最近東京駅が新しくなった、というか100年前の姿に戻った。
東京駅丸の内駅舎は、1914年(大正3年)に創建されたが1945年(昭和20年)に戦災により南北のドームと屋根・内装を焼失。
ドーム形状を寄棟形状にして戦後の姿になったのだが、このほど創建時の姿に忠実に再現された。
ドームの内部も創設時の姿に戻ったらしい。
100年前のデザインとは思えないような姿だ。
最近東京駅が新しくなった、というか100年前の姿に戻った。
東京駅丸の内駅舎は、1914年(大正3年)に創建されたが1945年(昭和20年)に戦災により南北のドームと屋根・内装を焼失。
ドーム形状を寄棟形状にして戦後の姿になったのだが、このほど創建時の姿に忠実に再現された。
ドームの内部も創設時の姿に戻ったらしい。
100年前のデザインとは思えないような姿だ。
目黒雅叙園に行った。
名前は良く聞くのだが、行ったのは初めて。
普通のホテルかと思ったら、宴会場のような、結婚式場のような、レストランのような、ホテルのような。
ちょっと不思議な場所だった。
愛宕にあるMORIタワーに行った。
地上42階地下2階。調べてみると2001年7月竣工ということなので、そんなに新しいビルではないが、14年ぶりに東京に来てみると、高いビルが随分増えた気がする。
ようやく定期を買った。
首都圏なのでPasmoかSuicaのカードなのだが、Suica定期はJR東日本~私鉄(地下鉄)のようにJR東日本線の区間と他の鉄道会社線の区間を通らないと買えない。私の場合、通勤ルートでJR東日本区間は通らないので、必然的にPasmoである。
普段定期で移動するだけでなく、都内出張もけっこうかるので自動的にチャージされるオートチャージを申し込むことにする。
ところが、である。
オートチャージはクレジットカードからのチャージなのだが、そのクレジットカードは種類が限られている。どんなクレジットカードからでも、というわけにはいかない。主に交通事業者系クレジットカードだけなのだ。
ということで、小田急沿線に住んでる私としては、まずは小田急(ポイント)カードを申し込む必要が出てきた。転勤早々、小田急デパートで小田急ポイントカードを申し込んだ。3週間くらいかかってようやくカードが出来上がったので、今日駅の窓口でやっと定期を購入した。
せっかく入手したPasmo定期なのだが、デザインがいまひとつだ。もともとのPasmoの台紙に通常の定期のように区間と有効期限を書かれているのだが、両方が重なって見てくれが悪いし、見難い。今やほとんど自動改札で、改札口で定期そのものを見せる必要がないので、これでもいいのかもしれないが。
この定期、繰り返し使えるというので、文字はどうなっているのかと思って調べてみると、こういうしくみだそうです。以下、メーカーのサイトから。
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「サーモリライトシート」(三菱製紙の製品)温度による可逆結晶化変化がロイコ染料の発色と消色を引き起こす特殊な顕色剤を使用して、繰り返しての記録・消去を可能とした感熱シート。単体では無色のロイコ染料と顕色剤の混合層を、記録面とする。この記録面は、加熱により温度上昇すると、ロイコ染料と顕色剤が分子レベルで混合し、色が現れる。ところが、緩やかな冷却や、低温加熱状態が一定時間続くと、ロイコ染料と顕色剤が別々に結晶化し、色が消える。この特性を利用した感熱記録材料である。
今日は東京に来ている。
ホテルオークラで会議なので、虎ノ門から歩いてもよかったのだが、時間もあるので新橋から歩くことにした。
このあたりは、かつての職場だったのでけっこう馴染みがある。
最初入社したときは、赤坂の支店にいた。奈良の田舎者にとって、いきなりの職場の赤坂は何かまぶしかった。今のANAホテルの近くが職場だったが、そのころは溜池山王の駅はまだなく、寮が習志野だったので総武線快速で新橋まで来て新橋からバスか歩きだった。
しばらくして、日比谷の本社に移った。本社というので周囲の働きぶりに圧倒されつつ、張り切って仕事をした。とにかくみんな帰るのが遅くて、夜の0時を回って最終電車というのが連日続いた。当時は「遅くまで仕事をする=仕事ができる」という風潮もあった。寮に帰っても風呂は終わっていて、一週間風呂に入れない日もあった。このときも新橋から歩きだった。
それから10年ほどして、今度は霞ヶ関の官庁に出向になった。父親が公務員だったこともあり、息子が霞ヶ関で仕事をしているというのがよほど嬉しかったのだろう、父親が初めて私の職場を訪ねてきてくれた。いっしょに昼を食べて、別れたのがここ西新橋の交差点だ。結局父親の元気な姿を最後に見たのがここになってしまった。
あれから22年。
私も父親の年に近づきつつある。健康には気をつけて毎日をしっかり過ごそう。
今日はお台場に来ている。
私が新入社員だったころは、イベントというと晴海にあった東京国際見本市会場だった。
大きな展示会やイベントは必ずここで開かれたが、建物がそれぞれ別に建っていたので、雨の日にホールの間を移動するのは大変だったし、老朽化もすすんでいた。何よりも交通の便が悪くて、東京駅からバスか、海をはさんで向かいにある竹芝桟橋から船が一番便利だった。
しばらくすると、幕張に幕張メッセができた。
晴海の東京国際見本市会場とはうって変わって、きわめて近代的な展示施設だ。そのころちょうど職場が幕張になったので、イベントには歩いて行けて便利になった。ただ、最寄の海浜幕張駅周辺はできたての町で、まだまだだ空き地が多くて、一歩会場を離れると閑散とした雰囲気だった。
またしばらくすると、東京国際展示場(ビッグサイト)ができた。
規模的にはビッグサイトが、今日本で一番大きなコンヴェンションセンターらしい。東京駅にも近くて、新橋からゆりかもめで行けるし、今は私は大阪勤務なので、品川まで新幹線で行けば、大崎から臨海副都心線で一本で行ける。今日は久しぶりに帰りはゆりかもめに乗ってみた。
こうしてみると、今までいろんな展示会を見てきた。かつてはブースをひとつひとつ回って、パンフレットとノベルティーを精力的に集めたのだが、最近はどうも人の多さについていけない。なので、興味をあるブースをいくつか回ってそれで満足している。
そろそろ年か・・・
今日は新宿に来ている。
新宿南口はここ数年ずっと工事をやっている。どうやら、駅のホームの上に甲州街道につながるビルを建てるらしい。列車を運行しながらの工事なので、JR東日本も大変だっと思って調べてみると・・・
この工事は東京国道事務所がやってるとのこと。正式な名前は「新宿駅南口地区基盤整備事業」と言う。
甲州街道が新宿駅をまたいでいる新宿跨線橋はかなり古くて、大正14年に架けられたとのこと。老朽化も進んでいるらしい。甲州街道をあれだけたくさんの車が通っているので、たしかにちょっと怖い気がする。
今回の工事ではこの新宿跨線橋を架けかえて、あわせて甲州街道横/新宿駅ホーム上に、高速バス、一般車、タクシーなどの交通拠点を作るらしい。
完成は平成27年。
まだまだ暫く工事が続きそうだ。
今日は東京日帰り出張。
場所は六本木の東京ミッドタウン。かつて防衛庁があった場所(と言うと年がばれるが)である。2007年3月に再開発で東京ミッドタウンになった。
むかし、あたりは防衛庁の物々しい雰囲気だったのだが、あまりの変わりようにびっくりである。
大阪駅の北側が最近騒がしい。
大阪駅北に隣接する貨物の操車場跡地の再開発が進んでいるからだ。
正式名は「グランフロント大阪」と言うらしい。下記URLで今の工事の進捗が見られる。
http://www.grandfront-osaka.jp/location/condition.html
すでに、地上38~48階建てのビル4棟がだんだんと姿を現してきた。
東京で言うと、ちょうど汐溜の再開発とよく似ている。
ただ、汐溜の反省もあって個々のビルがまちまちなデザインで建つのではなくて、4ビルが統一されたコンセプトで設計されている、そうだ。
今日は、一部仕上がったフロアを見せてもらえるというので、慣れないヘルメットに身を包んで、工事用のエレベータで13階まで登らせてもらった。
普段見れない景色にしばらく、うっとり。
でも、もっとびっくりしたのは、配管/配線/鉄骨むきだしの建設現場だった。
「ビルの建設現場はこうなってるんだ」とひたすら感心した半日でした。
仕事も終わって今から大阪に帰ります。
列車に乗ろうと長野駅を通っていると、かつての長野オリンピックのシンボルマークが壁一面に大きく掲げられていた。
今年のロンドンオリンピックのマークはかなり評判が悪いようだが(実際、何を意味しているのかさっぱりわからない)、この長野オリンピックのマークは親しみが持てる。
人が競技をしているように見えて躍動感があり、オリンピックをイメージできる。色もオリンピックの5色だ。ただ、赤が二箇所に使われているのがちょっと気になる。5色で5人にしておけばよかった気がする。
ジャンプ競技で日本選手が活躍した大会だが、長野にとって一番よかったのはやはり新幹線が開通したことだろう。東京から1時間半の距離になった。大阪まで帰るのに、東京経由で帰っても時間的にはあまり変わらない。
ちなみに飛行機で長野に来られないのかと思って調べてみると、松本空港の就航路線は新千歳と福岡だけでした。どういう人達が利用するんだろう。かつでは伊丹便もあったようだが・・・