旅の途中・・・

食と音と人の旅

作家

2005年11月24日 19時48分00秒 | 
蛍と星の境が・・・こんなにたくさんの蛍をみたことがなかった。木がクリスマス状態である。たまに私の肩にとまる。なんて幻想的なんだ。この島に来て何日目だろう。時間なんて気にしていない。煙草もやめた。毎日穏やかな海と戯れた。夜になると砂浜を歩く足跡に光るプランクトン(海ぼたる?)が何粒ものこる。
電気なしのランプ生活。寝ているとヤシの実が自然に落ちてくる。今夜はあの辺に落ちたようだ、明日拾って飲もう。こんなパラダイスな旅はやめられない。
が、こんな旅にも終わりはくる。しかしまた来ればいい。終わらせないことなのだ。蛍に心を奪われた。純粋な自然に感謝した。となりに角田光代もいた。

アラブの音

2005年11月24日 13時31分40秒 | 
コーランが街に響き渡る。異国情緒溢れるこの毎日のイベント。もちろん何を言っているのかは解らない。イスラムの教えなのだろう。が、なぜか胸に響いて心のどこかを振るわせるのはなぜだろう。がしかし朝っぱらから大音響でかかる時もあり、そしてスピーカーが宿の窓のすぐ横にあったら最悪だ。(コタバル・マレーシアにて)いきなり、といってもマイクのスイッチを入れてガサゴソと音がしてからはじまるのだが、本当に驚く。やはり遠くから流れてくるようなやつが最高だ。国や町によっていろいろなコーランがある。それぞれの個性がある。間が長いのもある。終わったと見せかけておいてまた始まる。まくしたてるのもある。じじいもいる。ギョレメ(トルコ・カッパドシア)のコーランは好みの一節であった。ラーメンでいえば薄口醤油であっさりコクありタイプだ。

星空

2005年11月24日 13時30分04秒 | 
ランタンへのトレッキング。8泊9日。忘れもしない1991年1月1日。
初めてのヒマラヤトレッキング。私はド素人です。だいじょうぶですか?
ノープロブレム!ツーリスト店のネパール人が言った。シェルパもついているし、荷物も持ってくれるし、そんなに大変な山登りじゃない・・・と
結論!素人はもっと簡単なトレッキングにするべし!雪がある山はスニーカーでは登るべからず!タバコを吸っているような輩は肺を鍛えてから登るべし!
毎日毎日大根のカリィに耐えられない者。牛の糞を燃やしてチベットパンを焼いたのを食べれない人。夜中にねずみが頭のあたりをウロウロされるのが苦手な人。突然イノシシが目の前を横切っていくのが嫌な人。見下ろせば断崖絶壁数百メートルが苦手な人。所々にある祠でブッダが対面騎乗位で教えを説いているのに変な思いを巡らせる人。羊の群れとすれ違うのが苦手な方。カリフラワーの薫製がカリィに入っているのが嫌な人、昼ご飯が注文してから1時間半かかって出てくるのが嫌な方。大便が下に落ちて豚がそこにいるスタイルでしかも、なぜか蠅がついて怪しげな黒黄色い色をした縄がぶらさがっているタイプのトイレが苦手な方。お風呂に何日も入らずにはいられない方。標高3000メートルを越えて頭が痛くなる者。あっちこっちにあるチベット仏教関係のものがうっとうしい人。検問所のネパール兵士が鼻につく人。電気がないのが嫌な人。いろんな国のトレッカーと雑魚寝状態になる事等三つ以上あてはまる方々絶対にヒマラヤトレッキングはやめるべし。
お腹が空いてありついた大根カリィは最高に旨かった。やはり空腹が一番のスパイスであった。因にラマホテル(小さな山小屋の集落)で見た星空は私にとって最大級のイベントであった。


モロッコーマラケシュ

2005年11月24日 13時28分39秒 | 
ジャマ・エル・フナ広場での出来事。やらせ子供ボクシングを知ってるか?私は見た!その一部始終を話そう。広場では水売り、蛇使い等いろんなパフォーマンスをやっている。そしてひときわ観客が多いところがあった。ボクシングだ。子供の対戦相手をまっているのか?何やら輪の中で司会者が観客に向かってあおり立てている。どっちが勝つのか賭けでもやるつもりなのか?とにかくかなり大げさな身振りと大声でだんだんと場を盛り上げていく。廻りの人たちもまだかまだかと期待している感じだ。そして対戦相手らしき者がでてきた。いよいよ子供ボクシングの始まりか?期待している自分もそこにいた。
ところが突如泣きながら赤ちゃんを抱えた女性が輪の中に乱入。倒れ込んだ。大声で何かを訴えている。身振りから判断すると、コノコニ・・・
ナニカタベルモノ・・クダサイ?オナカガスイテ・・・コノコ・・ネムッテいやいやシンデシマイマス・・・・・ドウカ・・タベルモノクダサイと。倒れ方が実に見事に華麗だった。司会の男はその女性に何やら事情を聞いているようだ。男は立ち上がり観客に向かって訴えだした。
ミナサン・・コノコノタメニ・・オカネヲ・・アツメマショウ・・・・・・・
コンナニカワイソウナオヤコヲ・・・スクイマショウ・・・
自分の帽子をとってお金集めをはじめた。母親は倒れたまま下を向いて泣いている。子供ファイターは座ったままだ。ひととおり集め終わると
そのお金を母親に渡した。胸に赤ちゃんとお金を抱きかかえて輪の外に出て行った。司会者が何か言っている。キョウハ ミンナイイコトヲシタ・・・・・アラーニカンシャ・・ボクシングハチュウシシマス・・・
サヨウナラ・・・!!!
次の日レストランが入っているビルの屋上から広場を眺めていた。
するとなんとまた子供ボクシングをやっているではないか。しかもまた母子が乱入していった!
次の日バスターミナルにチケットの予約をしにいった。するとなんとあの子供ボクシングのメンバーがいた。母子も司会者も子供もみんなグル、家族だったのだ!!!世界にはいろんな商売があるものだ。


あきらさん

2005年11月24日 13時23分05秒 | 
最近久々にベイカーショップブギのライヴに行ってきた。あきらさんの歌に感動。やはり違う。そんじょそこらのヴォーカルとは比べ物にならない。
ブギにはたまに顔を出しているのだがあきらさんには滅多に会えない。
いつも元気に『どうだ調子いいか?』が挨拶だ。一度バンド時代あきらさんにステージ用のラメのベストを貰った事がある。当然彼は覚えていない。28年前のことである。汗臭くてちょっと重くなっていた。だが当時私にとっては宝物であった。もちろん今もそうである。一度その話をした時に今度持ってこいといわれた。私も懐かしいので、家のどこかにしまってあるはずのそれを探したのである。だが見つからない。あまりにも昔過ぎる。でもどこかにあるはずだ。いやあってほしい。それ以来その話題には触れていない。


インド人シンガーソングライター

2005年11月24日 13時22分18秒 | 
ゴア(インド)に滞在していた時、たまたま隣に滞在していたムンバイ(当時はボンベイ)から休暇をとって遊びにきていたTVプロデューサーと知り合う。
陽気な人なつこい、いい感じのおじさんだ。息子さんはムンバイで観葉植物のレンタル業をしている。盆栽が趣味だと言う。おじさんはJAZZが好きで昔ディージーガレスピーがボンベイに来たとき見に行ったそうだ。しかもかなりいろいろ歌えたりもする。さらにスキャット(ルイアームストロング風も可)も出来たのだった。仲良くなったきっかけは、おでん(日本食)を作って食べてもらい、お返しに彼の主催でインドカレーを食べるパーティーをひらいてもらった事であった。そして音楽やそれぞれのお国の話で盛り上がった。そしておじさんは今度面白い人を連れてきてやると言った。その人の名はレモ・フェルナンデス。後にインドの大スターになった。2000年には彼の髪型をまねる若者が出てくるという社会現象になるまでの人気で、その年インドポップスno.1になったのです。おじさんが彼を連れてきた日3人で朝方迄歌い続けたのである。そしてレモが私に1曲捧げると「アンジュナ」という曲を歌ってくれたのである。胸に沁みるバラードだ。こっちを見ながら語りかけてくる。あれから15年、たまに有線とかで彼の歌がながれたら、一緒に歌い明かした時の事を思い出す。懐かしくなる。いつかまた会えたらと思う・・・・・


2005年11月24日 13時20分30秒 | 
最近は長い旅をしていないのであまり日本食等を食べたくなるとかはないのだが、やはり長く旅をしているとこれがまたつらい。
だいたい小さな街には日本食またはアジアの料理等がないので大きな都市(キャピタル)を心の中で目指しているのは私だけであろうか?
あった!ここはテヘランの少し北。寿司屋にたどり着いた。日本をでてから6ヶ月が経っていた。でもよくもそんな寿司屋を見つけたなと思われますでしょう?実は当時はイランのガイドブックがなくて、インド・デリー・バハルガンジでイランへの道という日本人が手書きで旅行者に書き伝えられているコピーを貰っていたからなのです。さて寿司なのだがこれがまたマグロとかサバとか回転寿しでは¥100の皿ででているやつばかりで、しかも少し乾いていた。だが美味しかった。あ~やられている完全に、遺伝子レベルでやられている。再確認。食の基本を垣間見た。だがもっと凄いのはパキスタン・ラホールからクエッタに抜けた列車の中だった。三十数時間の列車の旅。水は10リットル。万全だ。いや、のはず。
外は砂漠地帯。竜巻があちらこちらで発生している。(規模小さし)
万が一を考えて最初はやはりコーラを飲んでつなぐ。熱い。ラホールで摂氏50度を経験していた。日中ストアに飲み物買いにいったら空気が揺らいでいた。だがこの狭い空間の中は更に息苦しい。しかも臭い。乗り合っている全員の汗と体臭が砂埃とあいまって南アジア菌とかで醗酵されていく。終わりの無い醗酵。気が遠くなりそうな暑さ。Tシャツはすでに塩がふいている。水も無くなってきた。不安がよぎる。もしもこの水全部がなくなったら・・・・と
無くなった。どうする。・・・・ノドが乾いて苦しい。コーラ売りはこない。いったいどうしてなのだ。乗りはじめの頃はあんなに子供がたくさんコーラを売りにきていたのに。苦しい。何も売っていない駅をいくつか過ぎていった。呆然としてきた。乗客は無言で耐えている。のか?外の景色は相変わらず砂漠。
あとどのくらいがんばれるのだろうか?無理だ。限界だ。次の駅こそと期待する。駅が天国に思える精神状態だ。危ない。
次の駅に着いた。なにかドリンクを売っている。空きペットボトル(1リッター)を2本持って買いにいく。あ~あれだ!とうとうその時がきた。いったいどうしたらこんなドリンクを考えられるのだ。まるでサンポール(古い人にしか解らない?)なのだ。強力芳香剤入りドリンク。想像して下さい。あのトイレの芳香剤。これにだけは絶対手をだすまいと決めていたのに・・・・そして思いっきりトイレをを飲み干した。生き返った。アリガタキ幸せ。こころもち美味しいとさえ感じてしまった。フカク。極限の喉渇き専用なのか?インド地方ヤハリアナドレズ。

旅の始まり

2005年11月24日 13時18分40秒 | 
10年間のバンド生活に見切りをつけてインドに渡ったのは21年前。初めての海外旅行。旅の始まり。バンコク経由でまずネパール。空港を出るとたくさんの人が俺のタクシーに乗れとかこまれていた。そしてタクシーの兄ちゃんには別のホテルへと連れられて行く。騙された。まあ今となればよくあることなのだが・・・
不安と期待の中初めて経験することに戸惑いながらも歩き始める。
どうしてインド方面なのかとよく聞かれた。呼ばれたのか。運命なのか。
ただ何となくナノダ。9歳の時に世界地図を開いてボンベイ(ムンバイ)に行くような気がした事があったのだが・・・
カトマンズ・インドラチョークの夕暮れ。初めての異国の人ごみの中私は汗をかきながら歩いていた。こっちを見ている鋭い目が気になる。そして見るもの全部が珍しい物に感じていた。そして世界と自分を観る旅に入っていったのだ。