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銘苅春政 作 三線棹 サイン

2018-10-12 21:56:17 | 三線

だいぶ前の作品ですが、銘苅氏の名前のシールは貼られていましたが、サインがなかったので、お願いに上がりました。

氏は、しげしげと見ながら、自身の作と認め、いい材料(ゆしのみ-)だと褒めていました。

※ゆしのみー : 和名イスノキで県内ではユシギといいますが、その中でも特に堅くいい材料の部分をいいます。

いまでは、ほとんど見なくなった希少な材料で、同じく希少な八重山黒木と同等と評価するところもあります。

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ほれほれする字体です。

このように書けるようになったのは、60年前に書道家の謝花雲石氏に基本的なことを学び、その後独自に進化してきたとお話してくれました。

備考

謝花 雲石(じゃはな うんせき) 本名:寛剛(かんごう)

生年:明治16(1883)年4月1日
没年:昭和50(1975)年2月21日
出生地:沖縄県那覇泉崎村
学歴:沖縄中学中退
 

明治44年(1911年)朝鮮に渡り、朝鮮総督府臨時土地調査局に勤務して、大正8年(1919年)に帰郷するまで、京城府、長谷川町在の書画研究会で、海岡・金圭鎮氏に師事し、王羲之の書法を学ぶ。

大正8年帰郷し、沖縄県庁に勤めるかたわら、、書道研究所を開き、後進の指導にあたる一方、那覇市役所、大典寺、護国寺等で書画展を開き、裁判所、波之上宮等で書道講習をおこなって、書道の普及に努めた。

特に戦後は、沖縄の書道復活に力を入れ、沖展書道部の創設時より運営委員として、また客員として、沖縄の芸術文化の発展につくされた。

昭和42年(1967年) 沖縄タイムス芸術選賞大賞を受賞。
昭和44年(1969年) 勲5等瑞宝章を授与される。
昭和47年(1972年) 5月第1回沖縄県知事芸術文化功労賞を受賞。
昭和50年(1975年) 2月21日心臓麻痺のため那覇市松尾48の自宅で死去。93歳。

主な作品: 沖縄県庁の表札(石に彫られた文字)、恩納ナベ記念碑、玉城朝薫200年祭記念碑、
明治山之碑、山城正忠歌碑、その他多数。

 

追加

令和元年始まりの5月にいただいたサイン

とても丁寧にサインします。

 

 

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