広島市映像文化ライブラリーでは所蔵フィルムの中から毎月特集を組んで邦画の上映をしている。3月は佐分利信特集。「暖流」や「彼岸花」「華麗なる一族」などの中から
小津安二郎監督の「お茶漬けの味」を観にいく。
いつもは空いていて好きな席で見られるほどだけど、さすがに今日は満席だね。
1952(昭和27)年の作。戦後まだわずかという時期の作品とはとても信じられない。
都心のサラリーマンは当時ではエリートだったことを差し引いても、このような映画が
当時の人々に受け入れられていたことに驚く。
いま、この現代を生きている私のための映画のようだ。
私の語学力でも英訳の字幕スーパーが作れそうなシンプルな会話のやり取り。
人物像を巧妙に浮き上がらせる巧みな人間関係の描き方。
日本人に受けるようにと、思い入れたっぷりに情緒的に描くということがまったくない。
映画にはちっとも詳しくない私でも、小津作品がヨーロッパで再評価されているという
ことにはとても納得がいく。
「東京物語」で言われたことだけれど、
画面からある人物がいなくなったときの喪失感を、映像は巧みに描き出す。
あるものではなく、ないものを描写するのだ。映画のような映像でこれをしちゃうのはスゴイ。
「しない。もうわたし、しない」(あなたの知らないところに勝手に出かけたり・・)
台詞は時にひどく唐突な感じを受ける。
ところが観客の中で見事に整合するのだ。この呼吸の巧さ。
まさに演劇顔負けの映画である。
異質なものを受け入れることで新たな自分が生まれる。その喜び。
夫婦関係はお茶漬けの味だという謎解きのような映画の中で
小津が伝えようとしたことのは、まさに人類普遍のテーマなのではないだろうか。
しかも映画としても楽しめて面白い。娯楽の鑑であります。
上映の前に昭和27年当時のニュース映画が流されるのだか、これもちょっとオススメ。
家業を手伝う中学生のために教師自ら漁船に乗り込み、漁の済んだ船の甲板で
黒板を前に10人くらいの中学生と授業をしているニュース映像。
かつての日本にはこのような教育の姿勢があった!
中に広島のニュース映像もあり、国際コンクールに何人もの児童が入選した
福山の小学校で、卒業生制作の壁画を描いている様子。
とても小学生とは思えない巧さにびっくり。終戦の翌年に入学した子どもたちである。
小津安二郎生誕100年(松竹)のホームページはこちら
小津安二郎監督の「お茶漬けの味」を観にいく。
いつもは空いていて好きな席で見られるほどだけど、さすがに今日は満席だね。
1952(昭和27)年の作。戦後まだわずかという時期の作品とはとても信じられない。
都心のサラリーマンは当時ではエリートだったことを差し引いても、このような映画が
当時の人々に受け入れられていたことに驚く。
いま、この現代を生きている私のための映画のようだ。
私の語学力でも英訳の字幕スーパーが作れそうなシンプルな会話のやり取り。
人物像を巧妙に浮き上がらせる巧みな人間関係の描き方。
日本人に受けるようにと、思い入れたっぷりに情緒的に描くということがまったくない。
映画にはちっとも詳しくない私でも、小津作品がヨーロッパで再評価されているという
ことにはとても納得がいく。
「東京物語」で言われたことだけれど、
画面からある人物がいなくなったときの喪失感を、映像は巧みに描き出す。
あるものではなく、ないものを描写するのだ。映画のような映像でこれをしちゃうのはスゴイ。
「しない。もうわたし、しない」(あなたの知らないところに勝手に出かけたり・・)
台詞は時にひどく唐突な感じを受ける。
ところが観客の中で見事に整合するのだ。この呼吸の巧さ。
まさに演劇顔負けの映画である。
異質なものを受け入れることで新たな自分が生まれる。その喜び。
夫婦関係はお茶漬けの味だという謎解きのような映画の中で
小津が伝えようとしたことのは、まさに人類普遍のテーマなのではないだろうか。
しかも映画としても楽しめて面白い。娯楽の鑑であります。
上映の前に昭和27年当時のニュース映画が流されるのだか、これもちょっとオススメ。
家業を手伝う中学生のために教師自ら漁船に乗り込み、漁の済んだ船の甲板で
黒板を前に10人くらいの中学生と授業をしているニュース映像。
かつての日本にはこのような教育の姿勢があった!
中に広島のニュース映像もあり、国際コンクールに何人もの児童が入選した
福山の小学校で、卒業生制作の壁画を描いている様子。
とても小学生とは思えない巧さにびっくり。終戦の翌年に入学した子どもたちである。
小津安二郎生誕100年(松竹)のホームページはこちら
すごく日本的なのに世界に通じるんだと思うと、心がワクワクしますよね。
たまたま好きで古い邦画を見ていたら、これは面白い!と感じた映画がみんな小津安二郎監督作品だったわけで、なんと幸運な出会いだったことでしょう。
小津作品の大ファンだという若い人が多くてびっくりしちゃいました。
小津さんは、さり気ないように見えてすっごくこだわって映画作りをなさったとか。小道具ひとつにしてもなかなか侮れませんよね。
実は、ありきたりの風景なんかじゃなかったと気づいたとき、胸がいっぱいになります。
ちなみに、東北弁での会話の時には、一人で笑っていました♪アメリカ人には「テキサスアクセントで話してるようなものなんだ」と説明・・・。みんな納得。