“坂の上の雲”

登っていく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が
輝いていてもいなくても、また坂を登っていきます。

真谷地

2015-08-16 | 日記

北海道夕張市真谷地(まやち)

 

というのが、小学校3年から高校卒業に至るまでの、故郷夕張に今も

あるToshiの本籍です。

その昔、炭都と言われた夕張市の中でも特に辺境の真谷地(まやち)

という地名に思い入れのある出身者全員を代表して、命名した方にお礼

を申し上げたいです。

よくぞ「真に谷の地」などという名をあててくれました

 

「マヤ」がアイヌ語由来であることは、真谷地を流れる“パンケマヤ川”

などの名前から解りますが、その意味はわかりません。

「パンケ」は、川の下流を意味するようです。

 

その真谷地が風景をノスタルジックに収められているサルルさんという

方の運営サイトをご紹介しましょう。

 

アイヌ語地名の総合サイト“カムイミンタラ”です。

このようなサイトは本当に貴重ですね。

頭が下がります。

http://kam-r.sub.jp/ainu/yuba.html

 

マヤ=真谷(真の谷)の地は、大雨が降り続いても崖崩れなどはそう

ない土地なのだと教えられて育ちました。

それほど川には人工物がなく災害の少ない渓谷地形です。

 

そんな町を流れる川は、炭鉱隆盛期にはとても「美しい」と呼べる姿で

はありませんでした。

石炭を川で洗うからです。

毎日、毎日、一番方から三番方、二十四時間堀り出された石炭はすぐ

さま町を流れるパンケマヤ川で洗われて蒸気機関車に積まれ、

そのまま室蘭の港まで運ばれます。

 

夕張に存在した多くの炭鉱町には、それぞれ同様に川が流れ、洗炭で

茶色く濁った川水がすべて本流の夕張川の濁りとなって石狩川に注い

でいました。

芦別、赤平、美唄、三笠も皆同じですね。

 

お蔭で小学校まで川は茶色いもの・・・、スズメは黒いもの・・というの

が当たり前と思っていました(笑)

それもこれも栄枯盛衰、歴史の一ページです。

 

谷あいの集落で育った子供の特徴はさて何でしょうか?

一つ言えるのは、一日が短いということの影響ではないでしょうか。

一日が短いとは、「谷は陽が登るのが遅く、沈むのが早い」という地形的

なハンディキャップのことです。

敢えてハンデと言いますが、日が短くて良いことは「寝る子は育つ」ぐら

いのものではないでしょうか?

 

ですから夕刻の野球練習は、すぐにボールが見えなくなってしまいます。

真谷地に限らず、炭鉱町に育った子供は、おおむね風の谷の子供ですから、

平野や盆地がきっと苦手なはずです(笑)

暑さにも弱いかもしれません。

 

Toshiは今でもだだっ広い平地に棲むのは苦手です。

今住んでいる札幌の月寒界隈はその点起伏があって、川も流れていて

心安らげるよいところです。

 

そして、何より坂が好きです。

これは卒業した皆さん全員に聞いてみたいところです。

少なくともToshiは坂の街と呼ばれるところはすべて好きです。

特に、尾道、長崎、小樽・・・

 

この坂の上にはどういう景色が広がっているのだろう・・・と、思い巡ら

すのが好きで、今でもそうして坂を登っているわけです

今や限界集落と化した真谷地に人が住み続けられるのは何年先まで

のことか?残念ながら歴史を逆に回すことだけはできません。

ただ、その集落の単位として夕張だけは残っていて欲しいと切に思い

ます。

それが応時12万の人口で賑わった夕張から離れ散った学窓皆さんの

希望ではないでしょうか?

http://homepage3.nifty.com/rurounotami/tankoh_04.htm#link


人口は減っても墓の数だけは増えている真谷地の墓地(2015.8.13撮影)

 


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2 コメント

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Unknown (ナジャ)
2015-08-18 17:22:35
お盆休みは島根でした。
大山には登っているので、今回は石見銀山に行ってきました(超暑かったー)。
向こうは住職近接ならず住墓近接で家の敷地内にあるのですよ。これじゃ土地に縛られますよね。

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>Unknown (Toshi)
2015-08-18 19:47:25
ナジャさん

島根でしたかぁ
山陰地方もやはり暑いのでしょうね。
ところで、
石見銀山って登れる山なんですね。
Toshiはてっきり鉱山跡地見学する場所だと思っていました。
若いころ営業で回っていたのにな~んにも知識なく、御愛想だけ振りまいて
いたってバレますねぇ(^▽^;)

あちらはお墓も敷地内にあってお葬式も自宅ですからそれは土着は続きます。
日本人はお墓と骨と土から離れられません。
真の谷の地に散骨したら、あとは川に流れて誰も知らないところに行ってしまう
身なのに・・ですね。

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