就職戦線

2004年04月27日 | 悩んでみました
「就職戦線異常なし」って織田裕二の映画あったよね
バブル真っ盛りの頃だったか?
歌はマッキーだった気もするけど気のせいかもしれない。

会社系コミックと言えば「ツルモク独身寮」「企業戦士ヤマザキ」
「いいひと」が好きでした。どれも映像化でズッコケてますが。
というか、メインの話題はそれではなくて、先日のセミナーで語った
自らの就職戦線についてです。

奥様が採用担当という事で、昨今の電機労連の就職事情について
若干なりと詳しくなった気がしますが、どう考えても自分の
就職活動とは全く違うので、「こんなんだったけど普通?」と
質問してみたところ「そんな人はいない」との答えが……
ウスウス感づいてはいたけど、やっぱり普通じゃなかったんだ。
ぼへ~

1996年バブルは弾けて求人数はウナギ下がりの氷河期でした。
といっても理系学生なので、文系の人から見れば採用枠という
ヌルマ湯に浸かった就職活動なのですが、自由応募というシステムも
一部の企業がテスト的に実施していただけで、不安を覚えながらの
就職戦線へ突入したのでした。

大学院1年の年度末前くらいから、ドッチャリと就職関係の
情報誌が送られてきて、その中から行きたい企業を探してました。
なんとなく今の会社に行きたいと思っていたので、就職誌の
情報を探してみましたが、載ってません。マジ載ってません。
(奥様に聞いたところ、1誌にしか掲載していないとの事。イジメか?)
入学当時が4年目で、卒業時にも10年目という若い大学だったので
先輩がいるわけでもなく、さらには大学に求人も来ていなかったため
ちょっと途方に暮れていました。

でも悩んでてもしょうがないので、他の会社のセミナーを受けつつ
情報誌を読みつつ、就職活動を始めていました。
で、やっと情報誌でウチの会社の求人を見つけて、電話番号が
判ったので、とりあえずかけてみました
(注:今やるとバカか?って思われるのでやめてください)
「ウチの学校、求人来て無いんですけど」
「学校名教えてください、求人送ります」
今思うと、え~、そんなんなの?いいの?と思いますが
そのときは緊張しまくってたので、とりあえず入社試験は
受けられそうでヨカッタくらいにしか思えませんでした。
(注:重ねて言いますが今やっても無駄です)

次に試験受けに来てくださいっていう連絡が来たのですが
これも何の因果か、手違いで届いていなくて、たまたま
小包を受け取りに家に帰った時に、会社から「先日お伝えした通り」
で始まる封書が届いていて「お伝えされてね~よ!」と思い
慌てた事を思い出しました。何で慌てたかと言うと、月曜日に
試験を受けに来てくれという手紙を、金曜日の15時に受け取って
学校側の必要書類が準備できていなかったという……
教授や就職担当、学校総務にお願いしまくって、なんとか
書類を揃えられ、事無きを得ましたが……

ちなみに試験の方は、朝4時に起きて友達に駅まで送ってもらって、
昼前についてテスト受けて面接して、昼過ぎには新幹線で帰って
またまた迎えに来てもらって帰り着いたのは夜中の2時。
というか、無茶さすなよ。ありがとう友人。

面接と言っても、オジサンと楽しくトークを繰り広げてただけ
なんですが、何だか受かってました。ヨカッタね。

あとは、普通の会社は10月くらいに内定式ってやるみたいなんですが
うちの会社は12月まで何の音沙汰も無くて非常に不安だった覚えが…
先輩がいるとかだったらいいけどさ。マジ怖いって。
4月になって入社できると思ったらドッキリだったっていう
オチは無しにして欲しいと思いながら日々を過ごしてました。

結局何がそんなヤツいない、なのかと言うと
・電話をかけて採用枠もらうヤツはいない
・試験の通知を送りそこなわれるヤツはいない
・そんな遠方の人で日帰りするヤツはいない
というご指摘を受けました。
やっぱりね、なんか変だよねとは思ってたんだ。

結果オーライ!

良い子のミンナはまねしちゃダメだぞ。
あくまでシステムの隙間を突いた作戦というか
ラッキーヒットだから。

飲み会のネタ程度にしかならない就職バナシでした
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