四国のササ原
日本各地のササ原は山頂効果と呼ばれる現象や森林の伐採、山火事、風雨などによる裸地化が原因でササ原になっていると考えられています。亜高山帯では何かの原因で森林がなくなるとダケカンバやミズナラが先駆種として現れますが、地形によってはササが先駆種の樹木より先に裸地を占拠してしまうことがあります。顕著に見られるのが山頂付近や尾根づたいの場所で、これらの場所は比較的乾燥し、日のよく当たる暖かい所なのでササの生育には好条件の場所といえます。
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![]() 沓掛山の南斜面は森林伐採の跡に ササが生えたような様子がうかがえる 山頂部と中央の丸い緑はササ原 ![]() 左下隅と人の下に切り株がある かつては森林であったことが伺える (1964年剣山山頂部) ![]() 剣山の南に位置する次郎笈 薄く小豆色に見える部分はダケカンバの 幼木が遡上している場所、上の写真と比 べても森林帯が上がっているのがわかる ![]() 森林が回復しつつある落合峠 |
<四国山地のササ分布図>
四国に分布するササは「四国山地のササ」で記述してある通り剣山系のミヤマクマザサ、石鎚山系のイブキザサ、鬼ヶ城山系のミヤコザサです。
地理的に石鎚山系と剣山系は吉野川で分断されています。この四国山地を二分している場所を大歩危小歩危といいます。地質は三波川変成岩類で砂質片岩の中に礫質片岩が挟まれた約7000万年前の白亜紀後期のものとされています。
中学生のころ、四国山地を吉野川がどうやって分断したのか不思議でした。
その時教わったのが、
「日本列島誕生のころ、四国山地は石鎚山と剣山はひとつの山脈として徐々に隆起していました。しかし、四国に降る雨は非常に多く、吉野川は四国のほぼ中央で四国山脈が隆起する速度にあわせて山脈を南北に侵食していました。
この場所は深い切り立った谷となり、現在の大歩危小歩危になったと考えられる。」
とのことでした。
現在では、第三紀のころ四国山地は準平原を形成しており、第四紀になって隆起したと考えられています。
四国では3種類のササが棲み分けています。
地図で示しましたが、よく見るとササの種類は大きな川が境になっているようです。石鎚山系のイブキザサと剣山系のミヤマクマザサは吉野川で分かれ、さらに石鎚山系のイブキザサと四国カルストのミヤコザサは仁淀川を境にしています。
石鎚山系の西の端に皿ヶ嶺という山があります。ヒマラヤの青いポピーが植えられている有名な風穴がある所です。この山のササは1000m付近までスズタケですが、竜神平から頂上まではミヤコザサと思われるササに覆われています。
地理的には石鎚山系ですが、石鎚山と皿ヶ嶺のちょうど中間に黒森峠(標高1000m)があり、仁淀川の源流のひとつ(面河川の支流)がこの峠から流れ出ています。石鎚山系のササを2つに割ける川でしょうか。
(注1) 植物学会誌 北村 系子・河原 孝行 森林総合研究所北海道支所 遺伝的なクローン構成がオクヤマザサの部分開花に関係
*) 二次林とは、自然林を伐採した後にできる林をさし、最初に侵入してくる種を先駆種と言います。
*) 極相林とは、森林の更新が安定に達した状態を言います。