちろんであるが、育児や介護のために短時間勤務をしている社員も対象となっていて、ワーク・ライフ・バランスがかなり考慮されたと言える。ただ、業務は自宅で仕事ができる業務(=オフィス業務)に限られ、場所も自宅だけでカフェや出先でというわけにはいかない。

実施日数は日曜日から土曜日までの1週間で2日が限度となっていて、残念ながらすべての勤務を在宅にはできない。導入の最初なので試行的にということだろうが、育児や介護の場合は2日だけはかえって使いにくいかもしれない。勤務時間は7時から19時の間に7時間30分で、時間外はない。時間外を認めても勤務管理が難しいからだろう。

ただし、対象者は全員在宅勤務を希望することができて、希望する本人が予め届けを出し上長の承認さえ得られればOKである。このあたりは、かなりおおらかな制度になっている。なお、OKが出ても、在宅勤務を希望する日の前日までに、当日の実施計画を直属上長出さないといけないし、当日は始終業時刻の連絡、業務遂行状況報告、始終業時刻の連絡義務付けられている。日本的な勤務管理では仕方ないことであるが、多分アメリカなどでは、成果さえ出せば勤務管理はもっと自由度が高いのだろう。

使用するパソコン端末は会社貸与される。。一見パソコンも会社から提供されてありがたく見えるが、これはセキュリティ上の問題であって、逆に会社から貸与されるパソコン端末以外は使えない。またお客様情報を取り扱う社内システムへのアクセスは禁止されている。

○みんなが使える制度とするためには
社内に導入されて暫く経つが、まだ誰も申請していない。みんなお互いの様子を見ているのだろう。みんなが使える制度とするためにはまだまだ工夫が必要と思う。

・一般社員から見て
社員は、「申請したいのはやまやまだけど、そうしたときに自分自身の仕事ぶりが正当に評価されるのか?」、という不安がある。上長からは結果しか見えないし、さらに頑張ったけどダメだったみたいなときに努力賞的な評価はない。日本の場合は成果に至る過程も評価対象になっている場合が多い。アメリカのようなドライな成果主義ならそれでいいのだろうが・・・。

また、在宅勤務が将来の出世に影響しないのかという不安もある。人事制度上は公正な評価を謳ってはいるが、そうは言っても成果が同じなら、毎日満員電車に揺られて会社に来ている社員を上に評価したいのは人情である。男性の育児休暇や短時間勤務がそれほど普及しないのも、将来の出世を考えるからだろう。

・管理者から見て
管理者の部下評価も難しい。いままで部下は目の届くところにいるのが当たり前だった。そのため、遠隔で業務をしている社員を正当に評価する訓練は受けていない。隣の席で、「課長、たばこ行きましょう」と親しげに話しかけてくる社員のほうが、日々遠隔で成果を出している社員より目にかけてしまうことにもなりかねないのだ。


などなど、波乱含みでスタートした在宅勤務ではあるが、制度をうまく活用すれば、日々の生活が充実することは間違いない。もっとも、主婦のみなさんにとっては、うっとうしい旦那が一日ずっと家にいるのが一番の問題かもしれない。今後の行方を見守りたい。

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免許とりたて

2010年05月16日 | 視点

先日、娘二人が同時に運転免許を取った。

姉は今26歳なのだが、「大学に行ってるうちに時間があるんだから、運転免許は取っときなさいヨ」と言っていたにもかかわらず結局取らずじまい。一方妹は、高校3年生のときに「18歳になれば自動車運転できるんでしょ、免許取りたい」と言い出した。姉妹でも性格はまったく違う。

結局、妹が自動車教習所に行くのが決まると、姉も「じゃあ私も」ということになり、二人いっしょに自動車教習所に通い始めた。通い始めると、私がたまに東京に帰省したときの食卓のもっぱらの話題は、「あの教官はカッコいい」とか「あの教官は意地悪でいやだ」とか、女二人ですでに姦しい。教習所では名物姉妹だったようだが、ふたりとも比較的すんなり卒業できた。ここで一人の卒業が遅れるともめるので、とりあずは良かった。ただし、二人同時はかなりの出費ではあったが。


免許は取ったのであるが、実は我が家には車がない。正確に言うと私が単身赴任になって、車も特に必要なくなったので暫くして廃車にした。なので、せっかく免許を取ったが実際の道路で練習できない。

やはりときどきでもハンドルを握っていないと、法律的には運転できても、実際には運転できなくなるので、そこで昨日は一日レンタカーを借りて運転の練習をすることになった。私はドライバーの横で指導教官である。


新米ドライバーの助手席は初体験なのだが、ハラハラドキドキ緊張の連続だった。
 ・まずスピードが出せないのでトロトロ運転になる
 ・バックミラーに気を取られすぎ
 ・ ここというときに思い切ってアクセルが踏めない
 ・ 左により過ぎ
などなど。ただ、大きな失敗もなく一日ドライブは無事終了したので、指導してくれた教官のみなさんには厚く感謝したい。さぞかし大変だっただろう。自動車教習所の教官の気持ちがよくわかった一日だった。

私も20歳の頃に免許を取って、以来、通勤にも使ったし、荷物を運んだりと実利でも車は役に立った。が、一番思い出に残っているのは、家族とキャンプに行ったりみんなで東京から奈良に何度も帰省した楽しい出来事である。

子供たちにも、運転には十分気をつけていい思い出をたくさん作ってもらいたい。

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横断歩道の赤信号は待つべきか 渡るべきか?

2010年05月12日 | 視点

 車があまり来ない道路の横断歩道にさしかかったとき、運悪く赤信号になって待たされるときがある。「交通ルールなんだから待つべきだ」という声と「車が来てないんだから大丈夫」という声の葛藤、「信号くらい待てる余裕が欲しいね」と「時は金なりだ」という意見の戦いである。

待っている歩行者が私一人の場合
かつてはちゃんと信号が青になるまで待っていた。が、最近は待てない。なぜだろう。たぶん以前に比べ「時間」がどんどん大事に思えるようになってきたからだ。ボーっと、何かを見るわけでもなく考えるわけでもない時間が、何かもったいない。年をとるにつれて時間の過ぎるスピードが速くなるらしいので、もしかしたらそれでかもしれないが・・・。

待っている人が何人もいる場合
他に待ってる人たちの手前、自分が先に渡り始めるためには(もしかしたら、他の人たちも私に続いて渡り始めるかもしれないのだが)さらに強力な自己説得理由が必要だ。そんなとき私は、自分のリスクは自分で取りたいと思う。これは何も歩道の信号について話だけではない。最近のテレビや新聞報道を見ていると、何でもかんでもあまりに他人まかせである。自分の老後は政府が面倒をみてくれる、日本の安全はアメリカが面度を見てくれる、膨大な国債の返済は次の世代が面倒みてくれる、そんなことはあり得ないのである。だから、道路の安全も法律は守ってくれない。

自分の安全は自分で守るしかないのだ。だから、青信号まで待って身の安全を確保するという選択があるなら、自分の責任で赤信号でも渡るという選択があってもいいと思う。もちろん青信号で渡る場合も、車には十分注意している。

ちなみに、歩行者の信号無視は「2万円以下の罰金又は科料」です。くれぐれもご用心を。

第121条1項:「次の各号のいずれかに該当する者は、二万円以下の罰金又は科料に処する。」
1項1号:「第四条(公安委員会の交通規制)第一項後段に規定する警察官の現場における指示若しくは第六条(警察官等の交通規制)第四項の規定による警察官の禁止若しくは制限に従わず、又は第七条(信号機の信号等に従う義務)若しくは第八条(通行の禁止等)第一項の規定


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スターバックスで勉強できるの?

2010年05月08日 | 視点

ときどきスターバックスにコーヒーを飲みに行く。

私のお気に入りの店だ。お腹のすいているときは決まってコーヒーと一緒にシナモンロールも注文する。会社のあるビルの一階にも店舗があるので(スタバがあるので今のビルにオフィスを引っ越したという説もあるが・・・)、朝、コーヒーの香りとともに出勤できるのも嬉しい。

私にとってスタバは、コーヒーを飲みに行く場所なのだが、最近、スタバで参考書や問題集を開いて勉強している人たちをたくさん見かける。人の出入りも頻繁にあり、あちこちで話し声が聞こえる中で、彼ら/彼女らは集中して本当に勉強できるのだろうか? 頭の硬い頑固オヤジなら、「勉強は家か図書館でしなさい」と言うところだろうが、そうはなりたくない。

どうして若者がスタバに勉強のために集まるのか? 

スターバックスのホームページには、「家庭や職場・学校に次ぐ、くつろぎの拠点。スターバックスが目指すのはそんな第三の場所"サードプレイス"です」と書かれている。
http://www.starbucks.co.jp/company/stores.html

このサードプレイスという考え方は、アメリカの社会学者レイ・オールデンバーグによって書かれた本“The Great Good Place”ではじめて紹介され、ベストセラーにもなった。スターバックスが経営コンセプトにしたことでさらに有名になった。

都市に生きている人には、3つの場所が必要だと言う。ファーストプレイスは「家」であり、セカンドプレイスは「職場(学校)」である。そしてこのふたつを結ぶ中間地帯が3番目の場所、つまり「サードプレイス」である。

ただ、この本のサブタイトルにもあるようサードプレイスは、Cafes, Coffee Shops, Bookstores, Bars, Hair Salons, and Other Hangouts at the Heart of a Community つまり、心温まるコミュニティの隠れ家であり、ドイツのビアガーデン、イギリスのパブ、フランスのカフェのように日常生活の憩いの場なのである。いまのスタバとはちょっと違う気がする。

もともと日本で最初にスタバができた頃は、何か都会的でアメリカの匂いのする、カッコいい場所というイメージで、若い女性やビジネスマンを中心に浸透した。持ち運びのできるリッド蓋の付いたカップというのも珍しかった。ロゴの付いたバックもちょっとおしゃれだった。

それが今や、日本国内だけでも850店舗(今、スタバでホームページで調べた)を数えるまでに普及した。その間に、客層は若いビジネスマンから若年層/中高年層へ、イメージも都会的な場所から庶民的な場所へ、そして集う目的のひとつが、若者が勉強のために訪れる場になりつつある。

日本流の、新しいサードプレイスが生まれつつあるのかもしれない。

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本当に就職氷河期なのか-2

2010年04月21日 | 視点

私が就職についてこんなこんなことを書いているのは誰に向けてなんだろう。それは、就職を控えた学生諸君にいいアドバイスをしたいためでも、弊社の人事担当に採用方法を見直せと言っているわけでも、決してない。

前回のブログでも書いたよう、私もとうとう(?)就職を控えた子供を持つ親の年になった。今まで自分が就職活動、新入社員、新入社員の上司、採用育成戦略をそれぞれに経験したが、この年になって初めて親の立場で就職を考えるようになった。

でも、親の立場でというのは今までにない、何かとても新鮮な見方だった。だから、まずは自分の考えのメモとしてまとめておこうと思った。それに、できたら就職を控えた子供をお持ちの両親にも読んでもらえたらと思っている。

 


・企業にはいろんな仕事があり、したがっていろんな能力が必要とされる
・見かけの元気だけでその社員の本当の能力は判断できない
・採用の最初の活動は一般にリクルータが行うが、リクルータは残念ながら採用の素人
・二次の面談は小手先は通じない、人間力を問われる
・人間力=地頭の良さ+熱意+社会的生命力

次回は、これらについてもう少し詳しくまとめてみます。(その3に続く)

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本当に就職氷河期なのか-1

2010年04月20日 | 視点

4月に入って、街でリクルート姿の新入社員の姿をよく見かけるようになった。大学卒の就職率は2000年以降では最も低い80%と言われる氷河期の中で、勝ち残った勇者たちである。今、会社に就職できてホッとしていることだろう、ご苦労様と言いたい。

私もかつて30年少し前に就職活動を経験した。当時は就職の半年前、前年の10月1日が会社訪問の解禁日だった。そう思うと今の就職活動はその1年も前から始まっているので学生は大変だ。勉強をしてる暇もない。そんな時代だったので、私の場合は学生時代にゆっくり勉強して(遊んで?)、就職の半年前にようやく本気で就職活動をした。幸い求人数のほうが学生数をはるかに上回っていたので、それでも比較的すんなり今の通信会社に就職できた。ただ当時は公社だったが・・・。

入社したばかりは当然新入社員。見るもの聞くもの初めてで失敗の連続だった。その頃は今のように新人の育成に手厚い時代ではなかった。「仕事は教えてもらおうと思うな、先輩から盗め」のような徒弟的な指導(?)のもと、それでもなんとか一通りの仕事はこなせるようになった。

暫くして新入社員を部下として持つようになった。チームとして成果が求められる中、単に仕事をこなすだけでなく、新人君にどんな仕事をさせるか? 新人君に何をスキルとして残すか?を考えながら仕事を与えるようになった。今、30年経って彼らが部課長になり、それなりに業務をこなしているのを見ると、私の育成もそんなには間違ってなかったんだなあと、自画自賛している。

最近は、新人を直接部下として持つことはないのでちょっと物足りないが。代わりに会社全体の人材育成の戦略や、新入社員確保のためのリクルータ育成を考える立場になった。さらに、私の子供がそろそろ大学卒業を控え、子を持つ親の立場で就職についても考えるようになった。

前置きが長くなったが、こんなふうに一通りサラリーマンを経験した立場で今の就職前線を見るとき、疑問に思うのが「本当に氷河期なのか?」ということである。企業はいつの時代も有能な人材が欲しいのだが。(その2に続く)

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学問のすすめ

2010年04月13日 | 視点

 

先日ある本を読んでいたら、「もっと古典を読まなければいけない」という主張があった。確かに最近のノウハウ本の氾濫にやや疑問を抱いていたので、筆者の主張には賛同できた。今これだけたくさんの本が書店に並んでいるが、果たして50年後、100年後も読まれている本はどれほどあるだろう。古典がその中でみんなに読み継がれてきているのは、やはりいい本だからだ、という意見である。

それも一理あるなあと思い、古典として引き合いに出ていた「マキャベリの君主論」を買ってみた。が、チンプンカンプン。後になって考えればあたりまえだが、マキャベリが生きていた当時のイタリアの時代背景が頭に入ってないとまったく理解できなかった。

続いて引き合いで出ていた「内村鑑三」にも挑戦してみようと思った。しかしご存知のように、内村鑑三がキリスト教思想家であるという時点で、私のような信心のかけらもない人間にはハードルが高そうである。そこでもう少しとっつきやすそうな本ということで、当時の日本を代表する作品で有名な「内村鑑三の代表的日本人」、「新渡戸稲造の武士道」、「福沢諭吉の学問のすすめ」に挑戦することとした。

特に「学問のすすめ」は、題名こそ有名だが読破した人はほとんどいないだろう。偶然にも、福沢諭吉が生まれた大阪堂島の蔵屋敷跡は会社のすぐ近くである。昨年には慶応大学の「慶應大阪リバーサイドキャンパス」も開設された。

この手の本は文語体で、なかなかスラスラ読めるわけではないが・・・。本の感想はまた別の機会に。