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「山地のササ」

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関東山地・頚城山地・伊豆のササ

2025年06月09日 | 関東山地・頚城山地・伊豆のササ

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関東山地・頚城山地・伊豆のササ                         


ここでは、日光周辺の山々、尾瀬、上越から志賀高原、秩父山系と頚城山地、丹沢山地、伊豆半島のササを紹介します。
関東平野を囲む山域は気候的にも大きな差異があり、植生も多様化しています。ササもいくつかの種が分布していると考えられます。
志賀高原、戸隠山、黒姫山、妙高高原から雨飾山にのびる頚城山地などではチシマザサが広く分布し、四阿山や浅間山より南側ではシナノザサが分布ています。
ミズバショウで有名な奥裾花自然園のササはチシマザサですが、ザゼンソウで有名な大町にある居谷里湿原ではシナノザサが生えています。

丹沢山地、奥多摩から大菩薩峠、笠取山の山域にはシナノザサとは異なる小ぶりなササが生えています。さらに、南八ヶ岳権現岳や編笠山の山麓、南アルプス北端の入笠山、釜無山山頂部にも同じササと思われる種類のササがあるようです。ただ、甲武信ヶ岳から金峰山、小川山に至る2400m~2500mの稜線付近にはササは見当たりません。ササがあるのはもっと下の標高1500mあたりで、それも密度は低くまばらです。最近は色々なホームページがアップされており、現地に行かなくても特定の地域のササの画像を見る機会があります。ササの種類はスズタケとミヤマクマザサと想像されます。

 


 

<浅間山>

旧信越本線から浅間山を見上げる人は、きっと一度は登りたいと思っている人です。そう思わせるほど山の姿がいい。富士山とは違う正弦曲線の魅力だ。

今私たちが見ている浅間山は若い火山です。
本峰の標高2200m以上には、乗鞍岳、御嶽山、白山のような植生がありません。オンタデが先行し、カラマツが後を追っています。


「浅間山の歴史」(注1)
浅間山の火山活動は数期に分かれています。
最も古い活動は2万年前の黒斑期です。
現在残っている黒斑山、蛇骨岳、剣ヶ峰と今は跡形のない東側外輪山とが直径2Kmのカルデラを形成しました。
次の仏岩期では、小浅間山付近が噴火しカルデラの東側を吹き飛ばしました。
この活動したで生じた堆積物は粘性のあるデイサイトです。
さらに前掛期には今の浅間山山頂付近で噴火活動が始まり、前掛山を含む直径1000mの火口を形成しました。
1783年(天明3年)には鬼押出しの溶岩流と火砕流を北側に流し、中央火口を形成しました。




旧外輪山の黒斑山には植生があり、高山性の山野草やササが生えています。
シモツケソウ、ヒメシャジン、オダマキ、マツムシソウ、ミヤマウイキョウ、ヤナギラン、ハクサンフウロウ、富士山山麓にみられるコバノイチヤクソウ、コクルマユリや浅間山が基準標本であるミヤマシャジンなど。
ササはシナノザサです。

しかし、若い火山であるため標高2100mの湯の平から上にササは生えていません。先駆種はカラマツで、その先をオンタデが先行しています。両者は種子繁殖で火山噴出物の中を進入しています。土壌の発達がない火山では植生が未成熟で、ササの進入は困難な状況と言えます。



浅間山を駆け上るカラマツ



先行するオンタデ
ピークは前掛山




黒斑山のカラマツの林床にシナノザサ



肩毛が発達している



葉の裏に細毛

 



四阿山のササ原にはリンドウが多い



葉の裏には細毛(シナノザサの特徴)



根子岳の斜面は森林が回復している







<四阿山/根子岳>

四阿山2354mは根子岳、四阿山、浦倉山、奇妙山が構成するカルデラ外輪山のひとつです。カルデラは北西部が崩壊し、溶岩は須坂市米子川に流れています。

四阿山はシラビソに覆われていますが、根子岳は一面シナノザサのササ原です。

花の100名山である根子岳もササの勢いが強く、背丈の高い山野草だけがササの間に生育しています。
小さな花たちにとって、登山道脇が彼女たちの生きる唯一の場所です。


十数キロ北に離れた志賀高原のササ原はチシマザサですので、境目は万座あたりでしょうか。


 根子岳山頂はシナノザサ

 

 

この山の下部はシラカバ、上部はダケカンバ
いづれも林床はシナノザサ

 





鳩待峠から山ノ鼻に降りる木道の
周りにはよく茂ったササ




尾瀬ヶ原の小沼の周りにもササ



赤田代の木道にもチシマザサ



肩毛の付いたササ








<尾瀬ヶ原/燧ヶ岳>

尾瀬ヶ原については沢山の記述や資料があります。

尾瀬ヶ原と尾瀬沼を取り巻く山にはチシマザサとチマキザサが分布しています。
優占しているのはチシマザサで、尾瀬ヶ原や尾瀬沼の周囲のほとんどの場所に分布しています。 稈は太く、丈も2m以上あります。

チマキザサは鳩待峠付近に分布しています。

福島県側の御池から温泉小屋に至る登山道の脇の林床には高い密度でチシマザサが生えています。林地と沼地の間にあるわずかな草地はササ原の様相を呈しています。

燧ヶ岳では、麓から山頂近くまで林床にチシマザサが生えています。沢がガレた跡は小さなササ原になっていて、他の植物は見当たりません。
特に御池に下る北側斜面では強健で大きなチシマザサが生えています。
山頂近くでは、ハイマツとチシマザサが斑模様に生えており、チシマザサは乾燥した登山道に沿って勢力を広げています。

見晴から尾瀬沼の方へ少し行くと、肩毛の付いたササが現れます。標高は1470mから1500mの間です。 稈もそれほど太くなく、葉の裏には細毛はありません。チマキザサでしょうか。このササはチシマザサと混ざって生えており、密度はチシマザサが優占しています。

燧ヶ岳の林床はチシマザサ

燧ヶ岳柴安嵓の登山道付近はチシマザサ

 

熊沢田代ではミズバショウ、ヒノキ、ハイマツ、
チシマザサが同居している

 

 


<男体山>

男体山麓から戦場ヶ原、湯の湖、金精峠にかけて数種類のササが分布していると言われます。この山塊は日本海側気候と太平洋側気候の狭間に位置しています。
調べたい場所です。




湯の湖と男体山



男体山志津宮登山口のササ

 


 

<妙高山>

妙高山は頚城山系の東に位置し、北信五岳のひとつです。
山麓には赤倉温泉や燕温泉など有名な温泉地があります。
南地獄谷では今も硫黄を含む蒸気が立っているのを麓から見ることができます。
燕温泉登山口には誰でも入れる黄金の湯があり、男女別になっているので、山から下りてきたときに気軽に利用できます。

ササはチシマザサで、麓から山頂直下の標高2200m付近まで生えています。この山系のチシマザサは太く、よく育っています。竹の子が美味しそうです。

6月はネマガリダケ(チシマザサのこと)の竹の子狩りが真っ盛りです。

途中コイワカガミが広く分布しています。

古い火山のせいか、山頂部は玄武岩の大きな岩体がいくつもそそり立っていますが、以外に土壌も多く見られました。
日本岩と書かれた大きな岩もあります。



登山道脇の大きなチシマザサ


6月の北地獄谷には雪渓が残っている


山頂部の玄武岩


山頂部はミヤマハンノキが多い

 





金山の山頂部


山頂近くはチシマザサのササ原



山頂部にある池塘にもササが忍び寄っている



強健なチシマザサ

<金山>

金山は頚城山系の西側に位置します。東には活火山の焼山、その向こうには火打山、妙高山があり、西には雨飾山が見えます。

標高が2245mと高くありませんが、多雪のため高山植物が多く分布しています。

チシマザサは小谷村の登山口から山頂まで濃く茂っています。

登山道の途中に見られるチングルマやハクサンコザクラの生える草原はチシマザサに侵入を許し、生育領域が狭められています。
チシマザサの勢いは強く、これらの高山植物域は、いずれはササ原となり、消えていくことでしょう。

 

ハクサンコザクラの向こうにチシマザサ

 

チングルマとチシマザサが同居している

 


<戸隠山/黒姫山>

戸隠山は修験者の山です。稜線の南側は奥社に向かって切り立った絶壁です。
ササは奥社の周りから稜線まで分布し、特に稜線の北側で濃く生育しています。

参道沿いはシナノザサが見られますが、すぐにチシマザサとなります。

大橋からの登る黒姫山も、戸隠山と同じく林道沿いにはシナノザサが見られますが、登山道に入るとチシマザサに変わります。
林道沿いのシナノザサの葉はとても大きく、のびのびととしています。

黒姫山の大きなシナノザサの写真は「シナノザサを観察しよう」を参照して下さい。

 

八方睨の稜線にもチシマザサ




奥社から見た戸隠山



登山道脇のチシマザサ



一不動のチシマザサはよく成長している

 





秋の苗場山



登山口のチシマザサは人の背より大きい



きれいなチシマザサ


池塘の近くまでササが進入している

<苗場山>

苗場山の頂上付近は池塘が点在する高層湿原です。秋になると草紅葉、ナナカマド、オオシラビソ、チシマザサのコントラストが見事な景観を作り出しています。
登山口のチシマザサはブナやダケカンバなどの落葉広葉樹の下に生える大きなササですが、上部の湿原に出ると、膝の高さまで小さくなります。

この湿原も他の湿原と同じく、乾燥した場所にササは進入しています。

苗場山の湿原は尾瀬と異なり、草本植物が多くありません。池塘が点在している場所が溶岩台地だからでしょうか。周りには高い山がなく、植生は貧養でカヤの仲間が群落を形成しています。
濃い緑の樹木はオオシラビソと思われます。

 

山頂部に入ると矮生化している

 

山頂までササに覆われている

 


<伊豆の山々>

「伊豆半島天城山の八丁池にはオオアオスズが生えており、西伊豆スカイラインの金冠山、達磨山、伽藍山にはコアオスズのササ原がある。」 (注2)との記述があります。
また、原色日本植物図鑑 木本編[Ⅱ]北村四郎・村田源共著保育社によれば、イブキザサはオオアオスズ、ミヤマクマザサはコアオスズとも呼ばれています。

つまり、八丁池のオオアオスズはイブキザサで、西伊豆スカイラインのコアオスズはミヤマクマザサという事になりますが、まだはっきりしません。


金冠山、達磨山から仁科峠にかけて分布しているササについて、イブキザサかミヤマクマザサか判断できませんでした。
ここのササは稜線付近にのみ分布しており、少し下ると見えなくなります。標高が低い所為でしょうか。いずれにしてもアマギザサ節のササです。


旧天城トンネル付近はスズタケが勢力を延ばし、最初に発見されたアマギザサを見つけることはできませんでした。
八丁池の南に青スズ台という地名があるので、この辺にはササが多く生えていたのでしょう。
箒木山にもササ原があるようです。

三宅島の南に位置する御蔵島にミクラコザサと呼ばれるミヤマクマザサに似たササがあるそうです。(注3)

国土地理院1/25000地図を参照すると、御蔵島のミクラコザサは主に鈴原湿原から御山山頂までの稜線に分布しています。範囲は1300mにおよぶ稜線上です。しかも、御山の東にある800.2mのピーク付近、南に位置する721mのピーク付近にも笹地のマークがあります。
これらのことから、御蔵島のミクラコザサはかつて人の手によって本土から持ち込まれたのではなく、この島に自生している種と考えられます。



金冠山のイブキザサ



中ほどのササはよく育っている



蓬莱山のイブキザサによく似ていて上部で分岐が多い



葉の裏に細毛が無いのでミヤマクマザサではないと思われる



稜線付近のササは矮性化している



旧天城トンネルの入口にはスズタケが生えている

 




春日山城址の入り口にある春日山神社


春日山城には石垣がない



春日山の下部にササが生えている



葉の裏に僅かに細毛がある



春日山の下にある林泉寺 怱門
<春日山城址>

上杉謙信公居城の春日山城は標高180mの小高い山の上に作られています。本丸跡は見晴らしがよく、直江津方面の頚城平野がよく見えます。
上越市は昭和46年高田市と直江津市が合併して発足した町です。
上越といえば上越線の越後湯沢を思い浮かべますが、越後湯沢は中越地方に位置します。上越地方はもっと京都に近い西の高田や直江津を指します。
合併した46年の頃はよく石打丸山スキー場に通っていたので不思議に思ったものでした。
高田はスキー発祥の地です。

ササは春日山神社の上がり口や三の丸付近で見ることができます。ネマガリダケによく似ていますが、古いササに分岐がないのでチマキザサと思われます。

山が低いのに二の丸や三の丸に沢の水が多いのに驚きました。

林泉寺には上杉謙信公の御墓所や豊臣秀吉の家臣堀家のお墓があります。







(注1) 参考図書 「地質百選」 全国地質調査業協会連合会・地質情報整備活用機構共編 オーム社
(注2) 東海自然誌 第1号 1974.9.1 天城山の植物 杉本順一
(注3) 参考図書 北村四郎・村田源 共著 原色日本植物図鑑 木本編[Ⅱ] 保育社

 

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