旅の途中・・・

食と音と人の旅

エルサレム’91

2010年07月23日 18時45分29秒 | 
アフリカ横断を終えて、ヨルダンのアカバに着いてペトラ、アンマン経由でエルサレムに入った。宿は旧市街の中、パレスチナ人地区。この国の難しい問題はひとまず置いておきます。まずはウ゛ィアドロローサからゴルゴダの丘まで歩いてみる。十字架を背負い(背負ったつもりで)ゆっくりと。途中ウ゛ェロニカが汗を拭くようにヴェールを差し出してくれた。ゴルゴダの丘まではけっこう時間がかかる。しかも勾配もある。凄い体力だ。無理だ。
十字架のあったところは祠になっていて信者の人たちが額をつけてお祈りをしていく。私も敬意と感謝の気持ちで額をつけた。ここまで無事に旅を続けさせてもらってありがとう・・・
奇跡の人か・・・2000年も前の事・・・で今世界はどうなっている、91年湾岸戦争のすぐ後にここにきている。街はマシンガンを持った兵士が要所要所で警戒している。バスに乗れば女の子の兵士がマシンガンを持ってつり革につかまっている。ユダヤ人の乗るバスとパレスチナ人の乗るバスが別々の会社なのだ。日本人はどちらのバスにも乗れる。旅の中で最も来たかったエルサレム、お土産のTシャツに「アメリカよ心配すんなイスラエルがついている」というジョークがプリントされていた。ある意味ジョークでなかったりして。憎しみの連鎖、アンマンの空港でパレスチナ人のおじさんが絶対に許さないと言っていた。力を込めて熱く・・・なんか悲しくて力が抜けた。まだ続くのか・・・・・ものすごく深い世界がここにはある事を知ったのは日本に帰ってきてからである。嘆きの壁に世界が平和になりますようにと願いを書いた紙を挟めてきた事がむなしくなった。何の力にもならない・・・・ただ世界を眺める自分・・・