ケン・リュウの短編集「母の記憶に」を2冊の文庫本に分けて収録した「母の記憶に」「草を結びて環を銜えん」を読みました。ケン・リュウはSF作家ですが、SFというより歴史ファンタジーといった方がいい作品もあって、相変わらずヴァリエーション豊富な短編集です。
収録されている作品は、2冊合わせて16編あります。10頁に満たないものから、100頁以上あるものまで。「母の記憶に」に収録されているものはアメリカ色が強く、「草を結びて環を銜えん」は中華色が強い印象です。前者はSF小説集、後者は歴史ファンタジー小説集といった感じ。
では、各作品の感想を。
「母の記憶に」収録作品
「母の記憶に」
表題作。なので、この短編集を代表する作品なのか…というとちょっと違うような気もしますが、「紙の動物園」同様、母親がテーマのごく短い小説です。
不治の病を宣告された母親が、我が子の成長を見守るためにとった選択とは-描き方によってはホラーにもコメディにもなる設定を、センチメンタル仕様で押し切ったのは正直もったいない気もするけど、掘り下げすぎると短編小説として完成度が下がるから、あえて読者に考える余白を残したのかもしれません。
歳を取ると人は子供に還るとよく言いますが、この小説のラストの、母と娘の姿には、切なくて胸に迫るものがありました。幼い子供がいる人、子供が巣立った人、年老いた親と暮らす人、離れて暮らす人などなど、読む人の年齢や立場によって感想が変わる作品だと思います。
「重荷は常に汝とともに」
ある惑星に残された遺跡の解釈をめぐる物語。
歴史を描いた一大叙事詩かと思いきや実は…という結末は一見コメディタッチだけど、振り返って主人公ジェインの恋人で考古学者のフレディが語る「考古学とは」の話を読み返すと、「人は自分が見たいものしか見ない、真実よりも面白いか否かを重視する」という強烈な皮肉が込められた作品なのだと気がつきました。最近、人は現実の世界に物語を求めすぎなのではないか、自分たちが心地よくなるために事実を捻じ曲げた挙句、それこそが真実だと声高に叫びすぎてやしないかと思うようになったので、特に。
「ループのなかで」
優しかった父親が別人のように変わり、亡くなった後、娘のカイラは父が戦争加害者だったことを知る。長じてカイラは父のように苦しむ人を救えるのならと、ある仕事につくことを選ぶが…21世紀のテクノロジーは戦争をどう変えるか、あるいは変えられないかを問う作品。ひと言で言うと「読んでてツラい」作品でした。ぱっと見平和な日常を過ごす私たちへの警鐘のような。ツラすぎるので、もうちょっと慰めになるような結末でもよかったんじゃないのという気もしますが、そうしなかったことに著者の誠実さを感じもするので、複雑です。私たちに何が出来る?
「状態変化」
小説の最後に著者の付記がありますが、「ライラの冒険」にインスパイアされた作品。ライラに出てくるダイモンは動物だったけど、この小説ではその役割を無機物が担っています。主人公リナの魂は氷に宿っていて、彼女は自分の魂が溶けてしまわないように細心の注意を払わねばならず…ぶっとんだ設定なのに、リナたちの日常はごく普通の生活が描かれているので、そのギャップに戸惑います。この世界の履歴書には、その人の魂がどんな姿をしているのか書く欄があるのかな?とか。
「ループの中で」がシリアスな作品だったのに対して、「状態変化」はポップでカラフル、ハッピーな気分になる結末で、著者ケン・リュウの才能の幅に驚きます。サブカル系少女漫画のような雰囲気もあります。高野文子か大島弓子でこんなのを読んだことがあるような。誰かコミカライズしてくれないかな。
「パーフェクト・マッチ」
少女漫画の次は星新一テイスト。Siriとかアレクサをハイパーにしたようなアプリ“ティリー”を使って、諸々の選択を任せてしまえるようになった近未来が舞台。新しい恋人との出会いも、仕事の資料集めも、すべてティリーに丸投げ。それで問題なし。自主性のなさに一瞬眉をひそめたくなったけど、わからないことがあるとスマホで調べて解決しようとしている我が身を振り返ったら何も言えなくなるのでした。ちゃんちゃん。
そんなティリーのある生活に何の疑問も抱いていなかった、主人公のサイ。しかしある日隣人のジェニーに声をかけられたことがきっかけで、自分たちがティリーに監視され、誘導されていることに気づく…問題提起はしているものの、小説の結末にそのアンサーがないので、プロローグだけで終わってしまったような物足りなさもありました。星新一のショートショートのように、監視社会にがんじがらめにされる人間を描いた悲喜劇として楽しめるほどではなかったです。続編があるのかなー?
「カサンドラ」
お次はアメコミ。胸にSと書いてあって、空を飛ぶことができるといえば、あの人しか思いつかないスーパーヒーローの登場です。ただし彼は主人公の敵役。主人公はものに触れることで、直前にそれに触った人の未来を見ることができる特殊能力「予知視(ヴィジョン)」を持った女性。未来に起きる殺人を防ぐために、彼女はまだ人を殺していない、未来の殺人者に手を下そうとし、ヒーローは彼女を阻止しようとする。まだ人を殺してないから。何が正義で何が悪なのか、犯す前の罪を裁くことは許されるのかーこのままハリウッドに持ち込んで映画化して欲しいような小説ですが、まあなんかちょっと倫理的に難しそうでもあります。誰か作ってくれないかしら。
この話を読んですぐの時は、私は彼女の選択もやむを得ないと思っていたのですが、少し前に日本である事件が起きてから、考えが変わりました。大量殺人をするとわかっている相手でも、それが起きる前に殺してもいいのか。物語上のことだけなら、「いい」と言えても、いざ現実のこととなると…彼女とスーパーヒーローの戦いに終わりがないのはある意味救いなのかもしれません。
「残されし者」
人間の意識をデジタル世界にアップロードするシステムが開発され、肉体を伴って生きる人間が滅亡の危機にある近未来が舞台の作品。
アップロードされることを拒否し、アナログ時代の遺産で暮らしている夫婦には、キャロルという娘がいる。父親は娘を愛し、彼女が自分たちとともに肉体を持って生きることを望んだが…
デジタルVSアナログという古き良きSF小説の王道のような設定ですが、「やっぱりテクノロジーより人の心の温かさよね!」みたいなベタな結末ではなかったのが、切ないけれど良かったです。永遠の命という不滅のテーマについて、新しい見解を見せてくれたような。
状況描写が的確で、読んでて映像が頭に浮かんだので、実写で映像化して欲しいなと思いました。映画が無理ならネットドラマでも。主演はジェレミー・レナーで。似合いそうだから。
「上級読者のための比較認知科学絵本」
面白いけど、説明しづらい小説。「残されし者」とは真逆で、書かれている文章から映像が頭に浮かびません。ケン・リュウの作品を読んでてしばしば起きることですが、あまり考え込まずに流れに身を任せて読むのがいいのかな。個人的には、想像力の限界を突破する話を読むのが好きなので楽しめました。
愛の形は無限に存在するとか、そういう話なのだと思います。多分。
しかしケン・リュウ作品のお母さんって…お母さんって…。
「レギュラー」
私立探偵のルースは、惨殺されたエスコート嬢の母親から、犯人を探して欲しいと依頼を受ける。ルースの世界では、人間は〈調整者〉と呼ばれるシステムを体に組み込むことで、精神と肉体のバランスを保っている。ルースは調整者を限界まで酷使することで、自らの過去の悲劇から理性を保っていたが…
作中で起きる事件そのものは割とあっさりした描き方をされているのですが、ルースの生きる世界の描写が超ハードボイルドでかっこよくて、彼女の活躍をもっと読みたくなりました。映像化するなら、これは実写よりアニメで見てみたいかな。この小説を書くにあたって、影響を受けたアニメや漫画がないのか、著者に聞いてみたいです。
「草を結びて環を銜えん」収録作品
「烏蘇里羆」
北海道で羆に家族を殺された男が、仇を求めて大陸に渡る話。羆といえば三毛別羆事件が有名ですが、この小説があの事件にインスパイアされたものかどうかはわかりません。
機械の体を持った動物の話は、他のケン・リュウの作品にもありますが、この「烏蘇里羆」はそれを更に進化させていました。いやまさか○○の正体が△だったなんて、思いもよりませんでしたわははは…。主人公の義手とか、機械でできた馬の描写が緻密で興味深いので、実写でもアニメでもいいので、映像化してほしい作品です。それにしても羆って怖いよね!(最近テレビで見た)
「『輸送年報』より『長距離貨物輸送飛行船』(〈パシフィック・マンスリー〉誌二〇〇九年五月号掲載)」
架空の雑誌パシフィック・マンスリーの記者が、長距離貨物輸送飛行船「東風飛毛腿(トンファンフェイマオトイ)」の主、バリー・アイクとその妻葉玲(ようれい)を取材するという話。飛行船が主要な輸送手段になっている世界で、1年の大半を空の上で過ごす夫婦の姿は、これが小説だと知らずに読んだら実話かと錯覚してしまいそうなほどリアルでした。いやもちろん、ホントに間違える人はいないでしょうけど。私の場合、ANAの機内誌「翼の王国」に載ってたら、真に受けちゃうかもしれません。
バリーと葉玲の夫婦像は、バリー本人が気にしているように歪なのかもしれないけれど、2人で同じ時間を過ごしているうちに見つけた、他人には割り込めない2人なりの暮らし方が印象的でした。
「存在(プレゼンス)」
病院で眠る母親を、遠く離れた場所から遠隔装置を通して見つめる男。いかにもSFらしい設定の小説なのに、とても現実味があって、読む人の胸に刺さる作品でした。子は親のもとを離れ、新天地へ旅立つものと謳う作品と、罪悪感に悩む作品の両方があるのは、著者の良心によるものなのでしょうか。
「シミュラクラ」
過去の映像を立体化して、あたかも生きているかのように再現する装置“シミュラクラ”。しかし創始者ポールの娘アンナは、父が開発したシミュラクラを、父を憎んでいた。
思春期の娘を持つ父親が、娘に嫌悪されることをして毛嫌いされた挙句、「昔はかわいかったのに」と小さい頃のアルバムを持ち出してメソメソしている様子をグレードアップしたような話ですが、グレードアップされるだけあって、父と娘の関係もより一層こじれています。
最後に出てくる母親からのメッセージが、娘が父親と同じことを逆のベクトルで行なっていることを伝えていて、それは親子あるあるな話なんだろうけど受け止める方はしんどいだろうなと思いました。
ポールがしていたように、シミュラクラを性的な目的で使う、というのは「でしょうね」案件ですが、筒井康隆が昔そういう題材の短編書いてたなーと思い出しました。ヒルダという、デジタル娼婦の話。題材が被ってるだけで、内容は全然違うんですけどね。
「草を結びて環を銜えん」
1645年、明代の中国。揚州の都は満洲族の襲来に遭い、地獄と化した。美しい遊女の緑鶸(みどりのまひわ)は、纏足の自分の世話係である下女の雀を連れて、混乱する世界を生き抜こうとするが…。
性格はキツイけど美しく賢く、芯の強い緑鶸と、遊女になるには貧相な見た目だけど纏足されてない足を持つ、逞しい雀のシスターフッドがたまらない作品です。描かれているのは悲劇なのに、2人のやりとりは相聞歌のようで、悲しくも美しい。緑鶸が征服者から雀たち弱いものを庇うためにツンデレ発言を繰り返すたびに、「くー!!このツンデレめ!!」と地団駄を踏みました。変態…。
満洲族に襲われて地獄と化した揚州の様子は、文字で読んだだけでもおぞましいですが、その分よくもここまで描いたものよと感心したりもします。残酷なことを残酷なこととして描くことに罪はないと思うので。
「訴訟師と猿の王」
明が滅びて100年後の、清王朝が治める揚州が舞台。訴訟師の田(ティエン)は、立場の弱い市井の人々から頼まれて、官吏を欺いては報酬に日銭を稼いでその日暮らしをしている。ある日、田は寡婦の小衣(シャオイー)から、逃亡中の兄を助けて欲しいと頼まれる。小衣の兄小井(シャオジン)は、清王朝が禁書としている、揚州大虐殺を書いた書物を持っていた。この難題に応えるため、田は自らの空想の生き物、猿の王と対話をするが…
「猿の王」はおそらく田のイマジナリーフレンドみたいなものなんでしょうが、ホントにいるみたいな描き方をよくしているし、SFだから妖怪が普通に出てきてもおかしくないのかもと混乱しました。
田の最期は壮絶で悲劇的でしたが、この作品は「草を結びて環を銜えん」のその後の話にあたるわけですが、緑鶸と雀が後世に残そうとしたものが、紆余曲折を経て陽の目を見ることができるようになったのには感慨深いものがありました。虐げられた人の口を権力者が塞ごうとしても、その口から洩れる声は必ず誰かの耳に届くと。それにしても拷問の場面がエグすぎるよ!
「万味調和-軍師関羽のアメリカでの物語」
タイトルはぶっ飛んでますが、1865年アメリカのアイダホを舞台にした、中国移民の物語をアメリカ人少女リリーの視点に寄せて描いた作品です。
老関(ラォガン)と呼ばれる、謎めいた中国人坑夫と出会ったことで、リリーとその両親の生活、価値観は少しずつ変わっていく。中でも老関の仲間、阿彦(アーイエン)の作る料理は魅力的で、食のタブーを越えさせようとするほど、リリーの好奇心をくすぐった。しかしある日、老関はならず者の男を殺した咎で裁判にかけられることになり…うーん、これであらすじを大体説明できたはずなのに、面白さをまったく伝えられてないのがとても歯がゆいです。阿彦の作る料理は、文字を追ってるだけで口の中に唾がたまるし、老関のカリスマ性は一生ついて行きたくなるほどなのに。
ただ、私は三国志についてまったくよく知らないので、関羽がどういう人物なのか知識ゼロなのですが、詳しい人から見てこの小説で語られる関羽像が正直どうなのかは気になります。老関と関羽はどの程度まで重ねて見ていいものかとか。
すごく面白かったので、これも映像化して欲しいなと思いましたが、犬をアレしちゃったりするから媒体を選ばないといけなさそうですね。あぁでも、動く老関を見てみたい!
中国系移民が皆、老関のような強さと誇りを持っていると思われたら、中国系移民の人たちは困るんじゃないかとは思いますが、どこの国から来たとしても、老関のように艱難辛苦を越えてアメリカ大陸にやって来た移民たちとその子孫が、「帰れ」と言われてそう簡単に帰るわけないよなー、と納得させられました。
読みたいなと思っていた本を読めるのは幸せなことですが、読んでしまうと「読み終わっちゃった…」と寂しい気持ちになります。それを埋めるのは新しい本だけ。さて、次は何を読みましょうか?
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