映画なんて大嫌い!

 ~映画に憑依された狂人による、只々、空虚な拙文です…。 ストーリーなんて糞っ喰らえ!

曖昧な映画体験 (その18)

2010年05月28日 | 僕の映画史
     ■『タクシードライバー』 (1976年/米) マーティン・スコセッシ監督

 バーナード・ハーマンの音楽は、立ち昇る蒸気を突き抜けるタクシーの映像へ、ただならぬ霊気を注ぎ込んでいました。あれこそが、音楽の魔力です。彼の最後の仕事でした。マーティン・スコセッシの作為は、当時、中学生だった僕にとって、とても刺激的でした。冒頭、ルームミラーを直すトラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)の映像が、一瞬早送りになる映像処理の作為です。あれによって、現実世界と表現世界を分かつ境界線が明確に示されます。同様の映像処理は、丁寧に最後の箇所でも施されていました。物語世界にどっぷりと浸っている最中の、故意に差し向けられた異化効果です。そこに気付けなかった哀れな偏執狂が、後にレーガン米国大統領を狙撃してしまいます。ジョディ・フォスターを救う為とか何とかで…。

     ■『ミーン・ストリート』 (1973年/米) マーティン・スコセッシ監督
     ■『アリスの恋』 (1974年/米) マーティン・スコセッシ監督

 三鷹オスカーでは、《マーチン・スコセッシ特集》と銘打った、『ミーン・ストリート』や『アリスの恋』との3本立てでした。学校から帰ると急いでママチャリを走らせ、チャリは駅に乗り捨てたまま電車に飛び乗り、情報誌の頼りない地図を眺めながら三鷹駅前の商店街をウロウロ…。上映の開始時間が迫る中、初めて訪れる町での映画館探しは、いつもスリリングでした。チケットを買い、館内へ入って行く時の昂揚感は、いよいよ映画が見られる興奮や、何とか上映に間に合ったという安堵感、それに加え、またも怪しい異空間へ侵入してしまったという諦念が綯い交ぜになったもので、この期に及ぶと決まって足取りが慎重になったものです。それにしても、授業後の3本立てとは、実に模範的な中学生でした…。


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