全英で20万部を突破したという、クレア・ノースの「ハリー・オーガスト、15回目の人生」を読みました。
たまたま本屋で平積みになっているのが目に入って、「これは面白そうだぞ」と思ったので買って読みました。海外の小説は文庫でも結構値が張るので、買うのに勇気がいります。
1919年に生まれたハリー・オーガストは、死んでも誕生時と同じ状況で、記憶を残したまま何度も生まれ変わる体質を持っていた。
何年生きても、どんな人生を送っても、生まれ変わるのは必ず同じ日の同じ場所、同じ両親のもと。
同じ体質を持つ人々の組織、クロノス・クラブの助けを得ながら、生と死を繰り返してきたハリーだったが、11回目の人生で自分が世界の終わりを止めなければならないことを知る。世界を終わらせるのは、同じ体質を持つ男、ヴィンセント・ランキス。
ヴィンセントはある野望のために、自らの記憶を利用して科学技術の進化を加速させていた。彼を阻止するため、ヴィンセントに近づいたハリーだったが―
※ここから先はネタバレがあります。要注意!!
えーはい、SF小説、しかも海外のSF小説を読むのは超久しぶりだったので、読むのにものすごく時間がかかりました。
時間がかかったのはそれが原因だと思います。けして、この小説がつまらなかったわけではなくて。あるいは、私がこの小説を理解できなかったわけではなくて。多分。
何度死んでも、毎回必ず同じ日の同じ場所に生まれ直す、記憶はそのままに、そして同じ体質の人間が何人も存在する―主人公ハリーの生きる世界がどういう仕組みなのか想像するのが難しくて、途中何度も「はて…?」と立ち止まりました。その結果、あまり勘ぐっても仕方ないので、とりあえず描かれていることをそのまま素直に読んでみる、ということにしました。そこからは楽に読み進むことができたのですが、果たしてそれでよかったのか…。
ハリーたちのように、何度も生まれ直して人生を繰り返す人を、この小説の中では「カーラチャクラ」と言います。カーラチャクラの中でも、記憶がなくならない人、何度も繰り返す人生のなにもかもを覚えている人のことを「ネモニック」と言います。これ以外にも、この小説の中だけで使われる専門用語がいくつも出てきて、覚えるのが大変でした。ていうか、覚えきれなくて途中からスルーしてました。カーラチャクラと違って、生まれて死んだらハイそれまでよ、な人のことを「リニア(直線型)」と呼ぶのはわかりやすくてすぐ覚えられました。まあ覚えたところで使うことはないけどね。
タイトルにあるように、小説の中でハリーは15回生きては死に、生きては死にを繰り返します。初回から15回目まで、順を追って書かれてたらいいんですが、残念ながら順番は非常にランダム。しかも生まれてから死ぬまで一気に書くんじゃなく、小出しにしたのがランダムに並べられてるので、読みながら何度も戸惑いました。あれ、今のハリーは何回目の人生で、何をしてるんだっけ?って。とてもややこしくてめんどくさいですが、このカオスっぷりこそが、ハリー・オーガストの頭の中そのものなのかもしれません。何百年もの間の、消したくても消せない記憶が溜まりに溜まったハリーの頭の中。今が西暦何年で、自分がどこで何をしているのかわからない。同じ人物と人生ごとに何度も巡り合い、その度に関係が少しずつ違う。以前の人生で既に知っていることを、知らないふりをして周囲に怪しまれないようにする。そしてまた、いくら用心しても同じ病に侵されて死んでしまう…。読む前は、何度も人生やりなおせるなんてうらやましーって思ってたけど、あんまりいいもんじゃないかもなー、と考え直しました。第一、別人に生まれ変わるんじゃなくて同じ人に生まれ直すんだから。毎回同じ容姿じゃ飽きちゃいそうです。性別も同じだし。
さて、人生を繰り返しながら、ハリーはヴィンセントの野望を阻止しようとするわけです。しかしこの2人のやりとりはなんというか、対立しあう敵同士が戦っているというよりどこか淡々としていて、憎しみのような激しい感情の動きもあまりありませんでした。物理的、肉体的に激しい、というか痛い場面はたくさん出てくるのですが。なんせ体が死んでもまた生まれてきてやり直せるから、死ぬほど痛めつけられても気にならない。もちろん、死んだら振り出しに戻る訳ですから、本人はがっかりするんですけど。
死んだカーラチャクラが再び生まれて来られなくするにはどうするかというと、それは母親の胎内から生まれ出てくる前に殺す、という割とシンプルかつえげつないものでした。なのでカーラチャクラにとって、自分がいつどこで誰から生まれたかという情報はトップシークレット。ハリーもヴィンセントに命を狙われないよう、自分の出生地と両親の情報を必死に隠してました。めんどくさいですね。だんだん、「やっぱりカーラチャクラよりリニアのほうがいいや」という気になってきました。
逆に言うと、カーラチャクラ、とくにネモニックが自らの人生を真の意味で終わらせたくなったら、自分よりも生年が早い者に出生地と両親(とくに母親)を明かして託すということになります。他力本願な自殺です。頼まれるほうにとっては非常に厄介というか迷惑な話ですが、それだけ相手を信頼してないとできない話でもあります。小説のラスト、ヴィンセントはついに自らの秘密をハリーに明かしていましたが、果たしてそれが油断から来るものだったのか。それとも別の意味があったのか。もしかしたら、ヴィンセントは何もかも見透かしていて、そして倦んでいたのかもしれない。ある目的のために、とてつもなく長く生きてきた自分の人生に。何度も現れるハリーが、自分の理解者になってくれないことに。一番最初に出会ったときの2人の関係に、戻りたかったけれどそれが叶わないことに気がついたから。そう思うと切なくなります。なんかちょっと自分の目に腐ったフィルターがかかっていることは否定しませんが。
原題が”The First Fifteen Lives of Harry August(ハリー・オーガストの最初の15回の人生)”なので、ハリーの人生は15回目で終わるのではなく、そこでひと区切りおいてまだまだ続くようです。宿敵のように深くつながっていたヴィンセントを失って、この先の何百年をハリーはどう過ごすのか。15回目で終わるよりも、きついんじゃないかという気がしますが、そこはそれカーラチャクラでありネモニックであるハリーの考えは、私のようなリニアには想像が及ばないことでしょうから。これからもずっと続けていくんでしょう。同じ時間を、ぐるぐると。(別に続編を期待しているわけでは…ない!)
ところで。
ヴィンセントとの戦い以外に、ハリーには生まれ直すたびに自分に課している、“あること”がありました。それは、リチャード・ライルというあるリニアの残虐な行為を防ぐために、生まれ直すたびに彼を殺すということ。生まれる前に殺してしまえば終わるカーラチャクラと違って、リニアの人間はハリーが生まれ直すたびに存在するので、とてもめんどくさそうです。しかも彼が、残虐な行為をした極悪人であればまだ気が楽ですが、まだ何もしていない単なる善人の場合であっても、先を見越して殺さないといけないのですから、かなりのストレスでしょう。それに気づいたら、カーラチャクラのほうがリニアより優れている&恵まれているのではと思っていたのががらりと変わりました。うん、やっぱり人生は一度きりがいいや。
映画化の噂はまったく聞こえませんが、もしハリウッドで映画化するなら、ハリー役はベネディクト・カンバーバッチを推します。ベネさんなら、何百年も生き続けているカーラチャクラの、人間離れした退廃的な雰囲気を出せそうだから。ていうか私が小説読みながらずっと頭の中でベネさん想像してただけだけどな!となるとヴィンセントはあの人だよな!髪ふさふさだからちょっとイメージ違うけどな!
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