■「飄飄として訥訥―クレージーが青春、いまも青春」 犬塚弘 著 (労働旬報社)
劇作家の意図、何故その役柄が存在し、何故その台詞が必要なのかを理解する事によって、初めて役の感情を獲得する事が出来る。今まで辿ってきた人生の道筋を、改めてなぞってみる作業は、役者さんに限らず、劇を作る者にとっては回避出来ない禊のようです。人間を描くという事は、先ず自分自身の人生と向き合わなければならないようで、著者にとっての本書はその目録のようなものと言えるでしょう。
人生は一度限りである前に、万人がそれぞれ違う道筋を歩いている事を思います。誰一人として運命を共にする者など、ありはしません。あるのは孤独だけです。著者の孤独に読者の孤独が感応し、そこへ新たな感情が芽生えます。その感情の源泉は、振り返った道筋のどこかにあるのでしょう。それに向き合いたくも有り、向き合いたくも無く、どの道、孤独な作業です。自分に嘘を吐く事は叶いません…。
著者が、嘗て一世を風靡したクレージーキャッツのメンバーであった事は、この際、どうでも良い事です。それよりも、新たな道を模索し続ける実直な冒険者であり続けている事に感動させられます。遅れ馳せながら、応援していきたいです…。
…不意に、宇宙の奇跡。
先月亡くなられた劇作家の井上ひさし氏との出会いについても書かれていました。こまつ座の公演、『きらめく星座』についてです。当時、NHKの芸術劇場で放送していた舞台を鮮烈に覚えています。人間が、ただここにいるという宇宙の奇跡を説いた感動的な舞台でした。
先日の『日曜美術館』(NHK教育=20:00)では、日本画家の小倉遊亀が特集されていました。師匠の安田靫彦は言ったそうです。「見た感じを逃さないように心掛けて行けば、その都度違う表現となって、いつの間にか一枚の葉っぱが手に入りますよ。そして、一枚の葉っぱが手に入ったら、宇宙全体が手に入ります…」。
日曜日、歩き慣れた山道にはウマノアシガタが…。さながら、山に突き刺さった一輪の簪でした。毎年、この時期になると咲いてみせるのですが、果たしていつの頃から、あの山に自生しているのか…。考えてみると恐ろしくなります。山の中腹には寺院があり、境内の空を覆うような椎の樹は、何本もが激しく絡み合う妖怪変化の図です。とても人間が敵う古木ではありません。きっと何百年も前から、人間の馬鹿さ加減を見て来られたのでしょう。
ウマノアシガタは一般にキンポウゲと呼ばれ、毒のある植物です。中村汀女に、こんな句があります。《だんだんに己かがやき金鳳華》。実際、花弁に光沢のある花ですが、可憐さを増しつつも毒を有するという、好色漢にとっては、いささか気を付けたい句です。そんなウマノアシガタを液晶の画面に捉えながらデジカメを構えていると、一匹の小さな蜂が現れて、僅かな間、花弁で小休止。《一寸の虫にも五分の魂》とは言うものの、向こうから言わせれば《人間にも五分の魂》。寧ろ、そちらの方が宇宙の真理なのではないか想いつつ、穏やかな春の日の夜空に、きらめく星座でありました…。
劇作家の意図、何故その役柄が存在し、何故その台詞が必要なのかを理解する事によって、初めて役の感情を獲得する事が出来る。今まで辿ってきた人生の道筋を、改めてなぞってみる作業は、役者さんに限らず、劇を作る者にとっては回避出来ない禊のようです。人間を描くという事は、先ず自分自身の人生と向き合わなければならないようで、著者にとっての本書はその目録のようなものと言えるでしょう。
人生は一度限りである前に、万人がそれぞれ違う道筋を歩いている事を思います。誰一人として運命を共にする者など、ありはしません。あるのは孤独だけです。著者の孤独に読者の孤独が感応し、そこへ新たな感情が芽生えます。その感情の源泉は、振り返った道筋のどこかにあるのでしょう。それに向き合いたくも有り、向き合いたくも無く、どの道、孤独な作業です。自分に嘘を吐く事は叶いません…。
著者が、嘗て一世を風靡したクレージーキャッツのメンバーであった事は、この際、どうでも良い事です。それよりも、新たな道を模索し続ける実直な冒険者であり続けている事に感動させられます。遅れ馳せながら、応援していきたいです…。
…不意に、宇宙の奇跡。
先月亡くなられた劇作家の井上ひさし氏との出会いについても書かれていました。こまつ座の公演、『きらめく星座』についてです。当時、NHKの芸術劇場で放送していた舞台を鮮烈に覚えています。人間が、ただここにいるという宇宙の奇跡を説いた感動的な舞台でした。
先日の『日曜美術館』(NHK教育=20:00)では、日本画家の小倉遊亀が特集されていました。師匠の安田靫彦は言ったそうです。「見た感じを逃さないように心掛けて行けば、その都度違う表現となって、いつの間にか一枚の葉っぱが手に入りますよ。そして、一枚の葉っぱが手に入ったら、宇宙全体が手に入ります…」。
日曜日、歩き慣れた山道にはウマノアシガタが…。さながら、山に突き刺さった一輪の簪でした。毎年、この時期になると咲いてみせるのですが、果たしていつの頃から、あの山に自生しているのか…。考えてみると恐ろしくなります。山の中腹には寺院があり、境内の空を覆うような椎の樹は、何本もが激しく絡み合う妖怪変化の図です。とても人間が敵う古木ではありません。きっと何百年も前から、人間の馬鹿さ加減を見て来られたのでしょう。
ウマノアシガタは一般にキンポウゲと呼ばれ、毒のある植物です。中村汀女に、こんな句があります。《だんだんに己かがやき金鳳華》。実際、花弁に光沢のある花ですが、可憐さを増しつつも毒を有するという、好色漢にとっては、いささか気を付けたい句です。そんなウマノアシガタを液晶の画面に捉えながらデジカメを構えていると、一匹の小さな蜂が現れて、僅かな間、花弁で小休止。《一寸の虫にも五分の魂》とは言うものの、向こうから言わせれば《人間にも五分の魂》。寧ろ、そちらの方が宇宙の真理なのではないか想いつつ、穏やかな春の日の夜空に、きらめく星座でありました…。
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