あの大魔神みたいなおばはんが「読め」と言うから読んだったよ。
2010年9月14日の中国外交部姜瑜・報道官の記者会見
「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明 [単行本] を読んだ。
ネットでも読める・・。
「尖閣」列島--釣魚諸島の史的解明
日本サイドに味方する高い本↓
尖閣諸島・琉球・中国―日中国際関係史 分析・資料・文献 [単行本]
こちらも読んだ。資料としては豊富だが、内容は井上清の著書の方が面白い。
井上清の言い分は良く解った。
日本側の対処の仕方にも問題がある事が判明した。
だけど、ワシの結論としては、やはり尖閣諸島は実効支配をしている日本の領土である。
しかし、今後シナが軍事力等で以って強引に奪うならば、
尖閣諸島はシナの領土になるのもやむを得ない!って事だ。
日本人は諦めるか、奪われる前に防衛力を強化して、あの島々を死守するしかない。
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16世紀の文献に拠ると、あのエリアは釣魚諸島と呼ばれ、
少なくとも琉球の領土ではない。
だからと言って、シナの領土だと明記はされていない。
当たり前だ。・・当時は人の住む島ではなく、航海の指標みたいなモノだったからだ。
シナの感覚では久米島より東が琉球の領海で、その西側がシナの領海だ。
だから、シナ側は漠然と「釣魚諸島はシナの島だ」と考えていた。
現代みたいに「領土」的な感覚は無い。
何故ならば、無人島だからだ。人の住まない土地は殆ど意味が無い。
ここで大事な話。
明治政府が10年間かけて調査し、何処にも属さない島だと認定した!・・・ってのは大ウソだ。
閣議決定をして編入したのは事実だが、明治政府はそれを公表しなかったのだ。
清国も欧米諸国も、搬入事実を知る由も無い。
日本側の問題点はココにある!
明治17年頃に古賀辰四朗って事業家が住み着いたのは事実。
明治18年に沖縄県知事が国標建設を上申した。
だけども政府は認めなかった。・・・何故か?!
大国シナが恐かったからだ。
1895年、明治28年1月に標杭建設を閣議決定。
同年4月に国内編入措置。
井上風に言うならば、日清戦争の勝利に乗じて、掠め取ったモノである。
・・・・以上が日本側の弱みと言えば、弱みである。
シナに言わせれば、「元々、どちらの側も日本領土では無いと認識していたし、寧ろ清国に近いし、清国の側の島だという認識だ。」と云う事。
そして、「日清戦争勝利のドサクサに紛れて掠め取ったのだから、我々にも
奪い返す権利がある!」と言いたいワケだ。
日本側の言い分は「実際に日本人が移り住んでいた。」
「戦後も日本が実効支配をしている。・・・だから日本の領土だ!」って事だな。
所詮、領土なんてモノは「誰が実効支配をしているか!?」って事が問題なワケで・・・。
元々は何処の国の領土だったか?ってのは重要ではない。
竹島を見よ!北方領土を見よ!米軍基地を見よ!
全部“力で奪われてる”じゃないか!?
暴力こそ正義!これが現実だ。
尖閣諸島も同じだ。
日本が強くなって、清国の領土?かも判らない釣魚諸島を、戦争のドサクサで掠め取った。
以降実効支配をしてきた。
ただ、それだけの事。
今後、シナに盗られたら、「取られた!」って事に過ぎぬ。
こっちが取り返すまで、あっちの領土でありつづけるのだ。
尖閣諸島の領有権についての基本見解
外務省は嘘を吐くのはやめよ!
再三の調査など無い!調査は一度だけだ。
編入の際も、どの島々を編入したのかも明確にしていない!
小笠原や南大東島の様に、緯度経度もハッキリさせていない!
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一方のシナ・台湾側にも弱みはある。
大正9年、漁民救助の感謝状に明記
↑:これだ。
一九二〇年、大正九年には、中華民国が尖閣諸島を日本の領土だと認めている。
1970年の台湾の地図も「尖閣諸島」と書いてある。
(1971年には釣魚台列嶼に書き換えられているが・・・。)
結論を言うと、尖閣諸島は実効支配をしている日本の領土である。
シナに強奪されても、それはそれで仕方が無い話。
だから、ワシは断固として闘う覚悟だ。
シナ共産党には1ミリたりとも渡す気は無い!