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江戸与那型 三線棹

2018-02-24 18:38:20 | 三線

棹のみの販売を予定していましたが、特殊カラクイと開鐘チーガもつけることにしました。

棹材はカミゲン すべて真っ黒の高品質

透明塗りですが、まるで黒色塗料を施したように見えます。

☆詳しくはこちら☆

上記棹は販売済みとなりました。

 

沖縄県指定有形文化財としての江戸与那三線について


名工 与那城が考案した型。 
江戸上りの際に使節が携行したことが名称の由来です。
予備の弦を巻くために糸蔵が他の型より長めなのが特徴です。
沖縄県立博物館のものは19世紀中ごろ島津家に献上された名品の一つといわれています。
1939年東京で発見され沖縄に帰郷しました。
沖縄戦の際にハワイに持ち去られてしまいましたが1953年沖縄に返還されました。

棹は太めです。
全長は800.1mm
野面が糸蔵の端まで一直線です。
範穴はやや下方に開けられています。
糸蔵は長く、50mmあり鳩胸(75.8mm)も大きめです。
この型は、小与那城型、江戸与那型、佐久川の与那型、鴨口与那型の四つに分かれます。
江戸与那の心の側面には大小三つの穴(3分、2.5分、2.2分)があけてあります。

江戸上り

琉球は薩摩の支配下に入って後、幕藩体制下、将軍の代替わりには慶賀使、琉球国王の代替わりには 謝恩使を江戸へ派遣することが義務づけられていました。

唐風の行列は目を引き、薩摩にとっては〈異国〉を従えていることを天下に誇示する機会でもありました。
江戸城内では将軍の前で楽などが奏されました。

薩摩入りの時、捕虜として薩摩に連れて行かれた尚寧王から明治維新の慶賀使まで、計21回(うち2回は慶賀使・謝恩使を同時派遣)上ったとされています。

江戸与那三線は首里の王様が江戸上りをする際に路次楽に用いられたことからこの名前がつけられたとされています。


 
 
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