【写真=今年の女川町の初日の出】
かみさんのホームページ 『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』
ある『会話』
「なぁおめぇ、やんだぐなんねがぁ?」
「・・・・・」
「んあぁ、なぬがだって?」
「・・・・・」
「そりゃおめぇ、こどすももはや終わっぺ、んだがらまだひどづ、とすばとんねげねぇべぇ」
「・・・・・」
「かんげるまでもねぇべさぁ、こんとすなっと、いづ年いづ年があっと言う間だべや、おめぇなんかほなぐ思わねがや。」
「・・・・・」
「ちおぐのいどば、たぐっていげば、こまけころさ、もどるづぐってぇなもんだべぇ、あんこらぁいづ年がなげぐ感ずだもんだべや」
「・・・・・」
「ほう、んだがや、おめもがぁ、ふ~ん、んだったがや」
「・・・・・」
「そういうどさ、こまけごどいうようだげっどさ、おしょっがっつぁまくっとおもってまってっと、さっぱこねくてなや、毎にづ毎にづがっかさいうど、ごしゃがいでなや」
「・・・・・」
「んだがら、、いざおしょっがっつぁまくっと、はやぐねむてぐなってなや、ごっつぉかねでねですまったもんだでば」
「・・・・・」
「んだがぁ、めぇも、んだったがや」
「・・・・・」
「んでもや、そりゃだいでもおんなずだったべなたぶんなや」
「・・・・・」
「ところでだいにちいだがわしだげど、んめのどごでは、もずのするいが、ごっちゃるあるてちいだごどあっけど、ほんとのごどがや?」
「・・・・・」
「んだったんだにゃぁ、やっぱぁちいでみんねげわがねもんだなや」
「・・・・・」
「んでもやぁ、まだ年賀状ば頼まれるじぎがちたぞ」
「・・・・・」
「んめも、つぐんだべ、おらさたのんだらや、葉書き代だげで済むがらっしゃ」
「・・・・・」
「なぬかだっても、しゃべねやづだっちゃなや」
「・・・・・」
【上記の会話文を読みこなせる人は何人いるかな?取り敢えず読めると言う人は、ローカル中のローカル語に非常に詳しい人という事になり尊敬に値する。尚、現在は当地の人間でもしていない会話で、既に『死語』と言っても不思議ではない言葉も入っているのだよ、明智君・・・ふっふっふ!?】
『年賀状は虚礼なのか?心を結ぶ50円の絆なのか?』
おらは今夜、年賀状を書いた。
ちょっと早過ぎると思う向きもあるかも知れないが、何、種を明かせば人に頼まれたからだ。 もう一つ種を明かせば、おらが書いたと言うのは正しくない。
パソコンでテンプレートを仕入れて(もちろん無料のやつ)作ったから、印刷時間も入れて、100枚を1時間かからないでやれた。
デザインも任せると言われたが、人のものとなると意外に迷うものだ。
迷いに迷ってデザインを決めた時間も入れての1時間未満だが、この制作時間が速いのか遅いのか判断できない。
12月初旬には、年賀状の見本を作って10人ほどに配る。
見本と言ってもA4の用紙一枚に4種類のデザインを入れるのだ。
そしてそれを25枚ほど作るから、100種のデザインになる。
あちこちのサイトからデザインを探して作るのは、これはこれで結構しんどいと言うより面倒な作業なんだ。
おらに頼んだ人は、その中から気に入ったデザインの年賀状を選ぶ。
そしておらは、頼まれた人のために作る。
少ない人で30枚、多い人で80枚くらいで、平均して40数枚というところである。
実費だけの製作費だから、町なかの印刷屋さんに頼むより遥かに安くて済む。
奇麗事に聞こえるかも知れないが、頼んだ人は安くて喜び、おらは人に喜んでもらえる充足感に満たされる、という寸法だ。
年賀状は虚礼だから、出さないと言う人も多くなったと聞く。
年賀状を電子メールに変えたという話しも多く聞く。
しかし元日の朝に届いた年賀状を、一回目はざっと見て二回目にじっくり読みながら、あの人この人の顔を想い出して呑むお屠蘇の味は、こりゃまた格別で堪えられんのじゃ。
やっぱりおらは、年賀状をやめられない、やめたくない!
かみさんのホームページ 『うみねこが舞う、漁業と原発の町の議員活動』
ある『会話』
「なぁおめぇ、やんだぐなんねがぁ?」
「・・・・・」
「んあぁ、なぬがだって?」
「・・・・・」
「そりゃおめぇ、こどすももはや終わっぺ、んだがらまだひどづ、とすばとんねげねぇべぇ」
「・・・・・」
「かんげるまでもねぇべさぁ、こんとすなっと、いづ年いづ年があっと言う間だべや、おめぇなんかほなぐ思わねがや。」
「・・・・・」
「ちおぐのいどば、たぐっていげば、こまけころさ、もどるづぐってぇなもんだべぇ、あんこらぁいづ年がなげぐ感ずだもんだべや」
「・・・・・」
「ほう、んだがや、おめもがぁ、ふ~ん、んだったがや」
「・・・・・」
「そういうどさ、こまけごどいうようだげっどさ、おしょっがっつぁまくっとおもってまってっと、さっぱこねくてなや、毎にづ毎にづがっかさいうど、ごしゃがいでなや」
「・・・・・」
「んだがら、、いざおしょっがっつぁまくっと、はやぐねむてぐなってなや、ごっつぉかねでねですまったもんだでば」
「・・・・・」
「んだがぁ、めぇも、んだったがや」
「・・・・・」
「んでもや、そりゃだいでもおんなずだったべなたぶんなや」
「・・・・・」
「ところでだいにちいだがわしだげど、んめのどごでは、もずのするいが、ごっちゃるあるてちいだごどあっけど、ほんとのごどがや?」
「・・・・・」
「んだったんだにゃぁ、やっぱぁちいでみんねげわがねもんだなや」
「・・・・・」
「んでもやぁ、まだ年賀状ば頼まれるじぎがちたぞ」
「・・・・・」
「んめも、つぐんだべ、おらさたのんだらや、葉書き代だげで済むがらっしゃ」
「・・・・・」
「なぬかだっても、しゃべねやづだっちゃなや」
「・・・・・」
【上記の会話文を読みこなせる人は何人いるかな?取り敢えず読めると言う人は、ローカル中のローカル語に非常に詳しい人という事になり尊敬に値する。尚、現在は当地の人間でもしていない会話で、既に『死語』と言っても不思議ではない言葉も入っているのだよ、明智君・・・ふっふっふ!?】
『年賀状は虚礼なのか?心を結ぶ50円の絆なのか?』
おらは今夜、年賀状を書いた。
ちょっと早過ぎると思う向きもあるかも知れないが、何、種を明かせば人に頼まれたからだ。 もう一つ種を明かせば、おらが書いたと言うのは正しくない。
パソコンでテンプレートを仕入れて(もちろん無料のやつ)作ったから、印刷時間も入れて、100枚を1時間かからないでやれた。
デザインも任せると言われたが、人のものとなると意外に迷うものだ。
迷いに迷ってデザインを決めた時間も入れての1時間未満だが、この制作時間が速いのか遅いのか判断できない。
12月初旬には、年賀状の見本を作って10人ほどに配る。
見本と言ってもA4の用紙一枚に4種類のデザインを入れるのだ。
そしてそれを25枚ほど作るから、100種のデザインになる。
あちこちのサイトからデザインを探して作るのは、これはこれで結構しんどいと言うより面倒な作業なんだ。
おらに頼んだ人は、その中から気に入ったデザインの年賀状を選ぶ。
そしておらは、頼まれた人のために作る。
少ない人で30枚、多い人で80枚くらいで、平均して40数枚というところである。
実費だけの製作費だから、町なかの印刷屋さんに頼むより遥かに安くて済む。
奇麗事に聞こえるかも知れないが、頼んだ人は安くて喜び、おらは人に喜んでもらえる充足感に満たされる、という寸法だ。
年賀状は虚礼だから、出さないと言う人も多くなったと聞く。
年賀状を電子メールに変えたという話しも多く聞く。
しかし元日の朝に届いた年賀状を、一回目はざっと見て二回目にじっくり読みながら、あの人この人の顔を想い出して呑むお屠蘇の味は、こりゃまた格別で堪えられんのじゃ。
やっぱりおらは、年賀状をやめられない、やめたくない!
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