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関東山地・頚城山地・伊豆のササ
ここでは、日光周辺の山々、尾瀬、上越から志賀高原、秩父山系と頚城山地、丹沢山地、伊豆半島のササを紹介します。
関東平野を囲む山域は気候的にも大きな差異があり、植生も多様化しています。ササもいくつかの種が分布していると考えられます。
志賀高原、戸隠山、黒姫山、妙高高原から雨飾山にのびる頚城山地などではチシマザサが広く分布し、四阿山や浅間山より南側ではシナノザサが分布ています。
ミズバショウで有名な奥裾花自然園のササはチシマザサですが、ザゼンソウで有名な大町にある居谷里湿原ではシナノザサが生えています。
丹沢山地、奥多摩から大菩薩峠、笠取山の山域にはシナノザサとは異なる小ぶりなササが生えています。さらに、南八ヶ岳権現岳や編笠山の山麓、南アルプス北端の入笠山、釜無山山頂部にも同じササと思われる種類のササがあるようです。ただ、甲武信ヶ岳から金峰山、小川山に至る2400m~2500mの稜線付近にはササは見当たりません。ササがあるのはもっと下の標高1500mあたりで、それも密度は低くまばらです。最近は色々なホームページがアップされており、現地に行かなくても特定の地域のササの画像を見る機会があります。ササの種類はスズタケとミヤマクマザサと想像されます。
<浅間山> 旧信越本線から浅間山を見上げる人は、きっと一度は登りたいと思っている人です。そう思わせるほど山の姿がいい。富士山とは違う正弦曲線の魅力だ。 今私たちが見ている浅間山は若い火山です。 本峰の標高2200m以上には、乗鞍岳、御嶽山、白山のような植生がありません。オンタデが先行し、カラマツが後を追っています。 「浅間山の歴史」(注1) 浅間山の火山活動は数期に分かれています。 最も古い活動は2万年前の黒斑期です。 現在残っている黒斑山、蛇骨岳、剣ヶ峰と今は跡形のない東側外輪山とが直径2Kmのカルデラを形成しました。 次の仏岩期では、小浅間山付近が噴火しカルデラの東側を吹き飛ばしました。 この活動したで生じた堆積物は粘性のあるデイサイトです。 さらに前掛期には今の浅間山山頂付近で噴火活動が始まり、前掛山を含む直径1000mの火口を形成しました。 1783年(天明3年)には鬼押出しの溶岩流と火砕流を北側に流し、中央火口を形成しました。 旧外輪山の黒斑山には植生があり、高山性の山野草やササが生えています。 シモツケソウ、ヒメシャジン、オダマキ、マツムシソウ、ミヤマウイキョウ、ヤナギラン、ハクサンフウロウ、富士山山麓にみられるコバノイチヤクソウ、コクルマユリや浅間山が基準標本であるミヤマシャジンなど。 ササはシナノザサです。 しかし、若い火山であるため標高2100mの湯の平から上にササは生えていません。先駆種はカラマツで、その先をオンタデが先行しています。両者は種子繁殖で火山噴出物の中を進入しています。土壌の発達がない火山では植生が未成熟で、ササの進入は困難な状況と言えます。 |
![]() 浅間山を駆け上るカラマツ ![]() 先行するオンタデ ピークは前掛山 ![]() 黒斑山のカラマツの林床にシナノザサ ![]() 肩毛が発達している ![]() 葉の裏に細毛 |
![]() 四阿山のササ原にはリンドウが多い ![]() 葉の裏には細毛(シナノザサの特徴) ![]() 根子岳の斜面は森林が回復している |
<四阿山/根子岳> 根子岳山頂はシナノザサ
この山の下部はシラカバ、上部はダケカンバ |
![]() 鳩待峠から山ノ鼻に降りる木道の 周りにはよく茂ったササ ![]() 尾瀬ヶ原の小沼の周りにもササ ![]() 赤田代の木道にもチシマザサ ![]() 肩毛の付いたササ |
<尾瀬ヶ原/燧ヶ岳> 燧ヶ岳の林床はチシマザサ 燧ヶ岳柴安嵓の登山道付近はチシマザサ
熊沢田代ではミズバショウ、ヒノキ、ハイマツ、
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<男体山> |
![]() 湯の湖と男体山 ![]() 男体山志津宮登山口のササ |
<妙高山> 6月はネマガリダケ(チシマザサのこと)の竹の子狩りが真っ盛りです。 途中コイワカガミが広く分布しています。 |
![]() 登山道脇の大きなチシマザサ ![]() 6月の北地獄谷には雪渓が残っている ![]() 山頂部の玄武岩 ![]() 山頂部はミヤマハンノキが多い |
![]() 金山の山頂部 ![]() 山頂近くはチシマザサのササ原 ![]() 山頂部にある池塘にもササが忍び寄っている ![]() 強健なチシマザサ |
<金山>
ハクサンコザクラの向こうにチシマザサ
チングルマとチシマザサが同居している |
<戸隠山/黒姫山>
八方睨の稜線にもチシマザサ |
![]() 奥社から見た戸隠山 ![]() 登山道脇のチシマザサ ![]() 一不動のチシマザサはよく成長している |
![]() 秋の苗場山 ![]() 登山口のチシマザサは人の背より大きい ![]() きれいなチシマザサ ![]() 池塘の近くまでササが進入している |
<苗場山>
山頂部に入ると矮生化している
山頂までササに覆われている |
<伊豆の山々> 三宅島の南に位置する御蔵島にミクラコザサと呼ばれるミヤマクマザサに似たササがあるそうです。(注3) |
![]() 金冠山のイブキザサ ![]() 中ほどのササはよく育っている ![]() 蓬莱山のイブキザサによく似ていて上部で分岐が多い ![]() 葉の裏に細毛が無いのでミヤマクマザサではないと思われる ![]() 稜線付近のササは矮性化している ![]() 旧天城トンネルの入口にはスズタケが生えている |
![]() 春日山城址の入り口にある春日山神社 ![]() 春日山城には石垣がない ![]() 春日山の下部にササが生えている ![]() 葉の裏に僅かに細毛がある ![]() 春日山の下にある林泉寺 怱門 |
<春日山城址> 上杉謙信公居城の春日山城は標高180mの小高い山の上に作られています。本丸跡は見晴らしがよく、直江津方面の頚城平野がよく見えます。 上越市は昭和46年高田市と直江津市が合併して発足した町です。 上越といえば上越線の越後湯沢を思い浮かべますが、越後湯沢は中越地方に位置します。上越地方はもっと京都に近い西の高田や直江津を指します。 合併した46年の頃はよく石打丸山スキー場に通っていたので不思議に思ったものでした。 高田はスキー発祥の地です。 ササは春日山神社の上がり口や三の丸付近で見ることができます。ネマガリダケによく似ていますが、古いササに分岐がないのでチマキザサと思われます。 山が低いのに二の丸や三の丸に沢の水が多いのに驚きました。 林泉寺には上杉謙信公の御墓所や豊臣秀吉の家臣堀家のお墓があります。 |
(注1) 参考図書 「地質百選」 全国地質調査業協会連合会・地質情報整備活用機構共編 オーム社
(注2) 東海自然誌 第1号 1974.9.1 天城山の植物 杉本順一
(注3) 参考図書 北村四郎・村田源 共著 原色日本植物図鑑 木本編[Ⅱ] 保育社