角田光代の「森に眠る魚」が文庫化したので、さっそく買って読みました。
小説のモデルになっているのは、1999年に都内で起きた幼女の殺人事件。
「八日目の蝉」もそうでしたが、角田さんって実際に起きた事件をもとに小説を書くことが多いんでしょうかね。
東京の文教地区の町で出会った5人の母親。
育ってきた環境も、現在の経済状況も異なる5人は、「母親」という共通項で心をかよわせていた。
しかし、子供たちの小学校受験をきっかけに、その関係はほころびを見せはじめ…
※ここから先は多少のネタバレがあります。ご注意ください。
繭子、容子、千花、瞳、かおり。
もし、この5人がそれぞれの言い分で発言小町にトピを立てれば、誰のトピが一番盛り上がるか。
「不倫」というキーワードがある以上、かおりは絶対叩かれる。
「喫煙者」「子供にスナック菓子ばかり与える」繭子も同様。
千花にたよってばかりの瞳や被害者意識の強い容子はいらつかれそうだし、ファッション雑誌に出てきそうなほど
優雅な暮らしぶりの千花もいろいろ揚げ足を取られること間違いなし。5人が5人とも、他の女性たちから
「ありえない」「信じられない」と散々に罵られることでしょう。隣の芝生は青く見えるけれども、
他人のアラは自分のアラより大きく見えるから。特に同性なら。
この小説は1999年に起きた「音羽幼女殺人事件」がモデルになっています。
なので、下世話な話ですが、読みながら
「あの事件の犯人にあたるのは誰か」
ということが気になりました。被害者のほうは半分も読まないうちに見当がついたのですが。
ある人物のプロフィールがあきらかになった時に「この人かな?」と思ったけど、性格や行動で
判断すると、もう1人別の人物が浮かんできて…なので、その2人が何かするたびに「え、こっちなの?どっち?」と
迷いました。迷わなくても、最後まで読めばどういうことなのかはわかるんですけどね。待ちきれなくて。
しかしだからといってそのことばかりが気になったわけではなく、この小説には5人の女たちの嫉妬や苦悩、
自分こそは正しいと思い込もうとする虚勢が生々しく描かれていて、小説の世界にどっぷりつかれました。
5人の母親たちは、価値観も経済状況も異なるけれど、共通しているのが「不器用」なところ。
その不器用さに、読んでいるこちらはいらついたり気の毒がったり、自分自身の中にある不器用さと
重なって共感したり、心の内側を覗かれたようでぞっとしたり。「母親」であることだけでつながっている
彼女たちの、脆くて頼りない関係が徐々に壊れていく過程は、まるで自分も当事者のような気分になって、
落ち着かない気持ちになりました。
それまでは仲良しママ友達でいた彼女たちの関係が一気に崩壊したのは、クリスマスパーティーの場面。
事を荒立てずに穏便にすませようとする人、気を利かせたつもりが逆に周囲をいらつかせる人、自分こそが
一番正しいと声高に主張する人、そして自分の利益しか考えてない人…その場のピリピリした空気が
こちらにも伝わってきて、とても臨場感がありました。その場にいたいとは絶対思わないけど。
クライマックスの場面では、ある人物が公衆トイレに入ってからどうなるのかハラハラしながら読んだのですが、
案外普通な終わり方で肩すかしをくらったような気分になりました。いや、べつに実際の事件と同じことが
起きてほしいわけではないですが。ただ、普通すぎて。
クライマックスの場面は消化不良でしたが、その後の5人の、バラバラになった5人のエピローグには
思い切りやられました。
「世界が終わるようなショックを味わったとしても、世界は終わらない」
ノストラダムスの大予言によれば、1999年の夏に地球は滅亡するはずでした。でも、しなかった。
盛大な祭りが終わった後のような、淋しさとむなしさが残っただけ。5人の女たちもそう。
ママ友として会うことがなくなっても、それぞれの人生を、母親としての人生を歩んでいかなくてはならない。
ある人は、終わらない世界の中で、わだかまりを捨てて、前を向いて。
ある人は、終わりの見えない世界の中で、明るい未来を信じて、闇に飲み込まれそうになりながら。
(正直、1人だけあからさまなバッドエンドというのはちょっと…と思いましたが)
いままで読んだ角田光代さんの作品はどれもそうでしたが、この「森に眠る魚」も男性の登場人物の影が
非常に薄かったです。出番が多かったのはかおりの不倫相手の大介くらいですが、大介にしたって
薄っぺらい男としてしか描かれていません。母親たちが小学校を受験させようとやっきになっている、
幼稚園児の息子たちのほうがキャラが立ってるくらいです。世の中のお父さんたちがみんな、
角田さんの小説に出てくるような育児や子供の進学に無関心でいいとこどりな人たちばかりではないと
思いたい…のですが。
あと、作中によく出てくる料理の描写は、料理する人の個性や心情が現れていて興味深かったです。
ジェノベーゼのパスタやカジキマグロのステーキを流れるように手際よく準備した直後、不躾な来訪者に
食事を中断されていらだったり、愚痴をこぼしながら夫の分の食事を用意していた妻が、いらだちのあまり
料理を失敗してしまったり。登場人物がどういった気持ちなのかを具体的な言葉を使って説明するよりも
はるかに伝わりやすく、共感できました。焦ったりいらいらしたりして料理を失敗すること、よくあるもので。
角田光代さんの作品は結構映像化されていますが、この「森に眠る魚」は舞台で見てみたいです。
クリスマスパーティの場面とか、かおりが千花に半狂乱で電話する場面とか。
もしくはラジオドラマでも面白いかも。でもそれだと料理の描写ができないかぁ。
角田さんは母親をテーマにした作品が多いようなので、次は角田さん自身のお母さまをモデルにした
作品を読んでみたいです。いったいどんな方なんでしょうか…?
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