旅の途中・・・

食と音と人の旅

スープカリィの作り方 その2

2006年06月30日 16時10分30秒 | 
スープカレーの作り方 その2
前回インドに行った事の無い方は基本的にスパイスの本当の意味が解らないと書きました。ある意味とても哲学的な事なのですが。しかしそうは言ってもそうそう簡単にインドに行けるかと言うとなかなか難しいと思う。よって今回は技術的な事を伝授します。
まずそう簡単には作れません。なぜなら美味しいスープカリィとは何なのかを知らなければ目標に向かえないからです。よく簡単に美味しさとは個人の好みの問題だという方がおられます。それはそれで半分当たっていると思います。しかし目の前にある物を比べると解るときがあります。それも好みだと言いたい気持ちはわかります。がしかし、例えば塩加減。あきらかにしょっぱくてというものもあります。香りがとんでしまったもの。ここだけを比べても質が高いものとそうでないものがあります。それでも好みの問題だと言う方は手に負えません。以外と評論家をやっている方が書いている事をみると、ただの好みで深い味の事を詳しく語ってない様にみうけられます。料理人じゃないですし。解ったら自分で美味しいカレー作ってますしね。さてスープの事に突入します。
肉、魚、貝、昆布、野菜、等いろいろあります。まず自分が一番好きな材料を選びましょう。
今回は鶏ガラスープ。
とりがら(できればオーブンで焼いて臭いをとる)・・・4羽 水・・・12L  水が蒸発したら足しながら。時間は火の大きさによるので美味しいと思うところで止める。ふかないように。目安は6~7時間。
1時間半前にショウガ、ニンニク、タマネギ、セロリ、ニンジンをサイコロより大きいくらいに切って入れる。にぼしも入れてみましょうか。アクはとってください。出来上がりは12Lで。
これはあくまでも1例で果てしなくやり方があるので自分でもいろいろ試して下さい。化学調味料という手もありますが、これはお進めしません。しかし化学調味料を知る事も大切です。その美味しさも確かにあります。基本的にはスープをとるには時間も手間もかかるという事です。
では今日はここまで。次回は調味料関係です。


JAZZY チコさん

2006年06月29日 18時04分08秒 | 

私はJAZZを歌っていた時がある。ブロストと天銀という店である。今も天銀は営業していると思う。ブロストはもうない。
まわりにジャズマンがいた影響はおおきい。いつしかインプロウ゛ィ
ゼーションスキャットの面白さを知り、だんだんJAZZにはまっていったのである。そんな頃チコさんのレコード(まだCDではない)に出会った。
私はコピーした。ひたすらチコさんの歌をまねた。21、2年前のことである。そして今年チコさんに出会った。レコードでしか知らなかった本人に出会えたのである。古い友人(JAZZピアノマン山田?彼の事は後ほど書く予定)と一緒にやっているというのだ。さっそく私はその店に行った。まさかここで会えるとは・・・
60過ぎて魂の歌を聴かせるJAZZヴォーカル。今も現役シンガー。まだまだこれからである。渋い。本物だ。日本一の男性JAZZヴォーカルである。最近そのレコードをリメーキングしてCDにした。いやさせてもらった。もうチコさんもこの1枚しか無いと言う。私もある事情で手元にはなかった。ありがとうチコさん。私は誰よりもこのレコードを聴いた大ファンなのです。しかもすすきのから去る頃の思いでやいろんなものが詰まったレコードなのです。
機会があれば本物の歌を聴いてみて下さい。店の名はJAZZY.すすきの南5西4アイシンビル6F.きさくなおじさんです。きっと歌心で抱きしめてくれます。


手口闇両替

2006年06月12日 18時32分58秒 | 
かれこれ15年くらい前のこと。インドのムンバイ(ボンベイ)でのことである。マリンドライヴ(ムンバイの沿岸線)でそいつが声をかけて来た。
またですか。こいつらちょっとヤバいけどやってみようか。てな訳で闇両替交渉開始。いくら?公定より少し高い100ドルだと400~500ルピーくらい高いかな?近くで仲間らしきタクシーの運ちゃんがこちらを伺っている。怪しい感じだ。だいたいこんな事やってる奴らにまともな奴なんているわけがない。が、しかしお金も多く欲しい。よって多少のリスクも仕方がないことなのだ。路上交渉。ある意味変なところへ連れて行かれるよりよっぽどましだ。ゴアのマプサ(地名)では信頼できる絨毯屋でやっていたので何も心配はいらなかった。気難しい顔をしたおやじはタンタンと仕事をやってくれた。T・CもOKだった。なんて平和なところだろう。今ここにいるこいつはちゃらちゃらして、なんかだめそうだ。
先にそっちのお金をかぞえらせろ、いやそっちが先だ。何度も押し問答をした。らちがあかないと向こうが先に動いた。ワシの鞄に無理矢理お金を入れて来た。ふざけんな数えてもいないのに・・・鞄の中で数えようと思ったら、早く金をよこせという。こいつはダメだと思い金を返そうとしたら、なんと・・大きな札の中に小さな札が混じっているではないか。唖然。なんて奴だ。騙されそうになったのである。突き返した。その時お金が宙に浮き、ばらまかれてしまったのである。ヤバイ!ん~逃げろ~、全力疾走。振り返らず逃げた。まるで映画のワンシーンだ。ワシは追われている。しかも悪党にだ。見ようによってはワシも悪党の分類なのかもしれないが。彼はお金を拾うのに必死だったと思う。足りなかったらきっと親分にどやされるのだろうから。まぬけな奴だ。そしてワシは二度とムンバイでは闇両替をすることはなかった。それ以前にそれ以来行ってない。その後ムンバイはどうなってんだろうとかインドにいきたいなあなんて思いを馳せるこの頃である。

戦艦大和(夏島にて)

2006年06月11日 20時44分36秒 | 
10Kgオーバーのバラクーダーを釣った。トローリングでメタルジグをながす。ガツンと当った、急いで巻き上げる。糸が90M位なので手巻きでもまだたいしたことはない。ん~いきなり軽くなった。ばれたか!とおもいしや、おー、凄い力で引っ張られていく。重い。今までの中で一番ヘビーだ。日差しもはんぱじゃない。暑い。ここはチューク島、旧名トラック島、ほぼ赤道直下、ミクロネシアである。戦争当時海軍の司令部だったところなのだ。山本五十六、戦艦大和、戦艦武蔵等おなじみの戦艦がここに在った。
在住30年の末永さんに今回私たちの面倒をみていただいている。トラックの風俗、歴史等とても興味深い話をたくさん聞いた。竹島のそばに沈んだ零戦を見た。ひっくり返っていた。パイロットはどうなったんだろう。この辺りは三十数隻の船が沈んでいるらしい。
オローラ島という無人島(実際はダイビングショップの人がいる)
で一夜を過ごす。南十字星と北極星が同時に見える。夜も更けて来て末永さんの話は核心にふれた。戦争当時の事。考えさせられた。ぽっかり浮いたのどかなヤシの木が風に揺れる島にアメリカの空爆がはじまった。想像した。映画の様にグラマンやらが爆弾を落としていく。2日で壊滅した。地形が変わる程。多くの日本人(日本軍も含む)が住んでいて、そこそこの街が出来ていた(料亭もいくつかあるくらい)。今も日本人と結婚した現地の人がいて、森や林という名字を持つ人が多い。戦争の惨さに胸が痛い。30年もの間末永さんは慰霊に来る方を案内してきた。たくさんの関係者の話を聞いて来た。末永さんの思いは計り知れない。当事者達はもっとだ。口に出せない事もあったようだ。つらかっただろう。そしてその事を忘れて行く私たちは今ここにいる。歴史だから仕方が無いけれど、この事を知っておくことは大切だと思った。出来る限り伝えようと思った。日本のためじゃなく日本人と世界の人の為に。戦争で死んでいった全ての人が残してくれたものに感謝した