【6月9日、お別れの前にO先生ご夫妻と記念撮影】
かみさんのホームページ『阿部りつ子の女川町(おながわちょう)便り』
新任教師は苦労した!
もう45年も前である。
私は生意気な高校一年生であり、恩師は大学を卒業したてのほやほやの新任教師であった。
はっきり言って、先生とは言ってもまだ威厳などあるはずもなかった。
級友たちは、熱心に授業を受けていたわけではなかった。
かく言う私もそうだった。
私の卒業した高校のクラスは、3年間同じ顔ぶれであり、落着きのない雰囲気であった。
それでも3年間が過ぎれば、卒業である。
多少どころか、随分成績が悪くても卒業はできたのであるから、いい学校だった。
卒業式の前に私の恩師になった先生!
私は級友のほとんどが手にしていなかった国家資格に合格していて、東京の大手機械メーカーに就職が誰よりも早く内定していた状態で、卒業する予定だった。
しかし、事件は卒業式の2週間前に起こった。
内定していた就職先が、業績の悪化を理由に私の内定を取り消したのである。
自分で言うのも何だが、多感な私の受けた衝撃は言葉にならなかった。
卒業名簿には、私の就職先としてその企業名が載っている。
私は悔しく悲しくて当たり所のない怒りに震えていた。
その矛先は、進路指導の先生に向かったが、せんない事だった。
卒業式のリハーサルの日、リハーサルをボイコットして私は3年間お世話になったO先生を教室に呼び出し、だるまストーブを囲んで真剣に話し込んだ。
2時間以上も話し込んだが、何の解決にもならなかった。
しかし私の心は楽になって、自分の道は学校に頼らないで探す決心をした。
卒業式をボイコットしようと悪友5人に声をかけたが、卒業式をボイコットしたのは私独りだった(こんちくしょう、である)。
悪友たちと待ち合わせていた映画館に入って、私は時間を潰していたが、悪友たちは母親を伴って卒業式に出ていたのである。
私の心の中では、O先生の言葉が繰り返し響いていた。
「私はクリスチャンだが、神をいると信じて生きるのも、いないと思うのも自由だよ。だけど神を信じて生きた方が幸せを実感できる。何にでも感謝の心を持てるからね」
だけども、私はクリスチャンにはならず、ぐうたらな仏教徒であるが、O先生を人生の師と暗い映画館の中で、勝手に決め込んでいた。
恩師ご夫妻が我が家に宿泊した歓び!
【6月9日、O先生ご夫妻が、勤務先の幼稚園児たちへのお土産を熱心に選ぶ】
O先生は、私の4年半にも及ぶ長い入院生活中に2度も、遠い横須賀から見舞いに来てくれた。
驚きもし、大変はげまされたが、私は結局障碍者になった。
そんなO先生から、先日突然電話が入り、仙台に用事があり仙台に2泊してから我が家に来る、と言うので、私は即座に、仙台での2泊目をキャンセルして我が家に泊まってくれるよう懇願した。
奥様と相談して返事をする、と言う事になったが、結局私の願いを聞き入れてくれた。
約束の日、私はO先生ご夫妻が来訪する1時間も前にベッドから降りて、茶の間の車椅子で待った。
しかし、来訪時間が来てもO先生ご夫妻は来ない。
30分が過ぎ、1時間が過ぎても来ない。
私は、自分が日にちを間違えたのはではないかと不安になり、家内に確認をした。
待つこと1時間と少しで、ようやくO先生ご夫妻が、レンターカーでやって来た。
久しぶりの再会で話す事がいっぱいで、あっという間に夜が更けた。
翌日は、女川町の被災状況を説明に費やした。
報道では知りえない現実に、O先生ご夫妻は衝撃を受けたようであった。
別れは、早くやってきた。
O先生と交わした言葉の数々が頭を過る。
人生に師は大切である、と改めて恩師と呼べる人のいる幸せを思った。
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