今日のblogは、私の旧友しかわからない話だとは思いますが…
昨日、突然、見知らぬ着信の携帯電話が鳴り、誰かと思って出てみると…
「もしもし、片山です」って びっくり仰天
その声は、まさしく、大阪弁コテコテの懐かしいKENちゃんの声でした
嬉しい、実に嬉しい、私のことを覚えていてくれるなんて、信じられない思い
KENちゃん…それはまさしく私の青春時代なのです。
知ってますか?、彼女のこと。
KENちゃんと言っても、女性ですよ。私より6つ年上です。
片山知子
その昔、関西地方では、有名なフォークシンガーソングライターでした。
今は立派な音楽プロデューサーでもあり、大阪なんばにある「フリーウエィーダンススタジオ」のオーナー、社長さんでもあります。
どうして彼女と出会ったのかまでは、記憶にありませんが、私が高校、大学初期頃、KENちゃんの追っかけをしており、それではあきたらず、片山知子後援会京都支部なるものを立ち上げ、周りの友達を引っ張り込んでセッセと活動しておりました
しまいには、京都支部じゃなく、片山知子後援会本部を引継ぎ、高校生ながら仕切っており… 今から考えると、なんて無謀なことを…
「今、伊原くんが一緒におるよ」
そう、伊原くんとは、私と一緒に後援会を仕切っていたもう一人の男の子。伊原くんも当時は高校生でした
ファンの集いや、キャンプ、一緒に頑張った懐かしい思い出がいっぱいです
1970年代、京都の西京極に、KENちゃんの所属する「PEP」という音楽会社がありました。そこには、あのねのね、河島英五さんを始め、関西エリアの数多くのフォークシンガーがいました。
KENちゃんの応援をしだしてから、よくそこの会社にお邪魔し、「就職するなら、PEPにおいで」と中川社長にまで言っていただいてたくらいです。
新曲が発売されたら、会社に頼まれて、京都や大阪のレコード店を1軒1軒まわって「片山知子のレコードください」と1枚ずつ買い集めたり…。今じゃ考えられない行動でしょ。有線放送やラジオ曲にセッセとリクエスト出したりね…
でも、KENちゃんが出てる、公開放送のスタジオやコンサートに行くと、KENちゃんが舞台の上から私を見つけては、合図をくれたりするのが、すごく優越感でね、それに楽屋にも連れてってくれるし、他の芸能人ともおしゃべりできたりして…
KENちゃんは、そんな私のことをどう思っていたのかは知りませんが、東大阪の実家に泊めてくれたり、私の家にも来てくれたり、すごくかわいがってくれた…
今は亡き河島英五さんは、ホモサピエンスというグループで活動されてた時代でしたが、当時から、すごいミュージシャンだなと思ってました。
あのねのねは、ブレークする前、観客なんて、全然なかったんですよ。KENちゃんの前座って感じで…
KENちゃんが歌手をやめてからは、自然に遠のき、その後の行方も知らなかった私
しかし、数年前、パソコン検索でKENちゃんを見つけ、思い切って連絡。メールを何度かしてたら、「何十年ぶりにステージで歌うから、見においで」と言ってくれ、大阪に行って再会
私の中では、20代のままで止まっていたKENちゃんだったから、1/4世紀ぶりにステージで見たときには、長い歳月を感じえずにはいられなかったわ
四季の歌、皆さん誰でもご存知でしょ? ソレは多分、1976年の“芹洋子”の四季の歌。
しかし、元は、上のジャケット写真の1972年発売の、片山知子の「四季の歌」が先なんだよ~
←こっちのシングルレコードは、
B面に「シャロムの歌」を入れて、
のちにもう一度発売されたものだけど、
何故か名前を「瓢箪山とも子」に改名してるのです。
瓢箪山ってのは、
KENちゃん家の近くの駅名だから、ソレをつけたんだろうけど、
この時期の頃、私はすでにKENちゃんの傍にいなかったから、よく知らないのです
春を愛する人は 心清き人
スミレの花のような 僕の友達 ♪~
去年、このファーストアルバムのLPレコードが、CD化されたようなので、興味のあるかたは、パソコンから少しだけ視聴できるとこもあるので、聞いてみてください。とりあえず、amazonのページ、リンクしとくので、クリックしてみてね。KENちゃんの昔の歌声をぜひ。
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